ミニ・ボトル

津田薪太郎

K大学人文科紀要 41号より

 『生』ということにつきまして、今日は講義をいたします。正確には、『生』そのものということに関してです。わたしを始めとして、これにつきましては元より、生物学や哲学、力学、物理学その他、およそ問題にしなかった学問というのはないと言っても宜しゅうございましょう。わたしの様な若輩は言及するのも烏滸がましいことでありますが、しばらくの間のご辛抱を賜れば幸いでございます。

(笑い声)


 さて、ここでわたしがお話ししようと言いますのは、決して現在最新の研究成果というわけでもなく、はたまた、わたしの人生哲学ですとか、そう言ったものでもなく。わたしが目撃をしましたある事例について、少しお話をしたいと思うのであります。これが『生』そのもの、という表題にそぐうものかどうかは、お聞きの皆さまにご判断を願いたいというわけであります。


 わたしの研究室をその人が訪ねたのは──つまり、仮に、K氏としておきたいと思います──二年ほど前でございましょうか。まだ、わたしが若く駆け出しの助教授だった頃でございまして、(笑い声)それでも「先生」と敬称付きで言われるのが嬉しかったものです。


 K氏は前日に丁寧なメールを寄越した後、研究室にいらっしゃいました。戸を開けたその人は五十絡みの中年の人で、髪の毛は──これは申し上げないことにしましょう、ええ、名誉のためです。(笑い声)それでその人は、丁寧に頭を下げて、


「先生がその、歴史学と精神分析学というのに造詣が深くいらっしゃると聞いて参りました」


「エヘン、いかにもその通りですが、カウンセリングなら他を当たりなさい。わたしは素人です」


「いえ、そうではなく。どうか先生には、私の身の上に起きた不思議なことについて、一寸聞いて頂きたいのですね。その、これが狂気なのか正気なのか、どうか教えて頂きたいので」


 K氏は椅子に座りますと、こんな話をしました。


「先生は、幽霊の類を信じますか?魂のあるなしとかはどうですか?我々人間には、何らか肉体を超えたものがあるかと思いますか?」


「恐らくある様に思います。思いますけれども、それを詳しく説明するには、ちょっと時間がありませんね、あと二十五分しかない」(笑い声)


「はあ、でも、全くないとはお考えにならない。でしたらきっと、私の話もお聞き届け頂けるでございましょうね──実はですね、先生。私は最近どうも、そういった、魂の様なものが見える様になってきたのです」


「魂が見える、と?」


「はい。そうです、魂です。他に言い表しようがあるのかもしれませんが、兎に角それです。人を生きるところのものたらしめている、そういうものです」


 K氏は懐から小さな瓶をいくつか取り出して、わたしの前に並べました。


「この中に魂があるのです。尤も、先生にはお見えにならないかも知れませんが。私にはこの中に、何かどろっとした、白く濁った液体が満ちている様に見えるのです」


「白く濁った?」


「はい。魂というのは、人だまの様に燃えるのではなくって、液体なのですね。いや、ある意味で燃えるかもしれません、つまりその、有限の液体なのです。それがなくては駆動できないし、失われると永久に戻らない。そういうものです」


「初めてそれを見たのはいつですか?」


「最初に気がついたのは子供の頃です。祖父の死に目に立ち会った時──ビルマにいて、例のほら、インパールに参加していたんですが、そこで死ぬか死なぬかという目にあった人のことですから、死ぬ時も泰然自若として、見苦しくばたつくこともありませんでした。布団に寝ている時もしんとしたもので、いよいよ危うい、という時も、うわごとで南無阿弥陀仏を言う様な人です。


五歳だった私は、ちょうどその時、曽祖父の枕頭におりました。夜中の九時といったところでしょうか、寺の鐘がごおんと鳴った時、ふと見ると、祖父の布団の下の辺りから、じわじわと何か漏れていて。アッ、やりやがった、失禁だ。そう思って布団を捲ったが、濡れた感触は微塵もない。見ると、足と足の間に、白く濁った様なものが、とぐろを巻くようにして溜まっていた。


ともするとそれは、ドライアイスを溶かした時のように薄煙になって消えてしまった。それで見上げると、もう事切れていたのです」


 面白い話だ。そう思ってわたしは、K氏に続きを促しました。


「次に見たのは、祖母を看取った時です。祖母は家でなくて病院のベッドで死んだのですが、死ぬ何日か前からうんうんと唸ることが増えました。見に行くと、うん、ううん、と唸って体を跳ねさす度に、ポタッ、ポタッとベッドの下に、あの白いのが落ちていくんです。徐に手を差しやると、濡れはしないが、確かに何かの感じがあるんですね、これが。こう、水の中で魚に触ったときの様な」


