夏のノイズ

マスダカケル

本編

 久しぶりに田舎の実家へ帰省した。


 昼下がりに散歩へ出ると、あたり一面に響き渡るのはセミの大合唱。

 湿った土の匂い、陽炎かげろうに揺れる景色――都会では味わえない風情の中、耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声が周囲に広がっている。


 歩きながらイヤホンを耳に差し込み、ノイズキャンセリングをオンにすると、不思議なほどに世界から音が消え去った。

 さっきまで鬱陶しく感じていた鳴き声も、まるで最初から存在しなかったかのように。


 思わず足を止め、考え込んだ。

 ――これは、本当に“ノイズ”なのだろうか。


 命の限りを尽くして鳴く声を、ただの雑音として切り捨ててしまう違和感。

 便利さの影で、どこか大事なものを置き去りにしているような、そんな気持ちが胸をかすめた。


 ふと、子どもの頃を思い返す。


 朝、網戸越しに響く蝉時雨せみしぐれは、夏休みの合図のようで心が躍った。

 虫取り網を手に駆け回るときも、縁側で冷たいスイカを頬張るときも、いつもセミの鳴き声に包まれていた。

 あれは、まさに『夏』そのもの。


 ――でも、いつからだろう。

 その声を“うるさい”と感じるようになったのは。

 知らず知らずのうち、耳に届く音を「必要なもの」と「不要なノイズ」で分ける癖がついてしまったのだろうか。


 街の騒音や人混みのざわめきも、誰かが生きている証であり、日常を形づくる欠かせない要素のはず。

 いつの間にか、大切なものまでノイズに紛れ込んでしまったのかもしれない。


 結局、イヤホンを外して歩き直した。

 セミの鳴き声が一斉に押し寄せ、耳の奥を震わせる。

 暑苦しいほどの音なのに、そこには確かな命の輝きがあった。


 風が運ぶ草木の香りが鼻をくすぐり、陽射しに照らされた緑がまぶしい。

 その瞬間、子どもの頃に抱いた夏の感覚がそっと戻ってきたようで、胸の奥がじんわりと満たされていく。


 騒がしいはずの世界が、気づけば懐かしい心地よさに包まれていた。

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夏のノイズ マスダカケル @kakeru_masuda

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