1-?

ざわ……ざわっ……。

 木々の揺れ触れ合うさざなみのような音。それだけしか聞こえなかった、いや厳密に言えば鳥の囀りなどはよく耳に響いている。けれど一切、自動車や人の声が聞こえない、森の中だというのならこれは夢か?

 夢でも自分は目を瞑っているというのか。

 生きるためにがむしゃらにも就職活動をした結果、今のブラック企業へと就いて仕事ばかりをしなければならない日々、上司もウザくしかも手柄を横取りしてくる。

 そんな日が続いて手取りが上がるはずもなく毎日カツカツで生きていた。夢でも自分は寝ていたいのか、それほどに疲れているのか。

 冷たい風が吹き抜け、背中にやけにリアルな湿った土の感触が。夢の中だというのに、現実臭い森の臭いが鼻を覆った。

 仕方ない、夢の中なのならましてや明晰夢だというのなら楽しむべきだ、自分は目を開けることにした。そこには濃い緑が広がっていた。

 頭上では枝葉が風に揺れ、陽の光が無数の粒となって降り注ぐ。眩しさに瞬きを繰り返しながら、上体を起こした。

 吹き抜けていく冷たい風はどこか心地が良い、癒しを願い求める身体によく沁みつく。

「ここは……どこだろう……?」

 夢じゃない、そんな気が自分を襲った。そんな気持ちからうっかりこんな発言をしてしまった。

 しばらく辺りを見渡したが、変わることない緑が視界に入り続けていた。

「…………んっ……?」

 土の冷たさと湿り気が足に直に感じた、自分は裸足なのであろう、そう思って足元へ目を向けた。その時、理解しがたい光景が視界を襲った。

 なんというか、ゴツイ。見た限り人間の足ではない、小さく丸まった爪ではなく尖った鋭い物。

 どこかで自分の姿を見られるような鏡があればいいのだが、ここは生憎森の中。というか夢の中だというのなら、自分の姿が豹変していても何らおかしい事ではない。

 そう思うと不思議と心は落ち着いた、夢の世界なのだから、せっかくなら楽しむとしよう。

 

 森の中を、ずっと歩き続けていた。再現度の高いこの夢は、歩けば土を踏むザッという音がし、虫が飛び鳴いている。水面が欲しい、森林で自分の容姿を見られるのだとしたら湖や川だろう。夢というひと時の無駄な幸せではあるがどんな容姿なのかを確認したかった、何でもかんでも気になるのは人間の性であろう?

 夢には境界線的な何かがあるらしい、構築できる世界には限りがあり基本そこまで見ることはないが、明晰夢である今ならそれを見られる気がして。

 狭い、木々が作る間道を歩き続け、遠くに光を見つけた。開けた場所の真ん中にはたったひとつの湖。まるで砂漠のオアシスであるかのように惹かれる輝かしさがあった。実際はただ陽光が強く照りつけその光に水が反射して輝いているだけ、それでもようやく見つけたという感情を持った人間の眼には美しさが増して見えてしまうのだ。

「わ、わぁ……こ、これって……」

 獣人ってやつだ……。

 揺れることない静かな湖へと顔を近づけその水面に反射した自分の顔を確認した。

 灰色の肌、いや毛が、体毛が全体に生えている。顔の骨格は人間の物とは到底違う、口と鼻は豹変し犬科特有の細長いマズルがある、耳は横に生えず頭の上に天高く伸びていた。

 気づかなかったのだが、後ろをよく見れば大きな尻尾が自分には付いていた。モフモフ度も獣のソレその物、自分の物ではあるが感じたことない気持ちよさが脳を襲って数分間抱き続けていた。

 しかしその行動は不運へと繋がった。

「グルルゥ……」

 ここは砂漠のオアシス、獣たちが唯一水を求められる場所。そんなところに自分以外の存在が来ないはずがなかった。ここまでリアルな夢であるのなら、痛みもリアルであろうか?

(く、熊だ……!)

 獰猛な熊は水を求めここへやってきた、奴にとっては更なるラッキーだ、目の前に獲物がいるのだから。多分、ここは獣達の溜まり場、そんな所に今、美味しい存在が……空腹を満たしてくれる存在が同時に存在している。

「ガァァァ!」

「うわぁぁぁ!?」

 戦うことのできない一般人に対抗などできるはずがない。しばらくジッと間合いを詰めてこちらを見ていた猛獣はついにこちらへと突進してきた。避けても野生の勘がある熊には無意味、回避方向を即座に予測した刃は服を割いてくる。冷たく尖った爪が肌に一瞬触れた時肝が冷えた。

(夢なのに……何で、こんな……!?)

