7《終》


 ムイの身体は、割れたステンドグラスから差す朝日を受け、ぼうっと白い光を放っていた。ぼくは周囲を見渡し、ほかに誰もいないことを確認すると、祭壇へゆっくりと近づいた。


「私のことがこわくはないの」彼女は訊ねた。「私はあなたを撃った、転生者なのに」

「でも、きみが撃った弾にここの位置情報が記録されていた。予想外だったよ。あの弾にワイヤレスの記憶媒体が内蔵されていたなんて」


 ぼくはポケットから潰れかけの弾丸を取り出し、ムイのほうへかざした。ムイはそれを見て、少しだけ嬉しそうな顔をした。


「一か八かの賭けだった。あなたと私のあいだに魂の絆があるのなら、きっとあなたは仕掛けに気づいてくれる。そう思って、弾にあらかじめ細工を施していた。でも、いったいどうやって気づいたの?」

「インナー・カンバセーション中に、月の光がこの弾を照らしてくれた。それでわかったのさ」


 するとムイは怪訝な顔をして言った。


「嘘みたいな話ね」

「本当だよ。でも、ぼくの補助コンピューターにはない仕様だ。もしかしたら、神様が教えてくれたのかも」

「神様はとっくの昔に死んでいるのに」

「たしかに。でも、神様は生き返ったんだ。たったいまね」


 ムイはその言葉の意味を理解したらしく、くすりと笑った。


「そのようね。あなたの補助コンピューター、オフラインになっているもの。だけど、いったいどうやったの?」

「コンピューターウイルスを使って、世界じゅうのコンピューターメーカーのメインサーバーを乗っ取ったんだ。きみたちがネットワークを崩壊させてしまう前に」

「そう」ムイはこちらに背を向け、祭壇の奥にある、磔の神様の像を見上げた。「よかった。これでネットワークが崩壊しても、あなたたちは無事でいられるのね」

「人間の意識は、脳と機械のエンタングルメントによって生まれたものではない。きみもそのことに気づいていたのか」

「もちろん。だって私たち転生者は、エンタングルメントの場である肉体を離れても意識を保っている」ムイはぼくのほうを向き、両手を広げた。「私たちの存在そのものが、エンタングルメント理論を否定する根拠なのよ」

「つまり、きみたちにとっては当たり前の事実だったというわけか」


 そう言って、弾丸をポケットにしまう。


「教えてくれないか、ムイ。機構がなんらかの方法を用いてネットワーク崩壊に伴う大量死を防ぐことも、転生者にとっては織りこみ済みだったのか」

「いいえ、違うわ。私たちも人間たちの死を望んではいなかったけれど、それを回避する方法が思いつかなかった」

「だったら、サーバーの破壊をやめようとは考えなかったのか」

「考えなかった。だって、ネットワークを崩壊させなければ、黒服の転生者はあなたたちをどんどん殺し、殺されたあなたたちは転生者に変わっていく。そうなってしまうくらいなら、大量死のリスクを冒してでも、ネットワークを崩壊させたほうがいい。私たちはそう判断したの」

「自分たちが悪者になっても?」

「ええ」ムイは頷いた。「悪者呼ばわりされるのは構わなかった。あなたに私と同じ苦しみを味わわせるくらいなら、悪者になったほうがまし。だから私たちは、世界じゅうのサーバーを壊すことを決めた」


 その言葉を聴いた瞬間、ぼくは雷に撃たれたかのような衝撃が全身に伝わるのを感じた。これまで、転生者がサーバーを壊す本当の理由は、自らの死の獲得であると思っていた。しかし実際には、転生者は自らの死ばかりを望む者たちではなかった。ぼくらに転生者になってほしくない。そのためにこそ、転生者たちはサーバーを破壊していたのだ。自分たちは、死よりも過酷な苦しみを味わっているというのに。


 すると、ムイは呆然と立ち尽くすぼくに向けて微笑んだ。


「でも、よかった。もう、あなたたちを死なせる心配はない。これで、安心して死んで行ける」


 その直後、彼女は膝から崩れ落ちる。


「ムイ」


 ぼくは慌てて彼女のもとに駆け寄り、倒れた身体を抱き起こす。


「もしかして、きみはもう……」

「そう。もうじき世界じゅうのサーバーがダウンし、ネットワークは崩壊する。私たち転生者は、ようやく永遠の死を手に入れることができる」

「待ってくれ、ムイ」彼女を強く抱き寄せる。「ぼくはきみに謝らなければならない。約束のこと、すまなかった。生まれかわったきみを見つけ出すのに、こんなにも長い時間をかけてしまった」

「いいのよ。だって、約束、ちゃんと守ってくれたじゃない」


 彼女は手を伸ばし、ぼくの頬に触れた。金属の、冷たい手だった。


「悲しい目をしてる。辛いことがたくさんあったのね、コウ」


 それはぼくの苦しみを、悲しみを、絶望を、そしてぼくの人生そのものを理解した者の言葉だった。


「うん……」


 彼女の顔の輪郭がぼやけたかと思うと、ぼくの瞳から、熱い涙の一滴がこぼれ落ちる。心が、魂が、ふるえるのを感じる。


「この先あなたを待っているのは、悟りのない世界」ムイは言った。「そこであなたは、本当の苦しみを、悲しみを、絶望を知ることになる。でもそれと同じくらいたくさんの喜びを、安らぎを、そして希望もまた知ることになるでしょう。人と機械ではなく、人と人どうしが触れ合い、思いのエンタングルメントを織りなす世界……そこであなたは二つとない、自分だけの魂を育むのよ」


 彼女の話に、ぼくは嗚咽を漏らしながら頷いた。涙のせいで、もうほとんどなにも見えない。


「頑張ってみるよ。頼りないかもしれないけど、でも、頑張って歩いてみるから」


 とめどなくあふれる涙を拭いながら答える。少し前までは、自分がこんなにも前向きなことを言えるなんて思ってもみなかったが、いまは違う。いまならば迷いなく、心から誓うことができる。前を向いて歩き続けると。


「それを聴いて安心した」


 ムイは、出会ったころに見せてくれたのと同じ、満面の笑みを浮かべた。まるで魂の求道者であったころの彼女が戻ってきたみたいで、ぼくも思わず笑顔になる。


「ねえ、コウ」ムイはふるえる声で言った。「龍踊じゃおどりを一緒に見たときのこと、覚えてる?」

「もちろん」


 頬に添えられた彼女の手を、ぼくは握り返した。


「あの龍のたてがみにはね、馬の毛が使われているんだって。知ってた?」

「それは知らなかった。でも、天然の馬かな」

「そうに決まってる。だって、あんなに、綺麗なんだもの」


 ぼくを見つめる彼女の目がゆっくりと閉じられ、細い手から力が抜けてゆく。安らかな顔を浮かべ、覚めない眠りに落ちる彼女に、ぼくはそっと、おやすみと告げる。堂内には朝の静けさが満ち満ちて、開かれた扉から吹く風が、ぼくの頬を温め、涙を乾かしてゆく。


 もうすぐ、春が来る。

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リインカーネーションの季節 屑木 夢平 @m_quzuki

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