エコーチェンバーの悪魔
わたねべ
エコーチェンバーの悪魔
配信者として活動を始めて1か月。私は、27インチのモニターに広がる世界にのめり込んでいた。
ヤクモソウの妖精ヤクモちゃん。イメージカラーは薄紫。それがこの世界での私の姿だ。
現実で感じる息苦しさや疎外感とは無縁の、温かな電子の世界。それが私の新たな居場所だった。
「みんな、こんばんは!」
画面越しの挨拶がコメント欄にこだまする。
『こんばんはー』『きました!』『こんばんは~』
私に向けられるその言葉は、今日も私の存在を形作る。
私のような配信者は、他者にその存在を認識されなければ、心臓が動いているからと言って生きているとは言えない。
誰かに見つけられているから生きているのだ。今日も私の心臓は、画面の中の顔も知らない視聴者たちによってその機能を保っている。
学校やバイトでも別に無視をされているというわけではないが、必要最低限のパーツとして存在しているに過ぎなかった。
だからこそ、モニターの中だけが私に生を実感させてくれる大切な空間だった。
「今日は告知通り、昨日の続きをやるよー」
ゲームをしながら、簡単な雑談をする。よくある配信のスタイルだ。
最近では3~4人は固定で見に来てくれるファンもついて、そのほかにも毎日大体20人くらいは、入れ替わり立ち替わり見に来てくれる方がいる。
配信をしていない時間でも、Xで悩みをポストすれば、フォロワーの方たちが優しく相談に乗ってくれる。
私は講義とアルバイト以外で起きているほとんどの時間を、この新たなコミュニティの中で過ごすようになっていた。
「今日バイト先で嫌味を言われて〜」
私が愚痴をこぼすと、画面の端に流れるコメント欄には優しい言葉が流れる。
『それはひどい』『ヤクモちゃんは悪くないよ』
本当に救われる。
私はお金稼ぎだとか、有名になることが目的ではなかった。
もちろん、この楽しい趣味でお金を稼げればそれに越したことはないが、何よりもこうして私を肯定してくれるこのコミュニティにいることが、ただ好きだった。
お客様は神様なんて言葉があるが、視聴者様は私にとってまさに神様のように思えた。
「最近お母さんがさー、家のことも手伝いなさいって言うんだけど、みんなとの時間をもっと取りたいから許してって頼んでるのに、ぜんっぜん分かってくれないの!」
『お母さんの気持ちもわかるけれど、ヤクモちゃんはみんなのために頑張ってくれてるだけだから、そこは理解してほしいよね』『子どもなんだからしっかり甘えないと!』
「クラスでたまに話す子が、授業中もずっとスマホ触るのやめた方がいいっていうんだけどさ、正直余計なお世話じゃない?」
『え!そんな奴いるの?かわいそうすぎる…』『行動制限して支配しようとするような人っているよね。気を付けて!』
画面の向こうにいるのは、私のことを一番に理解してくれる人たち。身近にいる誰よりも、私のことを考えて導いてくれる。
彼らは私の考えを理解して、いつだって寄り添ってくれた。
やがて、私は家族との会話を避けるようになり、家事を手伝うことも無くなった。
自然と食事も自室で済ませることが増え、比例して両親の小言が多くなった。
ドア越しに母の声が聞こえる。
「いつまでそんなことしてるの?」
うるさいな、と心の中で呟く。彼らにこのことを相談すれば、みんなは口々に『ヤクモちゃんのお母さん、ひどいね』『親なんだから、もっと理解してあげなきゃ』と怒ってくれた。
ある日、学校の友達から連絡があった。
「ねえ、最近どうしたの? 心配だよ」
「何が心配? 私は元気だよ」
