第11話 純銀製のロザリオは、音がいい

翌朝、午前五時。


十月の朝の空気はひんやりと冷たく、まだあたりは薄暗い。

カルロは眠い目をこすりながら、缶コーヒー片手の佐藤の後ろをとぼとぼ歩いていた。


本日の依頼内容は、近所の老夫婦から預かった柴犬『コロ』の散歩。

文字にすれば、どこにでもある平和な田舎の朝である。


――のはずだった。


「……先生。気のせいでしょうか。コロさんの周り、妙にいませんか?」


「ああ、気づいたか。こいつ、昔から悪魔にやたら好かれんだよな。甘い匂いでもすんじゃねえか?」


佐藤は缶コーヒーをすすりながら、のんきに答えた。


見ると、尻尾をぶんぶん振ってご機嫌に歩くコロのまわりに、昨日トメさんの物置で見たような低級悪魔が、どこからともなくわらわらと集まってきていた。

その数、ざっと十匹。


「ギギッ」

「ギギギ」


もはや散歩ではない。

悪魔の朝礼である。


「よし、カルロ。アンダーはお前の持ち場だろ。昨日やったみたいに、そこらへんの枝でも拾って叩け」


佐藤に促され、カルロは一歩前に出た。


だが、昨日とは違う。

カルロはすでに、この便利屋の狂った実用主義に、ほんの少しだけ適応し始めていた。


「いえ、先生。僕は昨日、学習しました」


「ほう?」


「動く相手を仕留めるなら、木の枝では打率が落ちます。もっと手元が狂わず、僕自身の手に馴染んだを使うべきです」


そう言ってカルロがカソックのポケットから取り出したのは、バチカンから持参した純銀製の重厚なロザリオだった。


歴代の教皇の祝福を受けたと伝わる、歴史的価値も美術的価値も計り知れない、国宝級の聖遺物である。


「おい、それ……」


「これなら、僕の手の一部のように扱えます!」


カルロは純銀の十字架とチェーンを器用に拳へ巻きつけ、完全にメリケンサックめいた形に固定した。

ラテン語の詠唱など、最初からする気はない。


その時点で、だいぶ終わっていた。


ちょうど一匹の悪魔が、コロの尻尾へ飛びかかろうとした瞬間だった。


「せいやぁっ!!」


カルロは鋭く踏み込み、容赦のないストレートを悪魔の顔面へ叩き込んだ。


――パシィィィンッ!!!


純銀の硬質な音が、朝の公園に乾いた高音を響かせる。

悪魔は一撃で塵となって消滅した。


「ギ、ギギッ!?!?」


仲間があまりにも勢いよく殴り倒されたことに驚き、残りの悪魔たちが一斉にカルロへ向き直る。


「フッ……アンダー担当を、舐めないでいただきたい!」


ここからのカルロの動きは、もはや神がかっていた。


バチカンのエリートとして鍛え上げられた天性の動体視力。

長年の祈りで培われた集中力。

厳格な修練で叩き込まれた体幹。


それらすべてが今、完全に『効率的な害獣駆除』のためだけに覚醒していた。


迫り来る悪魔を、右ストレート。

左フック。

しゃがみ込みざまのアッパー。


「ペシッ!」

「バシッ!」

「パキィン!」


純銀製のロザリオは、佐藤の木工用ボンド十字架よりも硬く、絶妙な重量感があり、悪魔を殴るたびに実に気分のいい高音を響かせた。


神学の最高峰が、完全に打撃武器として機能していた。


「ふぅ……!」


わずか一分足らずで、十匹の悪魔はすべて消滅した。

コロだけが何も分かっていない顔で、足元で元気よく「ワン!」と吠えている。


実に平和な朝である。

少なくとも犬にとっては。


カルロが拳に巻いたロザリオをほどき、額の汗をぬぐっていると、隣からじっとりと熱い視線を感じた。


見ると、佐藤が缶コーヒーを片手に、カルロの持つ純銀の十字架を穴が空くほど見つめている。


「……おい、カルロ。それ、めちゃくちゃいい音すんな」


「え?」


「あのパシィンって感じ。金属の鳴りがいい。重さも良さそうだし、ハエ叩きとしてかなり完成度高いわ。それ、どこで売ってんだ? コメリか?」


「バチカンです。売っていません」


「ちぇっ。俺のボンドのやつ、たまに接着面がグラつくんだよな。それ一個くれよ」


「絶対に嫌です!」


カルロは反射的にロザリオを胸元へ引き寄せた。


「これは教皇聖下の祝福を受けた、我が家の家宝なんですから!」


まさか神学と信仰の結晶たる聖遺物を、

ハエ叩きとして性能が高いから譲ってほしい

という理由でねだられる日が来るとは、カルロも夢にも思っていなかった。


佐藤はなおも未練がましく十字架を見つめながら、口を尖らせる。


「いいじゃねえか。大根と交換しろよ」


「大根の価値と釣り合うわけがないでしょう!」


「二箱だぞ!」


「そういう問題ではありません!」


カルロは必死にロザリオをポケットへ押し込み、佐藤から距離を取る。


すると佐藤は、あきらめたような、あきらめていないような顔で肩をすくめた。


「ケチくせえなぁ。じゃあ今度バチカンから密輸してくれよ」


「密輸って言わないでください!」


まだ朝日も昇りきらない田舎の公園に、純銀製ロザリオを巡る不毛な言い争いが響く。


コロはそんな人間たちの事情など一切気にせず、楽しそうに地面の匂いを嗅いでいた。


カルロは深くため息をついた。

だが、ポケットの中の十字架は、ついさっき悪魔を殴り飛ばしたせいか、ほんのりと熱を帯びている。


(……バチカンへの報告書に、また書けないことが増えてしまったな)


心の中でそう呟きながら、カルロは小さく苦笑した。


信仰的に正しいのかは、もう分からない。

この国の悪魔祓いが、果たして正統なのかどうかも怪しい。

そもそも今朝の自分は、聖遺物を完全に拳の延長として使っていた。


本来なら、もっと深刻に悩むべきなのだろう。


けれど――


「おい、カルロ。ぼさっとすんな。コロが田んぼの方行くぞ」


「あっ、はい!」


リードを引っ張るコロに合わせて、佐藤がのんびり歩き出す。

カルロも慌ててその後を追いかけた。


冷たい朝の空気の中、柴犬は楽しそうに尻尾を振っている。

佐藤は相変わらず雑で、罰当たりで、聖職者としてどうかと思うことしか言わない。


それでも、その背中を追って歩くことに、もう昨日までのような強い拒絶感はなかった。


極東の守護聖人は、たぶん聖人なんかではない。

むしろかなりの確率で、危険な現場仕事に最適化された変なおじいちゃんである。


だが少なくとも、犬はちゃんと散歩させるし、悪魔もきっちり片づける。


その事実だけは、今日もやけに頼もしかった。

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2026年6月5日 20:00

悪魔祓いになって52年~魔界の重鎮ともだいたい顔見知りなので、お茶を飲みながらエクソシズムします〜 Wshin 俊介 @syunnsuke

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