 休ませる間を与えることなく次の攻撃を用意される、しかしその攻撃は非現実なる物だった。

 地が揺れ、草石が宙に浮き始める。猛獣は再度間合いを取り口を半開いて準備を始めた。キュイーンという音が聞こえるかのように口の中央に謎の青い光を放つエネルギー球がこちらを狙っている。

「これ黄色のネズミが出てくるアニメで見たやつだぁ!?」

 これはいわゆる破壊光線、当たれば即死だろう。でも避けた後怯むかな、と、そんなバカなことを考えている暇はない。

 死ぬ。

 本能がそう言った。確信を得た。夢の中なのに?しかし土や風、音や痛み全てが現実味のある感触、それが夢だという理由を否定する。

「お、お助けぇぇぇぇ~!?」

 とにかく逃げる。昔から逃げ足だけは速い自分は全速力で逃げた。だが追い付かれるなど時間の問題である。四足歩行の動物に人間の二足歩行で速さに勝つことなど一部の超人ではないと不可能だ。

「ど、どうしよう!?追っかけてくるぅ~誰かぁぁぁ!?」

 夢の中であろう?と冷静な自分が語りかけて来た。しかし本能は逃げろ!と叫ぶ。焦っている人間に冷静な判断は難しい物で、そんな声をまともに聞けるはずがなかった。

「うわぁぁぁ!?死ぬ!?助けてくれぇぇぇ!?こんなところで死にたくないよぉぉ!?」

 いよいよ敵のチャージがマックスに達して自分へと放たれようとしていた、その時。

「うぁ……今度は何!?ポケットが……光って……?」

 恐る恐る手をポケットに入れ、中身から光る物の正体を取り出そうとする。

「す、スマ、ホ……?」

 現代の日本で老若男女問わず誰しもが持ち始めているスマートフォン。それは自分のズボンの中に確かに存在した。

「データの収集が完了しました。アプリを起動します」

 どこからともなく、辺りに響く女性のような声が。それが聞こえた瞬間、スマホは更に光り、自分の前に魔法陣?のような物が現れた。その魔法陣もどきから黒いシルエットがゆっくりこちらにやってくる。

「な、なに……誰……?」

「主様っ呼びましたかっ!?」

「だ、誰ぇぇ!?喋ったぁぁ!?」

 現れたのはモフモフの体毛に鹿、またはトナカイのような細長い角を持った小さい生き物。それはスマホから飛び出てくるかのように出現したその生物は自分のことを「主様」と呼んだ。これはアニメでよくある召喚者と使い魔みたいなやつで言われる主従関係的な時に聞くやーつ。でもここ夢だし自分はいつこんな存在を手に入れた?

「貴方の使い魔バムー君で~すっ!」

 場に適さない元気な自己紹介に少しムカついて殴った。

「いでっ!ひ、酷いですよぉ!主様ぁ!」

「悠長に自己紹介するのが悪い!こっちは今死にそうだってのに!助けに来たのならその責務を果たしてよ!」

 光は消え失せ一時的な身衣も霧消してしまった。神々しさに怯んでいた獣もすぐに立ち直り再度攻撃態勢をとる。それを見たバムーと名乗るその小さいモフモフは、ハッ……!といわんばかりに目を見開いた。すぐさま冷静を取り戻しこちらに振り向く。

「それでは主様っ!土壇場ですが僕に続いて詠唱してください!大丈夫です!短いですからっ!」

「えっ……!?わ、わかった……!」

 何が何だか全く理解できないがとにかく相手の言うことをリピートすればいいのだろう。

『廻るは理念、歪むは世界、今こそ再創せよ!』

 何もなかった自分の手から突如として現れ燦然と輝きだした謎の紋章。そこからゆっくり剣のような何かが現れた。

「グルゥゥ……!」

 その光に何を覚えたのか、猛獣は身体を震わせ足を竦ませていた。野生の本能が逃げろと言っている、しかし殺されるという恐ろしさに怯え脳が混乱しどうすればいいのかと動くことができない。

 やがて剣は姿を現した。その手触りはやけにしっくりくる、まるで昔からそれを使っていたかのように。そしてバムーに合わせ自分たちは叫んだ。

『出でよッ……影刀裂尾!璃廻再世インフィニティ・オーバーロード!』

 その叫びと共に自分の身体は宙へ舞い熊へと斬りかかっていた。その武器の使い方など知るはずがない、それなのに……。これはいわゆる、脳の判断より身体が勝手に動くやーつ。熊が本能に従おうと身体が勝手に動いたように、今自分も本能に身を任せているのだ。

