3が2になるとき

一視信乃

3が2になるとき

 クラクラするほど息苦しいのは、込み合った車内のせいじゃない。

 隣に座る男のせいだ。


 学校帰りのバスの中。

 ふたりがけの席。


 途切れがちだった会話も完全に途切れ、お茶を飲むふりでやり過ごすのも、そろそろ限界に近い。


 この居心地の悪さは、いつまで続くのか。

 ペットボトルのふたを閉めチラリと様子をうかがうと、向こうもなぜか俺を見ていて、目が合った瞬間、あからさまにそらされる。


 平凡な顔立ちだけど、笑顔は人目を引く彼に、俺はあまり笑いかけられた記憶がない。


 同じ市内に住み、同じ中学に通っていて、同じ高校へ通うことになった、ただの同学年。

 それが、俺──竹内悠真たけうちゆうしんたに あさひの関係だ。


 同じクラスになったことは一度もないから、「友達」といっていいのか迷うほど親しくはなく、一緒に登下校してるのだって、うちの中学からうちの高校へ進学したのが、俺と旭ともう一人──陶久佳正すえひさよしまさの三人だけで、受験のとき一緒に行動したのが、そのまま続いているに過ぎない。


 旭と佳正は元々仲がよく、三人一緒の朝は二人の話を聞いてれば済むし、それなりに楽しいが、帰りは旭と二人きりになることがたまにあって、そうするとたんに空気が重くなる。


 趣味も性格も合わない彼と、一体何を話せばいいのか。

 口数の多い旭がやたら無口になっているのも、俺と同じように思っているからだろう。

 共通の話題なんて学校の話くらいだが、何かあっただろうか?


 あせりで上がった心拍数にかされ、救いを求めるように顔を上げると、こちらに向かい歩いてくる同じ高校の生徒に気付いた。

 背筋の伸びた長身と男の俺でもカッコいいと思う端整な顔立ちの彼は、俺たちの斜め前で立ち止まり、メガネの奥の目を親しげに細める。


「佳正! 部活は?」


 旭がすぐに、大きな声でその名を呼んだ。

 親が迎えにきたときの子供、いや、飼い主が戻ってきたときの犬みたいだと思う。


「車内だぞ、静かにしろ。部活は中止になった。もうとっくに帰ったかと思ってたけど、同じバスだったんだな」

「ああ、なんかのどかわいてコンビニ寄ってたからな」


 佳正の登場にホッとすると同時に、なぜか胸がズキリと痛んだ。


 俺、一緒に登下校していいのか。

 ひょっとして邪魔なのでは。


 そんな風に思ってしまうのは、旭がうちを受験したのが、好きな子と同じ学校へ行きたかったからだと、別の高校へ行った友達に聞いてしまったからだ。


 普通に考えれば、恋する相手は違う中学出身の女子なんだろうけど、旭が女子を気にする素振りなどまったくないし、佳正と楽しそうにつるんでいるのを見ると、ついかんってしまいたくなる。


