英雄譚のそのあとで

依近

英雄譚のそのあとで


 流れる水面は、銀色をしていた。

 敷き詰められた数多の銀色を見続けたせいかも知れない。頭を振ると、硬い金属がぶつかる幻聴がした。

 波打つ銀色に、めくらで掴んだ石を投げた。

 溶けた金属の触手がグワッと伸びてきて異物を食らうイメージが脳裡を掠める。

 けれども、現実はイメージ通りなどではなくて。ぽちゃんと馴染のある音がして、水面から弾かれた飛沫が跳ねた。


 イメージのほうが消えて、感覚は現実へと戻ってくる。

 スイは、しゃがんだ膝の上に薄汚れたシャツの腕を伸ばして、空を見上げる。

 くすんだ青色の空に、汚れた雲が浮いていた。ズッと鳴らした鼻に、焦げた匂いが染みる。


 壊れたものを、誰かが必死で直そうとしている。

 そのことは、スイにも分かる。


 ゆっくりと、水平の位置まで下げていく視線。黒い土地が視界に入る。

 黒い、というのは比喩でもなんでもない。現実に、黒いのだ。

 土地も、木も、家も、建物も。何もかも全部焼けてしまったあとのように炭だけが残り、炎は見えないものの、今もまだどこかが燃え続けている。

 もうもうと立ち上る煙は空に浮く雲と繋がって、世界を薄暗く染めていた。


 まるで、この世の象徴のように。

 今確かに生きている足元の地面も、いずれああなるという暗示のように見えた。


「サボってんの?」


 背後から降ってきた声に、スイは薄い肩を大げさに跳ね上げた。

 浮かせていた尻が地面に落ちて、間の抜けた悲鳴が漏れる。


「あ、ごめん。大丈夫?」


 こっちの心臓は竦み上がっているというのに、呑気な声。スイは涙目になった目を上げて、体を覆うように差す人型の影を振り仰いだ。


「……トキ社長」


 トキはぼんやりとした色彩の世界でもはっきりと映える赤毛を揺らして、スイの顔を覗き込んでいた。

 褐色の肌に、髪と同じ色の瞳。分厚い胸板、大きな手。

 色白で、色素の抜けた髪に、薄緑の瞳と痩せた身体のスイとは真逆の男。

 トキは首を傾げて微笑むと、スイの方へと掌を差し出す。


「自分で立てます」

「そう? まあ、別に立たなくてもいいけどね」

「従業員を甘やかしすぎなんですよ、あなたは。もっと厳しくしたらいいのに」

「えぇー?」


 トキは素直に引っ込めた手を腰に当てて、困ったように笑う。

 スイが立ち上がると、高さの違う影がふたつ並んだ。大人と子供の、影。

 厚い胸板を隠すシャツの前は、スイよりも汚れがひどかった。

 突端の土地に立つ小さな工場。トキはその社長である。社長なのに、誰よりも長く現場に立って手を動かし続けている。


 工場で作っているのは、形も大きさも違う無数のネジだった。

 社長の指示で作られているものの、なんのためのネジなのか、古参の従業員ですら知らない。

 気にならないのか、と。スイは何度か問うたことがあるが、みんな苦笑して誤魔化すだけだった。

 得体が知れない。社長も、社長の作るものも。周りの大人たちも。

 ただ、それこそまるで機械のように、指示通り淡々と手を動かす日々を続けている。

 けれども、誰の目も死んでいない。そのことがスイには不気味に思えた。


「仕事は、退屈?」


 トキの声はずるい。いつもどこか、申し訳なさそうな色を含んでいるから。


「……別に。この間、旋盤の使い方を覚えました」


 トキはスイの隣に並んだ。視線は、黒い土地に向いている。スイもなんとなく、彼にならって同じ方を見る。


「そりゃすごい。君はすぐに腕の良い職人になるね」

「そうなったら、社長はうれしいですか?」

「そりゃあね。腕の良い職人は多いにこしたことはない。それに、君の選択肢も増えるよ。ここを離れてどこか別の場所で働くこともできる」


 スイは無意識に顔を歪める。

 別に、この場所に愛着があるというわけではない。

 どこもかしこも似たような風景。焼けた土地に、寄せ集めた廃材で作ったバラック。

 バラックは、雨風に弱くてすぐに壊れた。スイも、何度家を追われたか分からない。


 そんな暮らしの中で、〝壊れない建物〟の噂を聞いた。


 突端の地に、工場ができたらしい。働く代わりに、寝食の面倒も見てくれるという。

 噂を信じて、スイは歩いた。何日もかけてたどり着いた突端の地。そこで初めて工場を目にした時、廃材のバラックしか知らないスイには驚くほど立派な建物に見えた。


「……ここの他に、どこに行くって言うんです」


 雨風が打っても、倒れない丈夫な家。こんな立派な建物は、道中のどこにも見かけなかった。


「まあ、そうね。今はまだダメか。まだ……世界は壊れたままだもんな」


 壊れたまま、というけれど。

 スイは壊れる以前の世界を知らなかった。

 たった十数年前。大きな争いがあったという。人間と、もうひとつの種族――魔族と呼ばれる者との争いが。

 長く続いた侵略を、勇者が魔王を滅ぼしたことで、世界を人間の手に取り戻してくれたらしい。

 楽器を持って英雄の活躍を語り継ぐ老人から聴いた古い歌。娯楽と言えばそれしかなかったから、争いを知らない子供の誰もが、老人の歌を覚えている。


「勇者様は、魔王を倒したあとも続いていく世界のことなんて、どうでもよかったんでしょうか」


 ポツリと、つぶやいた。

 偉大な名前だけを遺して、今はもうどこにもいない人。魔王の討伐は、勇者の命と引き換えになされたのだと聞く。

