檻の餌
大舟
第1話
「全員揃ってるな」
大人の男の人特有の、低く野太い声が教室の中にこだまし、私たちの心に強い緊張感を抱かせる。教室の中には20名ほどの子どもたちがいて、私語をすることなく、ただじっと机に向かって座っている。毎日経験していることだけれど、全く慣れることなんてない特有の緊張感に全身を包まれながら、みんな黙って先生の言葉を待っている。
「よし、食べろ」
「いただきます!!」
先生の合図とほぼ同時に、私たちは全霊で心の底から大きな声を出し、いただきますを唱える。”いただきます”というのは、食材に対して感謝を告げるための素敵な言葉であると習った。でも、本当に食材への感謝のために口にしている子どもは、ここには一人もいない。先生が食べろと合図をしてから、少しでもいただきますが遅かったり、声が小さいと言われてしまったりした子どもが、その後どんな目にあったかのかを、ここにいるみんなは目で見て知っているからだ。だから、私たちの言う”いただきます”は、自分たちの身を守るための儀式のようなもの……。
「…………」
私たちがいただきますを無事に唱え、それぞれが給食を口にし始める。このタイミングで先生が何も言葉を発しないという事は、少なくとも今日のいただきますは無事に終えられたらしい……。その様子を前にして、私たちは極度の緊張感の中に一抹の安堵を覚える。
……しかし、それもつかの間。先生はその場にゆっくりと立ち上がり、無言で教室の中を歩き始める。それを察した私たちは、先生と目が合わないように少し顔を伏せ、早まる心臓の鼓動を必死に押し殺す。一抹の安堵は一瞬のうちに消え去り、言いようのない緊張が教室中を支配する。
「…………」
先生は何も言葉を発さず、ゆっくりと足を進めていく。各々が食事に際して発する小さな音と、先生の上履きが床を蹴る音だけが教室の中を巡っていく。その時、顔を上げたり、あたりを見ることなんてことは私たちにはできない。ただただ息を押し殺し、はやく自分のところを通過していってくださいと、神様に祈ることしかできない。みんな表にこそ出さないけれど、その心の中は震える気持ちでいっぱいに違いない……。
先生は一人、また一人と、食事をとる子どもの横をゆっくりと通り過ぎていき、いよいよ私の席のすぐそばまでやってくる。心臓の鼓動が私を押しつぶそうとするほどに拍動を激しくし、息もどんどんと苦しくなっていく。けれど、ここでおかしな言動を見せてしまったなら、それこそどんな目にあわされるか分からない。不審でなくとも、不審にみられるだけでここでは罰を与えられてしまう。だから、絶対に、じっと食事をしていないといけない。だというのに、私の心臓や肺は逆に私の体を動かそうと働きかけてくる。その板挟みの中に、言いようのないその苦しさを感じてならない。今は食事の時間であるはずで、私は確かに口の中にご飯を入れているはずなのに、味を全く感じられない。
そして、ついに先生が私の真横までやってくる。先生特有のにおいが私の鼻をなで、その存在を知らせる。
「…………」
顔を伏せて食事に集中する私には、横を過ぎる先生が私の方を見たのかどうかも分からない。けれど、そんなことはどうでもいいこと。今の私にとって大事なのは、先生に声を掛けられることも、怒られることも、殴られることもなかったという事と、今日の犠牲が私ではなかったという事だけ。
その後、一歩、また一歩と、重い足音が私の元から離れていく。ここにきてようやく、私はほんの少しのこの瞬間を私は生き延びることができたのだという、一抹の安心感を感じていた。
しかし、その時だった。
ガシャーーン!!!