 旭が好きなのは、佳正なんじゃないかって。


 同性が好きだという人がいるのは知ってるし、それを否定するつもりも毛頭ない。

 異性であれ同性であれ、誰かに恋したことない俺の方が、よっぽど変かもしれないし。


「悠真? 顔色悪いけど大丈夫か?」


 思考に没頭していた俺を気づかう佳正の声に、旭も再び俺の方へ顔を向けてきた。


「酔ったのか? バス降りた方がいいか?」


 ものすごく心配そうに見つめられ、また胸が痛くなる。


 旭は悪いヤツじゃない。

 それはわかってる。

 いつもにぎやかで、誰とでもすぐに打ち解けられる光属性の人。


 だからこそ、そんな彼と仲良くなれない自分は、人付き合いもろくに出来ない闇属性だと思い知らされ、嫌になる。


「ありがとう、大丈夫」


 なんとかそれだけ答えたが、うまく笑えただろうか。


 バスはようやく駅に着き、今度はここから電車で帰ることになる。

 コンコースを並んで歩く、十五センチくらい差のある後ろ姿を見ていたら、なんだか無性に切なくなって、思わず伸ばしかけた手をぎゅっとにぎり、俺は二人に声をかけた。


「あのっ、俺、本屋に用あるから、先帰ってて」


 二人は立ち止まり、同時に振り向く。


「本屋ならオレらも一緒に──」

「旭。本屋でさわぐと迷惑になる。帰るぞ」


 俺の顔を見て何かを察したらしい佳正が、素早く旭を制止した。


「なんだよ、佳正、騒ぐって、人をガキみたく──」

「それじゃあ、悠真、また明日」


 佳正は旭の肩を抱き、無理矢理連行していく。


「おい、佳正、離せ、自分で歩く。じゃあな、悠真」


 長身の佳正の腕の中でじたばた抵抗する旭は、本当に子供みたいに見え、俺は思わず笑ってしまった。


「うん、また明日」


 ハッと目を見開いた旭に手を振り、俺は駅ビルに入っていく。

 いつものように上りエスカレーターに乗ったが、本当は本屋に用があったわけじゃない。

 ただ二人から……旭から逃げたくなっただけで。

 でもまあ、せっかく来たんだし、少し見ていくか。

 そう思い、そのまま本屋へ向かった。


 並んだラノベの中から表紙が気になったものを手に取り、パラパラとめくっていく。

 三冊目を手にしたとき、「悠真」と後ろから名を呼ばれた。


 聞き覚えのある落ち着いた声に振り返ると、案の定、佳正が立っているが、その隣に旭の姿はない。


「なんで? 旭は?」

「先に帰った。俺に、悠真が心配だから付いててやれっていって」

「心配?」


 バスで具合悪そうに見えたからか?


「アイツも、悪いヤツじゃないんだ。ただ不器用でヘタレなだけで」

「……そうだな。あ、いや、悪いヤツじゃないって方が」


 慌てて付け足すと、佳正はくすりと笑った。


「本当にどうしようもなく不器用なんだ。だから、アイツのこと嫌いじゃなかったら、少しでいいから歩み寄って……って、無理いすることじゃないか。子供じゃないんだし」


 言葉を切った佳正の視線が、俺の手の中にそそがれる。


「ラノベ?」

「あ、うん」


 ラノベなんてオタクっぽいと引かれるかと思ったが、そんな思考を読んだかのように佳正はいった。


「俺も読むよ、ラノベ」

「意外」

「そうかな。異能バトルとか結構好きだけど」

「へぇ、そうなんだ」


 相槌あいづちを打ち、俺は本を元に戻す。


「買わないの?」

「今日はやめとく。佳正は、見たい本とかある?」

「いや。他に用がないなら帰ろうか」


 駅ビルを出て改札を抜け、一番奥のホームへ向かうと、発車を待つ電車は席がすべてまっていた。

 人が少なめな車両を選んで乗り込み、ドアの横に立つと、ほどなくして電車は動き出す。


「そういえば、悠真はどんなラノベ読むの?」


 さっきの続きなのか、佳正が唐突に聞いてきた。


「よく読むのは学園ラブコメかな。俺、恋とか全然したことないから、人を好きになるってどんな感じかよくわかんなくて、だから、ラブコメ読めば少しはわかるようになるかなって」


 こんなこと、誰かに話すの初めてだ。

 高校生にもなって何いってんだとバカにされるのがイヤだったからだけど、佳正は勿論もちろんそんなことするようなヤツじゃない。


「それで、何かわかるようになった?」

「全然。でも、楽しそうでいいなとは思うよ」

「楽しいけど、もどかしくて苦しくもある。なかなか思う通りにはいかないから」

「佳正の話?」


 大人な発言にぎょっとして問うと、佳正は意味ありげに笑う。


「トモダチの話」


 旭の顔がちらりと浮かび、ずっと心に引っかかってたことを思い切ってたずねてみる。


「俺、旭が好きな子と同じ高校行きたくて、うちを受験したって聞いたんだけど、それって……」


 佳正なの?

