処刑人の香織さん

香織さんは人を殺した事があるらしい。

誰ともなく流れた噂。別に驚くことでは無かった。

香織さんは、山田香織。山田家は江戸時代から続く御様御用(おためしごよう)の一族で、その当主は山田浅右衛門と呼ばれ幕府が無くなってからも日本の死刑執行の任を務めてきた。中学の道徳で皆んな習う事で、授業の後クラスの山田がイジられるのが日本中のあるあるになっている。

そんな訳だが、香織さんは事情が違う。なんと自分からあのだと名乗っているのだから。

そんな香織さんと僕は美術の授業で隣になった。

「絵、上手いね。」

言われ慣れた言葉だったから、香織さんの言うその言葉がいつもと違う重さを持っていたのに気づいた。

僕は軽いものが嫌いだ。直ぐに飛んでいってしまうから。

去年、祖父が死んだ。幼くして両親を失った僕を、1人で育ててくれた優しい祖父だった。祖父の死に顔を棺桶から見た時、安らかな表情をしているのを見て軽いと思った。この安らかな顔が僕と祖父の間にあったはずの辛さや苦しさを全て包んで、風船のようにふわふわといい思い出として僕の頭から出ていってしまうかもしれないと思った。

葬式が終わった夜、1人になった家で死ぬ祖父の絵を描いた。腕が千切れ足が裂け、それでも必死にもがく祖父の姿を書き上げると夜が明けていて、その時になって初めて涙を流した。

デッサンの授業に入って、僕は座った香織さんを描くことになった。

彼女は艶のある黒の綺麗な長髪をしていて、僕は何度も縦に鉛筆を走らせた。

その間、僕たちは話をした。

「蘭くんは美術部?へえいいなー。私は家の仕事があるから部活はできないんだよね。」

口ではそう言う香織さんだったが、そこには一点の不満もなかった。責任と誇り、それが彼女の重さを作っているのだと感じた。

夕方、誰もいなくなった教室で僕は香織さんと2人でいた。

「付き合わせちゃってごめん。」

「いいよ、蘭くんいいもの作ろうとしてるって分かるし。そう言う時って時間溶けるよね。」

夕日が教室を染める。ごちゃごちゃとした美術教室の筆やカンバスの堆積が生み出す複雑な影の模様を背景に、僕ら2人の影が平行に伸びる。

その時、肌を刺す乾いた秋風がカーテンを揺らして、僕の心を突き動かした。

「香織さんは、時間を溶かすの?」

秋風は僕の身体を背中からすり抜け、廊下側に座る香織さんの頬を撫でた。

「私は、、、」

口籠る香織さんを前にして、僕の頭にはある情景が浮かんできた。僕はこれから生きる人生の一本道の上に立っている。僕の道には、振り返れば勿論、イーゼルに架けられた絵画があった。生まれてから順番に、最初に住んだ家の玄関にあった初めて描いた絵、市のコンクールで金賞を取った時の絵、そして一番近くに祖父が死んだ日描いた絵があった。香織さんなら、自分が殺した罪人の首や胴体が置かれているのかな、と思った。

それは、さぞ重いだろう。僕の描いてきた絵なんかでは到底及ばないだろう。

それは死んでいく者たちを忘れない事でもあり、孤独な罪人の魂を留める重りの役割も、彼女の仕事なのだとしたら。

目の前の絵を見れば、何重にも黒鉛を塗り重ねた長い黒髪。女性の黒髪の重さは、僕が考えるより遥かに重いのかもしれなかった。

けれど、その重りの美しさを僕は知っている。

もし、僕にも一緒に背負わせてくれたら、どんなに良いだろうかと考えた。

「香織さん。」

筆を置いて、香織さんの前に立つ。彼女はいつの間にか俯いていた顔を向き直してこれに応えた。

「変なこと聞いてごめん。その、ごめん本当に勝手なんだけど、香織さんの事、もっと知りたいって思ちゃったんだ。もし、香織さんさえ良ければ、もっと話がしたい。美術じゃなくても、話しかけて良いかな。」

秋風は未だ2人を包んでいる。カーテンがふわりと舞った。

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シチロク短編集 シチロク @roku-siti

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