そう返すと、友達は怒ったような口調で言った。
「元気に思えないよ! ちゃんと学校に来てよ!」
私はこの友人の独りよがりの正義感が、その偏った考え方が許せなかった。
「余計なお世話だよ」
私の声は、私の中のみんなの言葉を代弁しているようだった。友達はさらに続ける。
「ねえ、最近講義中もずっとスマホをいじってるし、らしくないよ」
「らしくないって、何様のつもり?それに大学の勉強なんて結局は暗記ばっかりでしょ。それなら、スマホでいろんな動画を見て知見を広げたり、物事の本質を見極める力を養う方が効率的じゃん」
友達は何も言い返せず、通話は途切れた。彼女はきっと、自分で考えることが苦手なのだろう。何が大切で何をするべきなのか。物事の本質を見ることができずに、型にはまった優等生を演じることで、自身の優位性をアピールすることしかできないのだ。
私はすぐにそのことを配信で話した。
「今日、学校の友達が『最近おかしい』って言ってきたんだけど、どう思う?」
そう問いかけると、コメント欄が荒れ始めた。
私の心を代弁するかのように、言葉の雨が降り注ぐ。そうだ、その通りだ。私は悪くない。みんなの言う通り、私と彼女では地頭の良さが違うのだろう。そう思うと少し言いすぎたかもしれないと反省した。
「ありがとう。でも私もちょっとムキになってたかも。もう少し理解してもらえるようにかみ砕いて話すようにしてみるよ」
配信を終えて静かになった部屋で、ぼーっと虚空を眺めながらキーボードを指でなでる。
一人で考え事をするときはいつもこうだった。
最近なんだか、両親も学校の奴らも話が合わないと感じていた。きっと今までもそうだったが、私は自分の居場所を守るためにも彼らにどこか合わせて生きていたのだろう。
しかし、配信をするようになってからは、視野が広がり、狭い範囲の人間にへつらって生きるのがどれほどもったいないことかと思い知らされた。
先日見かけたショート動画で学んだことだが、IQが20ほど違うだけで、会話が成立しないのだという。
配信のネタとして試したIQテストでは、IQ130相当でそのサイトのグラフで見てもかなり上位に入っていた。配信外でも何度か別のテストを試してみたがどれも平均値は超えていた。
もしかしたら本当に、IQが違いすぎて話がかみ合わないのかもしれない。バカにするわけではないが、そう考えると今までの違和感も腹落ちする。
私は配信をするたびに、SNSを使うたびに、近しい人間が次第に愚かに見えてきた。
私自身、最近は考え方が変わったことに気が付いていたし、そのせいで周りからよくない目で見られていることも理解していた。
私がおかしいのかな、などと考え悩むこともあった。
でも、考えれば考えるほど私は正論しか言っていないし、それを否定する両親や学校の子達がどうしようもなく理解できなくなっていた。
無理やり理解するとしたら、きっと彼らは保守的で古い考え方しかできないのだ。
それに対して私は新しい環境に身を置き、日頃から新たな知識を獲得する努力も怠らない。
最近ではYouTubeなどから無料でとてつもない量の情報を得ることができる。もちろんその信憑性が怪しい時にはうのみにせずに、ChatGPTに質問することも忘れない。
最近は「老害」という言葉に加えて「若年老害」という言葉も出てきた。
私が思うに「老害」とは変化することをやめて、それを他人にも押し付ける人間のことだ。
彼らはどうだろう。まさしく「老害」に当てはまる。こうしたアプローチで考えると、やはり彼らが異常で、私が正しいのだ。