 とまでは、さすがに聞けない。

 するどい佳正も、よもや俺がそんなこと考えてるとは思わなかったらしい。


「本当だ。それが誰か知りたかったら、直接本人に聞いてくれ。悠真になら口を割る、と思う、多分、うん、まあ、俺からいうのは野暮やぼだからな」


 いつになく歯切れが悪いけど、この反応、相手は佳正じゃないのか?

 いや、でも、直接本人に聞くなんて絶対無理だ。


 悩んでいると、降りる駅の名が耳に飛び込んできた。

 電車がスピードを落としホームに入るタイミングで、さもたった今思い出したかのように佳正が告げる。


「あ、俺、明日、日直だから早く行かなきゃいけないんだ」

「え?」

「というわけだから、旭のおりよろしく」


 ぽんと肩をたたかれ慌ててホームに降り立った俺は、車内から手を振る佳正を、黙って見送ることしか出来なかった。


        *


 いつもの時間、いつもの車両の一番後ろのドアが開くと、そこにはすでに旭が乗っている。

 言葉通り、佳正の姿はない。


「おはよう。今日いつもより混んでるね」

「はよ。前の方にガキの集団乗ってたからじゃね?」

「遠足かな」

「多分な」

「……」

「……」


 今日もやはり会話ははずまないが、駅につくごとに乗り込んでくる人が増え、旭との距離は近くなる。

 ふと、彼の首筋あたりから優しくさわやかなニオイが立ち上ぼり、ふわりとくうをくすぐった。


「いいニオイ、緑茶?」

「え?」

「旭、なんかいいニオイすると思って」

「オレっ?」


 旭がぎょっとしたように、自分の腕や肩口のニオイをぐ。


「えと、シャワー浴びてきたからかな?」

「そうなんだ」


 って、いきなりニオイとか、よくよく考えたらキモくないか?

 旭もなんか気まずそうだし、ただでさえ重い空気を、さらに重たくしてどうする。


 そのとき、カーブに差し掛かった車体が揺れ、よろけた客に押された旭が、俺に体当たりしてきた。

 俺はなんとか踏ん張り、身体で旭を受け止めたが、混んでるから身動きがとりづらく、隙間なくくっついた身体を離すことができない。


「悪い」


 すぐ耳元でした声に目線を少し下げると、俺の肩に頭を預ける形になった旭が、俺の方を見ないよう必死に顔を背けていた。

 まあ、男同士で密着なんてイヤだよな。


「大丈夫」


 うっかり旭に息がかかったりしないよう、俺も反対を向いていった。

 制服越しに感じる旭の体温のせいか、俺の熱も上がってくる。

 優しいニオイが心を落ち着かせるかと思いきや、鼓動はむしろ激しく高鳴り、いつも以上にいたたまれない。


 駅まで一分もかからなかったはずだが、その時間が永遠にも等しく思えた。


        *


 今朝はめちゃくちゃ気まずかったなと思いながら、俺は二人が待つ一階へと向かう。

 旭もあのあとずっと様子が変だったし、帰りは佳正がいるとはいえ、正直顔を合わせづらい。

 授業とHRが長引いたせいで二人をだいぶ待たせてしまっているが、歩みはおのずと遅くなる。


 廊下にはまだ人がいたが、旭の教室である1Eをのぞくと、すでにみんな帰ってしまったようで、旭と佳正の姿しかない。

 二人に声をかけようとしたとき、急に佳正の口から俺の名が出た。


「悠真への態度、少し改めろ。もっと普通に友達らしく出来ないのか」

「そんなん無理だって。悠真のこと、友達だなんて思えないし」


 そんな……俺、友達だと思ってもらえないくらい、旭に嫌われてたのか?