誰も言葉を発さず、静寂が支配するだけの教室の中に、突然大きな音が響き渡った。視線だけ音のした方向に向けてみると、一人の女の子が手に持っていたご飯をひっくり返してしまっている光景が見えた。そしてその机の上には、ここでは珍しくもない黒光りする大きな虫が一匹。おそらく、いきなり机の上に現れた虫を見て、驚いた拍子に持っていたご飯をひっくり返してしまったのだろう。
そしてその後間髪を入れず、現れた虫は机の上からカサカサと素早く身を動かし、床まで下りて自らの逃げ道を探し始める。目にも止まらない速さで床の上を突き進む虫だったものの、幸か不幸か進んだ先は先生の足元であり、虫を見た先生は間髪を入れずに丸ごと自身の足で虫を踏み潰した。
「…………」
ただ、こんな状況においても、言葉を発する人は誰もいない。私たちは変わらず食事を行い、先生は無言で虫の死骸を回収し始める。そこに言葉はなにもない。ただ一人を除いて。
「ごめんなさいごめんなさい!!大切なご飯を落としてしまってごめんなさいごめんなさい!!」
虫に驚いてご飯を落としてしまった女の子が、心の底からの声で先生に謝り始める。普通がどうかは分からないけれど、少なくともここでは当然の事。ここではどんな理由であれ、給食を台無しにするなんて許されないし、ましてや給食を残すことなんてもっての外。そんな状況の中でご飯をひっくりかえしてしまったなら、もう必死に謝り続けることしかできない。逆の立場だったなら、間違いなく私も彼女と同じことをするだろう。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「…ぁ……」
虫の死骸の回収を終えた先生が、ゆっくりと、無言で、彼女のもとに近づいていく。彼女はその間も深く頭を下げ、ごめんなさいごめんなさいと言葉を発し続けている。その光景が嫌でも目に入る私たちは、これから起きるであろう惨状を頭の中で想像させられつつ、それまで以上に顔を伏せて少しでも現実から目を背けるよう努めにかかるしかなかった。
「なぁ、俺はずっと言ってきたよなぁ。食べ物を粗末にするなってなぁ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「俺の言ってることは分かるよなぁ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
「これはお前だけの問題じゃないんや。お前が必要な食事をとらずに、体重が減ったりしたら、俺が上から叱られるんだ。なぁ、やめてくれよ」
「ごめんなさいごめんなさいごめ」「!!!!!」
その瞬間、先生は自身の左手で女の子の髪の毛をつかみ上げ、その小さな体を教室の壁に激しく打ち付けた。謝罪の言葉を途中で中断させられた女の子は、その続きとなる言葉を口にしようと必死になっている様子だったものの、体にくる痛みからなのか、あるいは底なしと言えるほどの恐怖心からなのか、ただ唇を震わせるばかりで、なにも言葉を発することができていなかった。
「落としたごはんは食べられんなぁ。しかし、このままじゃ必要な栄養を補給できないよな。それじゃ困るわ」
「ご、ごめ……んな……さい……」
「あぁ、そいや丁度いい栄養素が転がってたわ。お前、こいつのせいで飯を落としたんだろ。なら代わりにするにはうってつけだわ」
「っ!?!?!?」
私たちはその光景を、はっきりとみているわけではない。でも、嫌でも聞こえてくる声、物音、そして言葉の数々が、私たちの脳内で勝手に映像化を行い、その光景が鮮明に再現される。それは、どれだけ目を伏せようとも、耳をふさごうとも、防ぐことはできない。これまでもそうだったのだから。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!」
「なんだ、このままじゃ嫌か?じゃあ特別に俺の飯を少し分けでやるよ。その中に入れれば分からんだろ」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!!!!!」
叫び声にも似た口調で、謝罪の言葉を口にする彼女。でも、その言葉もすぐに聞こえなくなってしまった。なぜならその後すぐに、彼女の声はくぐもった声に変っていき、明らかに口の中に何らかのものを強引に詰められている様相に変わっていったからだ。
「おらおら、もっとおいしそうに食えや。いただきますしたんだろうが」
私たちの耳には野太い声が聞こえてくるのみで、彼女の声は全く聞こえない。聞こえるのは、動物のように暴れている彼女の体の音、くぐもった声に交じって、涙を流しているであろう雰囲気と、嗚咽にも似た強烈な鳴き声だけ。
そんな彼女にかまわず、私たちはただ静かに食事を行う。次は自分かもしれないという恐怖を全身に感じながら、味のないご飯を必死に口の中にかきこんでいく。
……私たちは、いつまでここにいればいいんだろうか。いつになったらここを出られるのだろうか。終わりなんて見えないこの日々に、終わりが、来るのだろうか。
檻の外に出られる日が。
檻の餌 大舟 @Daisen0926
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