手の届く範囲の日常で繰り広げられる民主主義では私の居場所はなく、その心臓は止まっていたに等しい。
配信を通して、SNSを通して、より広い世界で行われる民主主義では、私は正しい存在で、生きることを初めて許されたのだ。
この小さな部屋で、私は何にも困ることはない。食事はドアの前に置いてくれるし、食べ終わった食器は勝手に消えている。服はいつの間にか洗濯され、畳まれてタンスに戻されている。私はただ、配信をしていればいい。それだけで、私の世界は満たされる。
みんなが私を見てくれる。私が好きだと言ったアニメやゲームの話を、みんなも夢中になって話してくれる。
私はただ、画面の中の彼らと会話しているだけでいい。彼らは、私とまったく同じ考え方を持っている。時々わけのわからないことを言う奴もいるが、彼らは頭が悪いのだ。
そうした奴らは総じて主張している内容に筋が通っていない。
「だから私、常々思うんだよね。こっち側が大人にならないとって」
「んー、偉いっていうか、みんなみたいにちゃんと考えてから発言してくれる人ならいいけれど、世の中ってそういう人があんまりいないからさ。まともに相手してたら疲れちゃうのかなって」
私は配信活動を続けていたが、あまり視聴者数は増えていない。しかし最近はその理由が明確になってきた。
視聴者が配信者に求めているのは、程よく見下せる身近な人であり、私のように本質を求める人間ではないのだ。しかし、そんな私にもある程度のファンはいて、彼らはみな、私と同じように聡明だった。
類は友を呼ぶ、ここまでぴったりなことわざはないだろう。
私は配信に使う時間がますます増えていった。
「最近バイトやめたんだよねー」
ゲーム配信をしながら話すとコメント欄が激しく動く。
『若い時の時間って貴重だからね』『そもそも最低賃金でこき使うのが信じられん』
「ほんっとそうだよねえ。それなら就職するまでは少し無理してでも、親が子どもにお小遣いなりをあげて、子どもは自分のために時間をたくさん使った方が絶対将来的にはプラスだと思うわけ」
周りの合理的ではない人たちには理解されなかったこの話も、理解してくれる人がいる。私は建設的な会話ができない周りの人間にますます辟易していった。
ドンッドンッドンッ!
配信中だというのに部屋の扉を叩く音が聞こえる。
「親フラだあ。ごめんちょっとミュートするね」
私は扉を勢いよく引き開け、目の前にいた母をキッとにらみつける。
「用があるときはラインしてって言ってるよね?なんなの!」
私が大きな声を出すと母はその場にへたり込み、年甲斐もなく嗚咽を漏らしながらすすり泣いた。
「もうどうすればいいかわからないよ。最近は大学だって行かないし、このままで将来どうするの?お父さんやお母さんがいつまでもいるわけじゃないんだよ」
震える声で話す母の体はやけに小さく見えた。
「誰にも迷惑かけてないしほっといてよ」
「お母さんはもう限界よ。お母さんはあなたの奴隷じゃないの!可愛い娘のためなら、頑張ってご飯も作るし、きれいな服を着てもらうために洗濯だって喜んでするけれど、あなた最近は一緒にご飯すら食べないでラインで自分の欲しいものを一方的に伝えるだけじゃない!」
「勝手に生んでおいて何言ってるの!嫌なら初めから私を生まなきゃよかったじゃない!」
騒ぎを聞きつけた父が階段を上がり、私の部屋の前まで来ていた。
「まずは二人とも落ち着きなさい。ヒガナ、お前は明日の朝必ずリビングに来なさい。話がある」
お母さんを支えて階段を下りる父に何も言わずに部屋へと戻る。
バアンッ!!