 あまりにもショックでカバンを落とし、その音で我に返ったが、カバンを拾って顔を上げると、二人の視線も俺に向いていた。


 目が合うと、旭は顔をゆがめ、何もいわずにカバンをつかんで俺の横を素通りし、教室を飛び出していく。


「なんで……」


 なんで旭が逃げるんだよ。

 あんな泣きそうな顔して。

 逃げたいのも泣きたいのも、俺の方なのに。

 呆然ぼうぜんとする俺に佳正がいった。


「悠真、追って」

「でも、佳正の方が──」

「悠真じゃなきゃダメだ!」


 強い口調に押され、俺はきびすを返した。

 目に見える範囲に旭の姿はすでになく、俺も急いで走り出す。

 旭は足が早いけど、今はサンダルきだし人がいる廊下も走りづらいようで、教室棟の角を曲がったとき、なぜか昇降口へは行かず、特別教室棟の方へ向かう姿がチラッと見えた。


「旭、待って!」


 人をけながら叫ぶと、一瞬旭の足が止まったように見えたが、結局彼は行ってしまった。

 追い付けないかもしれない。

 そう思いながらさらに角を曲がった先で、俺は誰かにぶつかりそうになった。


「すみません」


 なんとか衝突をけ、頭を下げる俺に、相手はイライラした口調でいう。


「危ないだろ。ケガしたらどうする」


 その声にハッとして顔を上げると、目の前にいたのは旭だった。


「なんで?」

「オレのせいで悠真がケガしたらイヤだから」

「旭は俺のこと嫌いなんじゃ──」

「嫌いじゃない!」


 旭の言葉はどれもまっすぐで、うそをついてるようには見えない。


「じゃあなんで、友達だと思えないなんていったの?」

「なんでって……ちゃんと話すけど、場所を変えよう。人のいない所がいい」


 今度は連れ立って校内を歩き回ったが、完全に人目に付かない場所なんてそうそう見つからず、れた旭は職員室まで行って、どこかのかぎを持ってきた。


「視聴覚室の鍵、借りてきた。英語で使ったとき、忘れ物したっつって」 


 いけしゃあしゃあとのたまい、視聴覚室のドアを開けると、今度は中からじょうし、ようやく俺に向き合った。

 ここに来るまでにすでに決意を固めていたのか、躊躇ためらいなく真剣な眼差しでいう。


「嫌いなんじゃなくて、好きなんだ、悠真が」

「え?」


 それは完全に予想外の言葉だった。

 旭に好きな人がいるのは知っていた。

 でも……。


「旭は佳正が好きなんじゃ?」


 思わず出た問いに、旭は一瞬ぽかんとする。


「佳正ぁ? アイツはいいヤツだから普通に好きだけど、一緒にいてもドキドキしないし、触れたいとかキスしたいとか思ったことは一度もない」


 今、さらっといったけど、それってつまり……。 


「……俺には思ったことがあるってこと?」


 旭はしまったというような顔をしたが、素直にうなずいた。


「……今だってそう思ってる。だから、ただの友達なんて絶対無理。今朝も理性がぶっ飛んでおさえるの大変だったし。でも、一緒にはいたいんだ。ドキドキするけど幸せだし、ずっと見てないと心配で頭がおかしくなる」

「心配?」

「悠真が誰かにとられるかもって思うと、気が気でないんだよ」


 とられるって、何いってんだ?


「その心配はないだろ。俺みたいな陰キャ、誰が好き好んで──」

「そんなことない! 悠真は、すごく綺麗だ。こんな美人、うちの学校にはいないって合同スポーツ大会のとき一目れして、それからずっと好きなんだ」

「合同スポーツ大会って、小六んときの?」


 情報量多すぎて、もはやどこにつっこんだらいいのかわからない。

 旭も頭を抱え、身体ごと横を向いてしまった。


「あああ、全部いっちまった。引くだろ、執念深くてキモいって。でも、しばらく忘れられそうにないから、せめて遠くから見つめるくらいは許して欲しい。なるべく近付かないようにするから」


 ええと、ようするに、旭は俺に恋してるってことだよな。

 改めて理解した瞬間、カアッとほおが熱くなる。

 前に一度だけ女子に告られたことがあって、あのときはただ困っただけだったけど、今は……すごくうれしいかもしれない。


「えっと、俺、誰かを好きになったことないから恋とかよくわからないけど、旭といるとすごくドキドキするし、いつも旭のことばかり考えてた。それって、もしかして、恋──」

