第3話 火の夜

その雑居ビルは、かつては三階建てだった。

最上階にあったのは、やはり中華料理屋だったという。テーブルは赤いビニールで覆われ、壁には油染みがこびりついていた。狭いながらも繁盛しており、夜な夜な常連客が餃子や炒飯を肴に酒を飲んでいた。


――あの火事は、梅雨明けの蒸し暑い夜に起きた。


厨房から突然「ボッ」という音が響き、次の瞬間には火柱が油に引火した。換気扇を伝って炎は天井へと這い上がり、瞬く間に店内を赤黒く照らした。


店員が消火器を掴んだが、既に油鍋からは火の玉が弾け飛び、客の服に燃え移った。悲鳴が店を満たす。テーブルクロスはすぐに炎を吸い込み、座っていた客の脚を焼いた。


煙は天井にこもり、息を吸えば喉が焼ける。咳き込みながら出口へと殺到するが、狭い階段にはもう炎が降りていた。熱気で壁紙が剥がれ落ち、階段の手すりは真っ赤に焼けて触れることもできない。


誰かが窓を割った。だが雑居ビルの三階――飛び降りようとした男は、一瞬ためらったすきに煙に巻かれ、崩れるように倒れた。


店内に取り残された数名は、テーブルの下に潜り込んだ。

しかし炎は追い詰めるように足元から迫り、髪の毛が焦げる臭いと肉の焼ける音が混ざった。やがて、ひとり、またひとりと動かなくなっていった。


その中に、ラーメンをすすっていた常連の中年男がいた。丼には麺が半分残っていたという。

彼は最後まで箸を握りしめ、煙の向こうに出口を探していた。だが見つけることなく、視界は赤と黒に溶け、咳き込みながら椅子に崩れ落ちた。


――火が消し止められたとき、残っていたのは真っ黒に炭化した壁と、熱で歪んだ鍋、そして食べかけのラーメン丼だけだった。


以来、そのフロアは解体され、二階が最上階として営業を再開した。

だが、火に呑まれた彼らの「食べ残しの記憶」だけは、二階の片隅に今も座り続けている。

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四○谷駅徒歩5分 おいしい中華料理屋の話 彼辞(ひじ) @PQTY

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