 スパンッ!という音と同時熊は十二時の方向へ吹っ飛んで行った。だが胴体が斬れるようなことは無かった。再び立ち上がりこちらを睨み、また襲ってくるかと思われたが、こちらを見た熊は先ほどの威勢とは真逆に、怯えて森の奥へと逃げていった。

「ふぇ……ひェ……」

 バサッと地面に腰を下ろした、腰が抜けたという表現の方が正しいだろうか。自分より何倍も強いはずの熊を、確かにこの手で倒した。驚きと嬉しさ、遅れて怖さが自分を覆う。

「初陣、お疲れ様ですっ!主様っ!さすが僕の主様ですぅ~!」

 自分の周りを鬱陶しい蚊の如く飛び回りこちらを褒めてくるバムー。何度見ても不思議な生物だ。

「あ、あなたは何々ですか、夢の中の妖精ですか……!?あと、あの技は……?」

 首をかしげながらバムーは喋る。

「夢の中の妖精……?僕を妖精だと思うのはいいですけど、夢の中の妖精ではないですよ?というかこれ夢じゃないし……」

「そ、そんなはずない……!じ、自分は……駅に……ん?違う、森に……?海……?」

 思い出せない。

 自分がここに来る前の記憶がどこか曖昧で……。所々、断片的な風景が思い出そうとする度頭に出てきて、脳を痛めてくる。まるでそれ以上を思い出すなと言われているかのよう。

「ど、どうかしましたぁ?」

 心配そうな顔でこちらを覗いてくる。とりあえず落ち着いて次の質問を訊く。

「な、なんでもない……それより、あの剣技は……?」

「お教えしましょう!僕の説明はとても上手なので!」

(ムカつくな……)

 可愛さに免じて許した。

 その剣の名は影刀裂尾えいとうれつび。それはいくつもの他世界にある『理』のひとつを呼び覚まし剣に宿す、という武器。『理』というのはその世界を構成するにおいて一番中枢となるもの。

「今回呼び覚ましたのは『弱肉強食』。弱い者は強い者に喰われるという自然の摂理。生態系の頂点である人間に熊如きが勝てるはずありませんっ、ですのでその『理』を今一度、斬刀すると共に刻み込んでやった、というわけです!」

 四字熟語=理……?

 よくわからないがサバンナなどで聞く『弱肉強食』という四字熟語。バムーが言った通り、ライオンや虎。ハイエナなどの肉食動物と呼ばれる強者。シマウマやウサギ、キリンやゾウなどの草食動物と呼ばれる弱者。弱者は強者に喰われるという運命、自然の摂理。これは動物界にとって世の末である。

「いやぁ……にしても主様っ初めてなのにすごかったですぅ……最強も夢じゃないかもっ……えへっ」

 様々な事が起きすぎて冷静に考えてなかったが、あの熊、剣で斬られて生きていた。いや、斬れなかったから自分は吹き飛ばすという選択を取ったのだと思う、容姿だけは極々普通の熊(破壊光線をチャージしてたのは除く)ならば鋭い鉄の刃に当たったのなら身体は今頃両断されてるはずなのに現実はただ本能に『弱肉強食』が刻まれ逃亡しただけ。

「か、硬すぎるでしょ……あの熊……」

 今更ながらあの熊がどれだけ異質でこの世の、ましてや自分のいた世界の、自分の知る熊とは全く違う。それを理解して、背筋が凍った。

 そして自分は再度同じ質問をする。

「ほ、本当に夢じゃない……?じゃぁ、ここは……?」

「う~ん、恐怖で記憶が混乱でもしてます?ここは夢じゃないですよ、神々が愛す地、アトラシアですっ!」

 神々が、愛す……土地……?

 神といっても種類がある。その内のどれだろう?ギリシャ神話?それともエジプト神話?中国神話?