「違うな。悠真は、佳正みたいなオトナが好きでオレみたいなガキは苦手だから、常に緊張してどうがするだけだろ。それを恋と錯覚するのは、ただの吊り橋効果だ」


 横目でじとっと見つめてくる旭に、渾身こんしんの告白を否定された挙げ句、冷静にあやまりだと指摘され、俺は面食らった。


「……本当に俺をよく見てるんだな。でも、そこから始まる恋もあるんじゃないか?」

「吊り橋効果は冷めやすい。オレは一時いっときでも嬉しいけど、悠真に後悔させたくない」


 ああ、もう、なんだってこんなにかたくなにこばむんだ。

 俺が好きなんじゃないのか。


「だったら冷めたりしないよう、ずっとドキドキさせ続けてくれればいい。確かに俺、旭のことちょっと苦手だったけど、それはうまく話せない自分がもどかしかっただけで、旭が嫌いなわけじゃない。むしろ、旭のことはいいヤツだと思ってるし、仲良くなれたらすごく嬉しい」

「友達として仲良くなら無理」


 さすがにカチンときて、自棄やけになって俺はいった。


「いいよ、どんな関係だって。俺も旭と一緒にいたいから」

「……本当に?」


 旭の大きな目が揺れ、うっすら涙がにじんだように見える。

 そんな姿が無性にいとしく思え、気付くと俺は横からぎゅっと旭を抱きしめていた。

 旭がびくんと強ばったのは伝わってきたが、俺を拒むつもりはないようだ。

 緑茶のニオイはもうしない。

 でも、日だまりを思わせるあたたかなニオイがして、なんだかすごくいやされる。


「ねぇ、旭が可愛いから抱きしめたくなったんだけど、この感情は恋じゃないのか?」

「ドキドキさせ続けろとかいいながら、オレをドキドキさせてどうする。嬉しすぎて何も考えられない」


 ようやく旭がじろぎしたから、腕を離して開放すると、今度はうるんだ瞳でじっと俺を見上げてくる。

 そして、何かいおうとおもむろに口を開いたとき、すぐ近くでシリアスなムードをぶち壊す間抜けな電子音が鳴った。


「何?」

「……佳正からの着信音。アイツ悠真と仲良くてムカつくから、変な音に変えてやったんだけど、よくよく考えたら、鳴ったときダメージ受けるのオレだったわ」


 旭の発言に俺は吹き出す。


「旭、可愛い」

「可愛いとかさっきから、嬉しいけど嬉しくないからやめろ」


 旭は場の空気を誤魔化すようにスマホを開き、文面を読み上げる。


「『二人とも戻って来ないし連絡ないけど、うまくいったと思っていいんだよな。邪魔者は一人寂しく帰るから、今度なんかおごれよ。悠真にもよろしく』だって」

「……邪魔なのは俺だと思ってたのに」


 佳正、俺と旭の間で毎日ずっと気ぃ使ってたんだろうな。

 まあ、楽しんでるようにも見えたけど。


「じゃ、オレたちもそろそろ帰るか。鍵も早く返さないとだし」


 旭は手早く返信し、俺に顔を向けていう。

 そこに浮かんでいるのは、親しい人に向けられるとても自然な笑みだったから、俺の頬もたまらずゆるんだ。


        *


 学校帰りのバスの中。

 ふたりがけの席。


 会話がぎこちないのも、そわそわして落ち着かないのも、昨日までと変わらない。

 でも、旭にぶつからないよう気を付けていた右肩からは力が抜けたし、早くバスを降りたいとも今はもう思わない。


 今日は旭の提案で乗る路線を変えたからか、バスはいつもより空いていて、俺たちのまわりに人はいない。

 俺はスッと手を伸ばし、ひざの上に置かれていた旭の左手に触れてみる。


「なっ、何?」


 激しく動揺する旭に、俺はいった。


「なんか眠くなったから、駅に着いたら起こして」


 そして、返事を待たずに彼の左肩に頭を預け、そのまま目を閉じる。

 まだうまく話せないから、寝たふりして旭の観察でもしてやろうかと思ったのだが、すっかりリラックスした俺とは逆に、旭はいつも以上にガチガチに緊張してしまったらしい。


 そんな旭はやっぱり可愛いとか思っているうちに、本当に眠くなってきたのは、彼の隣がものすごく心地よいからに違いない。

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