「それで?」


「興味本位で、私はその下のところに、小さな瓶を置いてみました。何か取れやしないかと思いまして。子供の遊び心ってやつです……それから、二、三日のうちに祖母は亡くなりました。ですが、死ぬ一時間か二時間前に例の小瓶を検めると、そこには確かに、あの魂が溜まっておるのですね」


 これが、その瓶です。K氏は右端に置いた瓶をわたしに示しました。


「それから、私は色々にやってみることにしました。つまりですよ、人以外の生き物にも魂はあるのかとか、どんな時に出るのかとか。そういったものを見たくなったのです。その成果がね、これです」


「これは?」


「虫から集めたものが入ってるんですよ、先生。虫にもね、あるのです魂が。これが面白いってのが、実は魂というのは体躯によって量が変わるわけじゃないんです、みんな大体おんなじだけ出るのです。蝿を潰した時も、油虫を捕まえた時も。うさぎも蛙も変わりはしないのです。虫にも五分の魂と言いますがとんでもない──あれらは、みんな十全の魂があるのですね、生き物は皆兄弟です」


 K氏は笑いながら、更に鞄から小瓶を出して机の上に並べました。わたしの研究室の応接机はいつもは本の山ですが、その日に限っては小瓶で埋め尽くされたのです。K氏はまめな人柄と見えて、全部の小瓶に番号と記号を振っていました。


「それでね、先生。幾らか分かりました。つまりですよ、魂というのは実は、ちっとやそっとでは流れないのです。多分あれは不可視の殻の様なものに守られている。何というんでしょうね、物質と精神の間に橋を渡すような、確かにあるけど触れられはしない、でも、外的な力で影響を受けるような殻です。何かいい話ご存知ありませんか」


「デカルトの松果体の話でしょうかね。昔、フランスの哲学者デカルトは、心身二元論をより深く突き詰めましたが、その時、まさにあなたのおっしゃるように、肉体と魂の橋渡しをするのが、脳内の松果体だ、と言い出したのです。尤も、今ではとっくに引っ込められた話ですが」


「そう、その松果体みたいなものだと思うわけですね。そうやって、生き物の中には確かにあるのですが触れられない、でも、その生き物が致命的な傷を負ったりすると、殻にヒビができるのです。そして、そのひび割れから魂が漏れる。そこをすかさず取って逃げないように蓋をすると、こうやって捕まえられるのです」


 K氏は段々と白熱してきました。魂というのは昔から問題になっているが、自然科学ではそれを捉え損なっているに相違ない。ダンカン・マクドゥーガルの実験では魂の重さは二十一グラムとある。しかしそれは、魂に質量があるとみるおかしい視点であって、魂は触れられるが質量なきものなのです、云々。


 ここにおいでの皆様方は、こうした議論の馬鹿らしさを重々ご承知のことと思います。ですが、K氏は間違い無くこのことを真剣に考えていました。


「実はですね、先生。魂というのは薄めることもできるのです。エクトプラズムというのを知っていますか?」


「フランスのシャルル・ロベール・リジェが発見したものですか」


「そうです。あれは、人間が魂を薄めて外に出したものなのです。最もピュアな魂は大変に濃いのです。しかし、それが年齢とともに薄まってくると、殻の隙間から漏れ出したりしやすくなる。だから、老いると人は死ぬのです」


「何故そのように?」


「それはね、先生。私の恐ろしい体験によるものなのですよ。どうか聞いてください」


 K氏は目を見開いて身を乗り出すと、またこんな話を始めました。


「三十年ほど前。お生まれになっていない先生はご存知ないかもしれませんが、日本というのは大変な不景気でしたね。大学を出ても碌な仕事もなく、理不尽と暴力だらけの会社で安くこき使われるような時代です。かくいう私も、雀の涙ほどの賃金でトラックの会社に雇われまして──そうして、嵐の中、不眠不休で、東北から九州までトラックを運転していたのです。


仙台を出て、北関東のRというところに出た時。高速道路を降りて一般道を走っていますと、恐ろしい豪雨の中にも関わらず、黄色い合羽を来た男の子が、わーっとトラックの前に飛び出してきた。


危い!という暇もない、どしん、と大きな音がして、男の子を轢いた。咄嗟にギヤをバックに入れて──手遅れでした。先生は車に轢かれた蛙を見たことがおありでしょう。あれと同じです。体がね、めちゃめちゃにひん曲がって、首の骨がメッキリ持っていかれちゃって。それでね、腹のあたりがぱっくりやられてて、ずるっと紫色のとかが出ちゃってて。でも、やっぱりモゾモゾやってるわけ。しぶといなんていっちゃア可哀想だけどさ。じわあっとね、冠水した道路の上に血がダラーっと広がって。


