さて、何を食うかである。

白川津 中々

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 さて、何を食うかである。


 そんな書き出しから始まるメッセージが小森くんから届いた。彼は馬鹿なくせに小難しい事を考えては僕に話してくる愉快な奴である。内容については非常にどうでもよさそうだったのだが、丁度暇であったから義理に近い気持ちで読んでやる事にした。



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 さて、何を食うかである。

 夕食の献立についてではない。生涯何を食っていくかという話だ。

 昨今ではヴィーガンという連中が菜食主義普及のための活動をしているらしい。なんだかんだいわれているが、俺は奴らの主張ももっともだと思う。生きるために動物を飼い、美味くなるように品種改良され、殺したら死体を部位ごとにスライスして食う。字面にするとその残酷さを改めて痛感する、地獄の鬼もどん引くような所行。まっとうな神経をしていたら怒りも湧くだろう。動物の命を食という快楽のためだけに扱っているといわれたら反論のしようがない。


 しかし、とはいえ、悲しいかな、肉は美味い。人の舌にこびりついた喜びのトリガーを今更なかった事になどできはしない。俺たちは腹を満たすためではなく、美味いから肉を食っている。御託を並べて肉食の正当性を主張する者もいるが、生命倫理という絶対的な盾がある以上、論争で勝てるわけがないのだ。そうと知りながら、そのうえで、俺は肉を食う。欲望に抗えずに食うのである。


 俺個人の意見として肉食は、できることならばやめたいと思っている。毎食毎食罪悪感に苛まれ、どうしてやめられないのだろうと苦しんでいる。テレビで「お肉が好き」と宣うアイドルなどを見ると、まったく腹が立ってしょうがない。俺もそいつと変わらず、肉を食っているというのに。いずれも矛盾だ。


 これを踏まえて、さて、何を食うかであるが、俺は先述の通り肉を食う。食わざるを得ない。家畜の死の上に立ち、業に塗れて生き、そして死んでいくしかないのだ。犠牲となった動物達にとっては堪ったものではないだろう。深夜に放送されているB級映画を意味もなく眺めるように殺され食われるのだから。しかし命に感謝していただくとか味わって食べるとかいうのも人間の都合。罪から逃れるために作られた人間のルールだ。死んでいるのは動物に他ならず、どれだけ崇め奉ってもその罪禍からは逃げられはしない。もっとも、罪だの罰だの善悪だのを作ったのも、紛れもない人間であるわけだが。


 話が飛躍してしまったが、ともかく俺は肉を食うのだ。さて、君は何を食う。欲望のために肉を食うか、それとも別のものを食うか。命をどう繋ぐか、考えてみてほしい。

 もし肉を食うというのであれば長年のよしみ。君の罪の意識は引き受けよう。君が俺にご馳走をするという体で、家畜の死体を焼く店に連れて行けばいいのだ。そこで俺は「一人じゃ食べられないから君もどうぞ」と言うから、それを少しだけ食ってくれればいい。原始仏教ではもてなしの生臭であれば口にしていいそうだ。だから、君は悪くない。そういうつもりで答えてほしい。本日、14時までに返答を待つ。


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 読み終えた俺は、「ちょっと一人で焼肉行ってくるわ」と嫌がらせのメッセージを送った。小森くんからの鬼電を肴に食うカルビは、実に美味い。

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さて、何を食うかである。 白川津 中々 @taka1212384

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