私はドアに八つ当たりするように力任せに閉めた。
アドレナリンでバクバク音を立てる心臓は一向に落ち着かない。「今日は配信止めるね」とだけコメント欄に打ち込み、配信を終了した。
食事は何もしなくても出てくる。服は勝手に洗濯されて畳まれる。
でもこれは母のおかげだ。
電気代を払わなくても電気がつくし、インターネットにもつながる。
でもこれは父のおかげだ。
困ることはなかった。
でもそれは自分の力でもなく、配信を見に来てくれる彼らのおかげでもなく両親のおかげだった。
その晩は涙が止まらなかった。
母を泣かせてしまった罪悪感なのか、初めて見る冷たい父の視線なのか、両親から注がれている愛情に唾を吐き達観していた自分が原因なのか、どれが原因かなんて話ではなく、どれもこれも、頭に思い浮かんでいること以外もすべてひっくるめた、酷く濁った感情の粒があふれて止まらなかった。
私が振りかざす正論は私を主体にしたときのみ完璧な理論で、その主体を変えればあまりにも幼稚な主張だったのかもしれない。
でも自分の人生は自分のものであって、自分を主として考えることも悪いことだとは思えない。私はぐるぐると思考を巡らせたまま、いつの間にか眠っていた。
翌朝私は、父の言った言葉を思い出していた。
泣いて、寝て、すっきりした私は久しぶりに朝食の時間にリビングに顔を出す。
「座りなさい」
お父さんは思いのほか優しい声色をしていた。
「落ち着いたかい?」
昨日たくさん泣いたはずなのにまた涙が出てきた。
「ごっごめんなさい...」
私は母の方を見て、ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら謝った。
別に謝ろうと思っていたわけではないが、自然と口から謝罪の言葉が発せられていた。
涙をぬぐうと、目の前で母が私と同じくらい泣いていた。
「ほらほら、ヒガナも今日は一緒にご飯を食べるだろ?」
私はズビズビと鼻を鳴らしながら、ぐしゃぐしゃの顔でこくりとうなずいた。
「お父さん仕事の時間は大丈夫なの?」
「今日は休みを取ったんだ。お父さんがちゃんと向かい合ってなかったのが一番悪いから」
私は自分の視野の狭さが恥ずかしかった。私が小馬鹿にしていた両親は、私よりも広い視野で物事を見ており、何よりも私のことを見ていてくれた。
これまでの愚行とも呼べる行動を見直すためにも少しだけ、配信からは距離を取ることにした。
三日ほどたち、気持ちの整理がついた私は配信を開始する。
趣味のゲームをやりながら、私は先日の出来事を話す。
コメント欄はこれまでとは変わった考え方をする意見を否定することはなかった。
「やっぱり両親は味方なんだよね」「ちゃんと立ち止まって客観的に見れるのってなかなかできないことですよ」
私は、やっぱり両親だけは常に私の味方で、それは視聴者のみんなも分かってくれるんだと、すごくうれしくなった。
コメント欄は動き続けている。ふと、視界の端に映る逆接の文字が目についた。
「でも」
続きの文も認識しようと目を横に滑らせる。
「でも、結局は自分の人生なんだから。自分の気持ちを大切にね!」
私は今日も、私と同じ本物を求める視聴者たちと深い議論を交わす。視聴者は少ないながら、逆にそれが私が洗練されていることを認識させてくれる。
部屋にいてもご飯は勝手に出てくるし、電気代を払わなくたって部屋の電気はついている。
私はこのまま、ずっとここで配信を続けていく。
だって、この部屋は私のすべて。この27インチのモニターが、私の世界なんだから。
「ねえ、みんな。こんなに満たされた世界が他にある?」
窓の外からは不快で頭の悪そうなカップルの会話が聞こえていた。
今年は誕生日プレゼントに防音設備をプレゼントしてもらおう。そう決めて、ヘッドセットに届く音量を少しだけ大きくすると、外の声は聞こえなくなった。
彼女は今日も繰り返す。
何の信憑性もない無料のIQテストの結果を握りしめ、素人が自身満々に話す無責任な情報を取り込み、一年前のインプットデータで止まる旧バージョンのAIと対話する。
そうして身にまとった、外付けのガラクタは彼女の求める本質からは程遠く、ほとんどはただのゴミと言わざるを得ない。
そうして必死に集めたゴミは、だんだんと彼女の周りに積み上がる。
ゴミの壁は彼女の視界を奪い、彼女を励ます悪魔の声を反射させる。
心地よい他責の海の沖合で、彼女は一人満足げな笑顔を浮かべていた。
エコーチェンバーの悪魔 わたねべ @watanebe
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