そうしたらだよ。その子の傷口からね、どろおっと、浮き出るようにして真っ白なのが流れてきたの。俺、もうカアっとのぼして、夢中で外に飛び出して。ゲロ入れる袋抱えて走った。それで、血と雨水の混ざったのをざばアっ、ざばアッと掬い上げて。濃いのが取れたアって──はは、失礼しました。その時取れたのがね、これなんですよ。この小瓶。お見えになりませんか、もったいない。牛乳よりも濃いいのがどろっと溜まってるんですよ、ええ」


 わたしは初めて、K氏のことを恐ろしいと思いました。子供を轢いた、それだけのことをしでかしたというのに、こんなにもにこやかに笑える人がいるのかと、恐ろしくてならなくなりました。ですが、もっと恐ろしいことというのが起こるのです、皆さん。K氏は、こんなことを言いました。


「ところで先生、この人間というものですが──それは、魂の他に肉体もなければ、生きられまいと思いますか。つまり、その、魂を収める殻というのは、どこから破裂するのか。お考えになったことは?」


「……分かりません。ですが、何と言いましょうか。生きていることそのものが剥き出しになった、というようなことは、文学では聞いたことがあります。北条民雄という人がそう書いている。末期のハンセン病患者というのは人間としては死んでしまっている、ぬるぬるとした生だけがまとわりついているような、というのを。『いのちの初夜』という作品ですが」


「いい、いいですね。さすがは大学の先生だ。ああ、だからああいうことも起きるんでしょうなア。体は死んでいても、魂だけでどうにか生きちまってるということがあるんでしょう」


「と、おっしゃいますと?」


「あのね、先生。例の子供を轢き殺した後、私は魂を蒐集することに、恐ろしい執念を燃やし始めました。これは実益も兼ねておるのです。もし仮に、私がばっくりと行かれてしまった時も、小瓶に入った魂を継ぎ足し継ぎ足しやれば、きっと息を繋ぐことができるのじゃあるまいかと思って──そうやってね、考えてみたんですよ。


きっと、お育ちのいい先生はご存知ないでしょうな、盛り場のね、ちょっと裏の通りへ行くと、はは、ひと昔ふた昔前ってのは、いくらでもずべが居たんですよ、はは。ずべってんで、お分かりになりますか、先生。あのね、ずべってのはね、淫売ですよ、はは。カラダが資本なんて面白えことを言いますがね。とにかく食い詰めちまって、水商売も上がったりで、どこかしこもピシャンと戸を閉めたっきりの不景気で。


トラックの仕事がひと段落ついた後、私は給金の袋を持ってそのずべを一人捕まえて。せっかくだから、どっか安くって広いところでやろうって誘い出しました。まだ二十そこそこで、来年大学を出るって娘さんでしたが、ツラの方は老け込んじゃって、もう四十くらいに見えましてね。白粉の下に皺だらけの肉がだるだるとついてるような女でした。


そのホテルってのが、山の中にあるといって車を走らせました。その途中で止めて、ずべに、小便催しちまったって降りました。下品な話ですみませんねえ、で、しばらく戻らねえと向こうの方で様子を見に来ます。それを後ろッからがつん。木の根方にどしいんとやった。だが、まだ魂は出ません。


あれえ、人殺しい──そう言う女の頭を二度、三度。四度目で白いのがぱあっと散った。つまり、それが一つの閾値なんですな。他にもやりました。足の方から切るってえと、どこがそうなるんだろう。これがね、大体が太腿です、太腿。ここら辺に太い血管があるんですって、ね?」


「動脈叢ですね」


「そう、それ、それ、えへへへ。それでね、兎に角──ひとッ通り集めましたよ。それをね、使うことにしたんです」


「使う?どうやって?」


「大体五、六人から取った後のことです。私はそろそろ実験にかかろうと思いましてね、N山の中に小屋を手に入れました。手に入れたって、馬鹿正直に買ったんじゃアない。打ち捨ててあるのをちょっと借りれるように獣道を引いたんです。それで、またずべを捕まえた。今度のはイキが良かった。手前の値をよく分かってねえんでしょう、どうして生きてるのか分からねえ、瘡蓋のようなツラをした女でね──はは、先生はお綺麗だから、多分ご存知ないでしょうな。人の顔ってのはね、恐ろしいですよ。本当に。顔で性格も決まる。それは間違い無い。これに関してだけは先生よりも私の方が詳しいでしょうな。


それで、その瘡蓋みてえなずべを連れて、Nの国道を走りました。本当はもうちょっと山奥へ行ってからやるつもりでしたが、途中でずべが騒ぎ出したもんですから、仕方なく、一旦がちんとやっちまうことにしたんです。