 まるでハッピーエンドのように語られる英雄譚に「バッドエンドじゃん」と文句を言って、石を投げつけられた。その時の傷が、前髪の下で疼く。


「魔王を倒せるくらい強いなら、ちゃんと生き残って、その後の世界の面倒もみてくれたらよかったのに」

「あはは、酷だなあ、それは」


 黙って聞いていたトキが、急に胸を反らして笑い出した。スイは不満に唇を尖らせて、グッと息を詰める。


「まあ、もっともな話だとは思うけどね。それに勇者も、できることなら生き残りたかっただろうさ。生きて、自分が勝利したあとの世界で、手を振って凱旋パレードして、称賛を浴びたかっただろうさ」

「……それは、ちょっと……望みすぎじゃないですか?」

「ダメかあ」


 乾いた笑いが、銀色の川面を掠めて流れていく。海へと至る川の流れは緩やかで、時の流れと合っていない気がした。

 陽が少しずつ、西側に傾きかけている。


 スイはふと思う。こうしている間に、何本のネジを削り出せただろうか。

 隣に並ぶ、何を考えているのかいまいち分からないこの大人が、唯一他人に求めるものなのに。


 スイはそっと、奥歯を噛む。

 何も知らないけれど、生きている自分。何かを成そうとしている大人の隣にいる、まだ大人になりきれない年齢の自分。


 踵が浮きそうになる。背伸びしたところで何も変わらないのに。

 それでも、自分に見えていないものを、見てみたいと思った。


「なあ、スイ。あそこ、何か光ってるの分かる?」

「え?」


 ドキリ、と。心臓が跳ねる。心を読まれたのかと思った。

 スイは暴れる心音を誤魔化すように、眉の上に掌を添えて傘を作り、目を凝らす。

 もうもうと立ち上る煙の中に、一瞬、チラッと弾ける光が見えた気がした。


「……なんか、ある気がします」

「あそこにな、勇者がいるんだよ」

「えっ!?」


 自分でもびっくりするほどデカい声が出る。スイは慌てて口元を手で覆い、ゴクリと唾を呑んだ。


「なんであんなところに……? じゃなくて。え、本当に?」

「んぁ、正確には勇者じゃない。あそこにいるのは――勇者の像なんだ」

「……なんで、あんなところに?」


 狙ってないのに、同じ問いを繰り返していた。ニュアンスが違うので許されたいと思いつつ、スイは自分のボキャブラリーのなさに辟易する。

 トキはスイの心中などお構いなしに、憧憬の浮かぶ目を細める。


「魔王を討伐したあとさ、作ったんだよ。……その直後に、あの土地が燃えだした」


 トキが語る言葉は、映像として頭に思い浮かぶ。

 難しいことは何も言っていない。それなのに、理解ができない。


「多分、魔王の最後の意地だったんじゃないかな。でも、あいつの像だけは焼けなかった。

なんでだ、って触れたら……俺の知らない物質に変わってたんだよね――それはたぶん、こっちの意地」

「あの……え?」

「俺はもう一度、あの像を作りたいの。そうしたら、世界の理が変わる気がする。復興だって、あっという間に叶っちゃうみたいな、そんな気がするんだよね」

「……何を、言ってるんですか?」


 本気で問いかけていた。トキはスイの薄緑の瞳を見つめて目を細める。

 そしてスッ、と。唇の前に人差し指を添えた。


「内緒なんだけど、俺、元魔法使いなんだ。……錬金術師って言った方が近いかもだけど」

「は?」

「あれがどんなものだったのか、俺の手が覚えている。それを作るために、膨大な部品がいるんだ。俺の魔法は、炭化と同時に消えちゃって使えないから……みんなの手を借りて作ってる。あの像の素材を作るための、機械を」

「ま、え? は?」


 魔法使い。錬金術師。そんな彼すら知らない、未知の素材。それを作るための機械。

 それが今この土地で、自分たちの作る部品で、作られようとしてるものの正体。


「それが、生き残った勇者の役割だろ? まあ、当の勇者はいないんだけど。仲間としての尻拭いってやつだよ」


 トキは橙と紫が混じり始める空に向けて笑う。

 頭の中に、勝手にイメージが広がった。勇者と、その背後に立つ仲間たち。赤い髪の魔法使いが、勇者の楯となり、剣となり、戦う姿を。

 その姿が、隣に並ぶ男と重なる。

 長い赤髪の隙間に、尖った耳の輪郭が見えた気がした。


 とっくの昔。この世界が救われたのと同時に潰えてしまった希望の灯が、こんなに近くで燃えている。

 雨風に負けない工場。炭の世界に立ち続ける建物。

 その存在だけで、トキの言葉は嘘ではないのだと思えた。

 思わず、喉が鳴る。瞬きした視界に、白い光が弾けた。


「いつかあの土地にも、住めるようになるよ。俺はいつか、あいつを迎えに行くんだ」


 トキは逞しい腕を天に突き上げ伸びをした。何でもない口調で、何でもない顔で。とんでもない希望を語りながら。


「なあスイ。一緒に世界を変えないか?」


 どこにでも行けるとか言ったくせに。

 こんな希望を見せられたら、どこにも行けない。


 身体の向きを変えて工場へと戻っていく背中。

 その背を追って、スイは地面を蹴って駆け出していた。


《END》

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英雄譚のそのあとで 依近 @ichika115

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