第二章 リュストアへの旅路②

 家に戻ったアメリアは、ユリシスからの手紙を再度開いた。

 何度見ても、そこに並ぶのはただ一行だけ。

「ふふっ……美辞麗句もなく、用件だけだなんて」

 口元がふわりと緩む。曲がりなりにも婚約者への文だ。もっと遠回しな言葉を並べ、形式を重んじた文を寄越すところだろう。

 だが、ユリシスの文面は驚くほど率直で、軍人の報告書のように簡潔だ。

 飾り気のないところが、反対に心地いい。

「リュストアは、どんなところなのかしら……」

 手紙を丁寧に畳んだアメリアは、そっと目を閉じて疲れた体を椅子に預ける。

 誰にともなく呟(つぶや)いた声は、夜の静寂にやさしく溶けていった。



 翌日、ロザリーに髪を整えてもらいながら、アメリアは昨夜の王宮の騒ぎを聞いた。

 王妃付きの侍女たちの間で『絹の呪い』をめぐる口論が起き、責任の押し付け合いになったらしい。ひとりは手が腫れ上がったと騒いで、宮廷医まで呼ばれたのだとか。

 毒を含んだ絹──もちろん、すべてはデタラメだ。けれど「呪われた布」という噂(うわさ)は、恐怖と罪悪感の中で勝手に膨れ上がる。

 罪を犯した者ほど、見えない何かに怯えるものだ。

「侍女長に命令されたとか、王妃殿下の指示だとか、皆の前で責任の押し付け合いをする大騒ぎだったようです」

「まあ。それは大変」

「王宮から、解呪の方法についての問い合わせが来ておりますが、いかがされますか?」

 ロザリーが首を傾(かし)げる。侯爵家に頼み事ができるということは、呪いを受けたのはもっと身分の高い者──つまり、王妃自身も関わっているのだろう。怯えているのだ。

「そうね……最も苦いと言われる薬草をお示ししましょうか」

「承知しました」

 ロザリーと目で合図をしたあと、アメリアは鏡の中で静かに微笑んだ。



 準備を整えている内に、約束の二十日がとうとうやって来た。

 王都を出る朝は、思っていたよりも静かだった。没落寸前令嬢の荷物といえば最低限の衣服と文具くらいなのだから、身軽なものだ。

 加えて、ロザリーが美しく修繕した婚礼衣装も持っていかなくては。

(よし、これでいいわね)

 アメリアはお気に入りの藤色のデイドレスに身を包み、鏡の前で最後の身支度を整える。

 淡く控えめな色合いだが、移動には動きやすく、家族との最後の朝を過ごすのにふさわしい一着だった。

 エントランスに向かうと、そこに家族がみな揃(そろ)っていた。

 父は今、エドマンドと二人で執務にあたっている。

「姉さん、これを持っていって」

 エドマンドが手に持っていた包みを差し出す。

 アメリアが受け取って包みを開くと、そこにはルビーの首飾りと耳飾りが並んでいた。朝の光を反射して、まばゆい赤の輝きが弾(はじ)ける。

「とても素敵ね」

「姉さんに似合うと思って。王都を出る前に、どうしても渡しておきたかったんだ」

 不器用に言葉を選ぶ弟の声に、ほんのり照れが混じっている。

「ありがとう、エドマンド。あなたの贈り物なら、何よりの護符になりそうだわ」

「リュストア公爵が、どんな人かまだわからないからさ。いざという時、少しでも姉さんの味方になるものをと思って」

 リュストアでの生活は未知数だ。それを見越して、エドマンドは花嫁の財産となる宝飾品を託してくれたのだ。

 以前はたくさんあった宝石類も、今はほとんどなくなっていた。これを用意するのも大変だっただろうに。

 いつものように事もなげに言うが、その琥(こ)珀(はく)の瞳には隠しきれない心配の色が浮かんでいる。胸がじんと熱くなったアメリアは、小さく笑って頷(うなず)く。

「エドマンドったら心配性ね。でも、その優しさにどれほど救われてきたかしら」

 エドマンドは視線を逸らしたあと、静かに俯(うつむ)いた。

「……本当は、もっと盛大に祝われるべき人なのに」

 その声には、押し殺した悔しさがにじんでいた。

(状況を考えれば仕方のないことだと割り切っているけれど、エドマンドは違うのね)

 王都での婚礼の儀は取りやめとなり、リュストアでは簡易的な式を執り行うと聞いている。華やかな祝宴も、参列者もない。だが、それは財を失いかけたグランディール家にとってはむしろ救いでもあった。