首のここです、ここ。付け根のあたりにピアノ線を引っ張ってきゅうっと。そうしたら静かになるでしょう。でね、ここが肝心だったんですよ。ともすれば、そいつの口からゲロと一緒に出そうになる魂をうまいことホールドしながら、山奥に連れていかなきゃいけなかった。脳は息が三分止まるとぐずぐずになっていけません。ここからは勝負、カップ麺を作るまでのね。


小屋に連れて行って、私は持ってきた小瓶の蓋を開けました。それで、口をだらりと開けて泡を吹くずべの中に、ぽた、ぽた、ぽたと、一滴一滴やってみた──こうしてみなきゃ、自分が生きてられるかも分かりませんからね。


すると、はは、成功しました。ええ、大成功だったんです……ぐりん、と回った女の目がまた戻ってきた。戻ってきて、げふ、げふう、ばふばふと犬ッコロみたいな声をあげて。ハムを三、四枚針金に通したような腕をばたつかせていました。そう、生きていた訳ですよ、はは。生き返したんです、遂にあれは。


私のその時の喜びと言ったら!先生にお見せできないことが残念でなりません!私はもう、有頂天になりました。小屋の真ん中に女を縛りつけてね、やるだけのことをやりました。後から思いますと、やはり先生、あなたの言葉は当たってる。魂ってのは、纏わるんです。纏いつくんですよ。口に垂らして飲む様に見えてそうじゃない。蓋を開けてやると、すうっとでた魂が口へ入ったり鼻へ入ったりする。やがて、それが体全体にべっとりと抱きつくんです。


抱きついて、抱きついてぬるうッと中に入っていくんですなア、これが傑作だ。そうこうしているとずべが息を吹き返したので、また出してやらなきゃいけない。これも繰り返せば飽きますが、なかなか面白いもんでしたよ、はは。一度に何度も色んなやり方を試せるんですからな。


それでね、もう、三十度目くらいになりましたかね。ずべが言ったんです。『もう本当に一思いにヤっちまって』なあんて。体が覚えてるのかそうなのか。記憶がどこに宿るかってのはよく分からねえもんですけど。兎に角ね、まあ、楽しくはありましたからね。そうしてやることにしました。その時とったのがこれです、この小瓶」


 こつこつ、とK氏は自慢げにそれをわたしに見せました。わたしがすっかり絶句してしまっていると、彼はにっこりと青髭の顔に笑みを浮かべまして、


「と、ここまでお話ししましたね、先生。みんなお聞きになりましたね。どうでしょう、私はやはり気が狂っておりますか。いや、その目を見ればわかります。やっぱり私を狂っていると思し召しでしょう。でもね、私はこう思ってるんですよ、私くらい、生きることを愛してる人は居ないんじゃないかと──」


 その時。K氏ががたん、と応接机を叩いたせいでしょう、元々上の方でぐらぐらと座り悪かった石造りのトーテムがぶうん、と彼の上に落ちました。があん、と当たって頭が割れる。


「ぐえっ」


 そのままがらがらと部屋の中に倒れたK氏。ばたつく彼の足が机を蹴ったものですから、そのまま小瓶も雨霰の様に落ちました。


 ぱりぱりん、そんな音を立てて小瓶が割れました。多分見えさえすれば、わたしにも真っ白な魂が床に溢れるのが分かったことでしょう。でも、残念ながら見えなかった。


 でも、彼の言ったことは多分真実でしょう。『生』とは、魂とは纏わり付くものです。頭から鮮血を迸らせるK氏は、小瓶が割れた途端、何かに溺れるようにバタバタと足をばたつかせ、やがてぺきぺき、と骨の折れる音をさせながら──信じがたいことですが、体の形を変えて行ったのです。何十もの魂が折り重なったからか、それとも、彼らの方で何らかの戦があったのか。一秒ごとに肉体の形を何度も、何度も変えて。最終的にK氏は毛むくじゃらの、フライパンの上に乗るくらいの何かの塊になって動かなくなりました。わたしが恐る恐る側へ寄ると、ざわざわ、と毛むくじゃらが動いて、二つに割れました。


 中から一匹、油虫が出てきました。まだら模様の。黒い羽の中に、ところどころ黄色い点が沁みた様な油虫でした。


 その油虫はささっ、とドアに向かって走り、下の隙間から外へ出て行きました。しばらくすると、きゃあっ!という事務員の方の悲鳴と共に、ぱん、という音が弾けました。


 多分そのせいでしょうね、今でもあの前の廊下を歩くと、たまに白いものが靴の底についてるんですよ。はは、今日もついてましたよ。チューインガムと鳩のフンかも知れませんが。(笑い声)

──


『帆風晴路博士 教授就任記念講演』より抜粋

七月二十一日 K大学矢立誠一郎記念講堂にて

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