 考えるだけ結局無駄であるのはわかっていた。

 風が吹き、酸素多めの空気が自身の肌に触れる。その風が吹く度自分に付いている体毛が靡いて不思議な感覚だ。

 本当はたくさん訊きたい事がある、だがここにいれば、いつ、また何かの猛獣に襲われるかは時間の問題であろう。

「ささっ、主様っ!スマホを取ってください!」

「あ、あ、うん」

 宙を浮き独りでに動き始めたスマホはすぐに自分の手の中にフィットした。

「えぇっと、とりあえず……よろ、しく?バムー君」

 その言葉に目を輝かせ嬉しそうにバムーは喋る。

「わぁい!主様が僕のことを名前で呼んでくれました!これからよろしくですぅ!」

 だけれどこの小さな妖精一匹に頼るのも如何なものか。自分はスマホを開いて助けを要請することはできないかとにかく触った。そして不意に、画面の端の端に、ひとつのアプリが入ってることに気づいた。

「これは……まさか……?」

 戦闘中、聞こえた女性のような、機械のような音声。あれは「アプリのダウンロード」が何とか言っていた覚えがある。これがその『アプリ』だろうか。バムー君なら何か知っているだろうか。

「何……これ?」

「それはゲーム、通話連絡アプリ。Noticsノーティズそれを起動して領域を展開して武器を呼び出すことができるのですっ!登録したユーザーと連絡を取ることもできますよっ!」

 ネットも繋がってないような世界なのによく出来ているアプリだ。とりあえず今自分は安心が欲しい。画面にある『友達追加』を押して適当に番号を打つ、この妖精意外にも話し相手が欲しい、できるはずがないが……可能なことなら日本人がいい……。

 

「……っ!つながった……!」

 奇跡ともいえる事だった。

 森の中の洞窟に身を隠しながら、何回も8桁近くの番号を打ち続けた。もうどれだけの時間が過ぎただろう?外を見れば日が落ちて、空は赤よりの藍色に変わっていた。

「誰でしょう?この人」

 肩をよじ登ってニョキっと現れ画面を覗くバムー。

 名前は無名、それでも安堵が欲しかった。誰か同年代くらいの、まともに話せる人が欲しかった。半ば、無我夢中で『友達追加』を押してトーク画面に文字を打つ。

「誰だかわかりませんが、助けてください」

 一旦この一文を送る、頼む返信が来てくれと祈りながらその画面をバムーと眺める。その時だった。

「これは……誰?」

 返って来た!

 それだけで胸が熱く、涙が出るかのような状態になった。自分は状況の説明とこれからの相談相手になってほしいことを伝えた。

 

 『地球じゃない?』

 


 「はい、わからないけれど、多分、明らかにここは日本じゃないんです。」

 「今いるの場所は深い森の中で、そろそろ夜になるんですっ。お願いです!話し相手になってください!」

 

 

 『わかった、もう少し今の情報と、これまでの情報、そして君の名前も教えて』

 

 

 「えーっと……自分の名前はビークと言います、ごめんなさい、記憶が曖昧で……これが自分の本当の名前かもわからないんですけど……頭にパッと出てきたので」

 「今は洞窟の中で朝まで待機しています、すごく暗くて怖い……」

 「使い魔?っていえばいいのかな、隣に妖精?バムー君っていうんですけど、その子に助けてもらいました」

 

 

 『助けてくれる存在があるなら必要なくないかい?』

 

 

 「この子だけだと心配なんですよ!ハッキリ言って頼りになる気がしません!」

 「だからガムシャラに友達追加で番号打ってたら貴方に会ったんです」

 「お願いですっ!見捨てないで!」

 

 

 『わかった。よろしく、こっちは夜だから寝るよ』


 

 「ありがとうございますっ!」

 「あっ、待ってくださいひとつ訊きたいんです」

 

 

 『なに?』

 

 

 「貴方は日本人ですか?それともこの世界の住人?」

 

 

 『うん、日本人』

 

 

 「よかったぁ!日本人じゃなければ話づらかったんですけど、安心しました!」

 「そちらは仕事とかありますから早く寝たいですよね……すみません、では、また明日!」


 

 『おやすみ』

 

 

 「はいっ!自分も寝ようと思いますっ!おやすみなさい!」



 画面を閉じて、草や葉で作った多少は暖かくなる掛け布団(笑)を自身の身衣にする。バムー君はスマホからいつでも召喚したり、解除したりできるらしい。バムー君をスマホの中に戻し、スマホは地へそっと置く。これは命綱だ。無くなれば自分はこの世界で生きていけないだろう。

 季節は恐らく冬で、冷たい風が身体を刺激し震わせる。

「本当に、異世界に来ちゃったのか……」

 誰にも届かないこの言葉、誰にも理解できないこの言葉。

 夢じゃない。身体の震えや土の感触、そしてバムー君の言葉。それが如何に現実だということを確実化させているのか。

 もう考えても仕方がない。とにかく、生きなくてはならないのだ。目を閉じて暗闇に呑まれて行く…………。

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星骸の継承者 かい @kaisangames398

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