シチロク短編集

シチロク

悪魔《satana》の相貌について

東村沙汰奈の顔は存在しない。

同じクラスの誰に聞いても、先生も、中学から同じと言うA子さんに聞いても彼女の相貌について答えられるものはいなかった。観測できないものは存在しないと言うべきであり、故に彼女の顔は存在しない。3組22番の彼女は整えられていない黒の長髪が腰まで届き、異様な程小柄で細い身をしている。その認識は二百人強の3年生殆どに共通で、その身体的特徴に目が引かれ、彼女の顔を覚えることができないのだろうと人々は口々に後付けした。

俺は人の顔を見ただけで、その人間について大抵の情報を読み取ることができる。一目見ただけでその気質、根本にある行動原理や抱えるストレス、交友関係に至るまで主にその内面についての情報を抜き取る。初めてそれを自覚した時には「ああそうなんだ」程度にしか思わなかった。俺は全国模試で常に一位を取り、周囲からは天才と言われて育った。そう言う奴はこんな能力の一つや二つぐらい持ってても不思議じゃないだろうと感じていた。いつも一位を取るって奴はどこにもいる。だから俺が天才と呼ばれていたのは功績によってではなくて、地方の公立校に通っているからだった。人々はその点において俺を称賛したし、俺もそれが誇りだった。そんな俺のいたいけなプライドに小さな、俺にしかわからないような、でも治らない傷をつけたのが彼女、沙汰奈だった。それは1年の時の国語の授業での事だった。その先生はいつも授業の最後に作品の感想を送るフォームを生徒に書かせて、印象に残ったものをいくつか取り上げてまとめにした。取り上げられるのは決まって俺の感想だった。たまたまその日は短縮授業だったのを先生が忘れていて、見るのは一つだけにすると言った。

選ばれたのは沙汰奈の感想だった。

陳腐で、ありきたりで、誰にでも書けるような感想だった。基準は先生しか知らなくて、成績にも残らない敗北が、いつまでも俺の頭にだけ残った。

ある夏の日だった。俺は自分の机に突っ伏して寝ていて、起きるとなぜか窓の外は真っ暗で、廊下の電灯も落ち、教室だけが青白く光っていた。俺は下校時刻に間に合わないことを恐れて教室を飛び出して暗い廊下を走った。するといた。通路の真ん中で、ぼうぼうに伸びた黒髪を廊下にのさばらせて彼女が立っていた。最初は避けて通るつもりだったが、微妙に避けづらいところに立っていて、一瞬進路の左右を迷った。その一瞬が、俺の心に黒ずんだもやを生み出し、彼女を横切るその一歩一歩を踏み出すたびにあの黒髪の如く無造作に広がった。

まず突き飛ばすと言う行動が先に来て、後から顔を見てやろうと言う理由が生じた気がした。

彼女は背中側を向けて倒れ、言葉になりかけたうめきが静寂に響いた。スカートから覗く足はもつれている。俺が近寄ると反射的に俺の方に向き直し、一番小さい型でもサイズが合わない半袖セーラーのだぼだぼの袖から伸びる細い腕が防御の姿勢をとった。顔は前髪で見えなかった。俺はその色白い腕を、自分でも驚くほどの力で掴んだ。骨がきゅうきゅうと鳴る音が聞こえ、数秒の抵抗の後にぐったりと動かなくなった。前髪を払い、片手で首を掴んで引き寄せると、そのかおは俺の顔だった。その顔からは何も抜き取れなかった。俺は唯一、俺の事が分からなかった。悪魔satanaとは俺の失敗を許せない心そのものだった。それに気づいた俺は、善良な一般生徒を突き飛ばして腕を折った罪を自覚し、散乱している彼女の荷物からシャーペンを手に取って自分の首を刺した。次第に視界がぼんやりとしてきた。薄れゆく視界の中で、もう一度彼女の貌が映った。その顔は可憐な少女の形をしていた。その貌は嗤っていた。

悪魔satanaが」

そう言って俺は目を閉じた。


次のニュースです。

先日、県立〇〇高校の男子生徒(18)が自宅で首を吊り、死体になった状態で発見されました。現場には「完璧でありたかった」と言う旨の遺書と見られる文章が残されており、警察は自殺と見て捜査を進めてています。


ふふっ

さあ、次は誰を殺そうか。

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