 今のグランディールを鑑(かんが)みると、王都を離れられる状況でもない。だから、リュストアにはアメリアとロザリーだけが向かうと決まっていた。

 自分の立場を思えば、静かな婚礼のほうが逆にいいとさえ思っていた。それでも、こうして心を尽くしてくれる弟がいる。

「ありがとう、エドマンド。わたくしはあなたがこうして祝ってくれるだけで十分よ」

 そう言ってアメリアが微笑むと、エドマンドは一瞬だけ唇を引き結び、照れくさそうに頷いた。

 本当に、かわいい弟だ。アメリアが心の中でそっと呟くと、エドマンドの肩を軽く叩(たた)くようにして、父が前に出た。

「アメリア、道中は長い。体調にだけは気をつけるのだぞ」

「はい、お父様」

 いつになく真剣な父の声に、アメリアは穏やかに頷く。

「……お前には、大変な苦労を、かけ……っ」

 言葉の途中で、父の声が詰まる。涙をこらえようとするが、ぐしゃりと顔をゆがめてしまい、ついには大粒の涙がこぼれ落ちた。

「お父様ったら。わたくし、まだ何も苦労しておりませんわ」

 アメリアは苦笑して肩をすくめる。

「王宮暮らしよりもずっと良(い)いとさえ思っていますもの。登城なんて、二度行っただけで十分ですわ。もう行かなくていいなら、せいせいします」

 冗談めかして言うその声が、妙に明るく響いた。

 父は娘の言葉にぽかんとしたあと、ぐっと唇を噛(か)み、さらに号泣を始めた。

「アメリア……っ! なんて健気(けなげ)なんだ……! わたしは……私は不(ふ)甲斐(がい)ない父親だ……!」

「お父様、落ち着いてくださいませ」

「だってお前が……すごくいい子だから……!」

 びしりと指をさされ、褒(ほ)められてしまった。いい子だなんて、幼子にするような褒め方。

 だけれどそれが、妙に心地よい。

 エドマンドはとんでもないものを見るような顔で、えぐえぐと泣く父を眺めている。

「あらあら……仕方のない人ねえ」

 父を呆(あき)れた笑顔で見つめながら、静かに母が歩み寄ってくる。その手には深い藍色のコートを抱えていた。

「アメリア。これは、わたくしの大切なコートです。リュストアは寒い土地だと聞いているわ。古いもので悪いけれど、あなたに預けます」

「お母様……」

 アメリアは思わず息を呑む。

 しっとりとした手触りのコートは、幼いころから憧れていたものだ。外出の際に母がよく羽織っていた、落ち着いた藍色の布地。

「ありがとうございます。大切にしますわ」

 母の手を両手で包み込み、アメリアは微笑んだ。

「ええ……無理はしないでね。どんな土地でも、あなたらしく生きていけばいいのよ」

 母の言葉に、アメリアは小さく頷いた。

 胸の奥が、じわりと熱くなる。泣いてはいけないと思うのに、目の奥がぼんやりした。アメリアは静かに瞬きをして、それをやり過ごす。

「──アメリア様。リュストア公爵家の迎えの馬車が到着されたようです」

 外に控えていた家令が静かに告げた。

 屋敷の外から、蹄(ひづめ)の音が近づいてくる。

「わかりましたわ。ありがとう」

 重厚なエントランスに落ちる静寂は、まるで家族の緊張をそのまま映しているようだ。

 普段は動じないアメリアでさえ、指先をそっと組み合わせながら、珍しく胸の奥が落ち着かない。

 父は背筋を伸ばして立ち、母は祈るように手を胸の前で組んでいる。エドマンドは無言のまま、何度も襟元を直していた。

(大丈夫、きっとうまくいくわ。そうでないといけないの)

 アメリアは心の中でつぶやき、深く息を吸う。

 外からは規律正しい靴音が近づいてきた。重厚な音を立てて玄関の扉がゆっくりと開かれる。

(あれは……)

 差し込んだ朝の光の中に立っていたのは──迎えの使者ではなかった。

 黒髪を風に揺らし、金の瞳がまっすぐにこちらを見つめている。

 漆黒の軍装を思わせる外(がい)套(とう)の裾がひるがえり、その佇(たたず)まいは王都の空気を一瞬で張りつめさせた。

「グランディール侯爵令嬢を迎えに来た」

 低く澄んだ声が、屋敷の空気を震わせる。その一言に、誰もが息を呑んだ。

(まさか、公爵様ご本人がいらっしゃるなんて……?)

 アメリアは思わず目を見開いた。

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悪意しかない王命婚、確かに承りました ミズメ/角川ビーンズ文庫 @beans

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