第29話 「俺、鈴野の事、好きだから」

 十二月二十五日。

 結局。

 結局今日までの二週間、俺と鈴野は一回もメールも電話もしなかった。

 以前は一日最低一回はメールをしていたんだが、何分、何を話せばいいのかもわからない。


「寒……」


 今日は重装備。

 なんでも午後から雪が降るとかで、俺はふかふかのダウンコートにマフラーを巻いて、イヤーマフと手袋も用意してきた。

 だというのに。


「久しぶり、山野井」

「おう……」


 女の子は冬でもおしゃれを優先するのだと、誰かに聞いた。誰だったか。クラスメイトの女の子だった気がするが、顔も名前も思い出せない。

 だが今はそれよりも。

 冬装備の鈴野に会うのはこれが初めて。で、もしかしたら鈴野がおしゃれをして冬の街を歩くのもこれが初めて(おそらくそうだ。確信している)

 それ故に。

 鈴野と来たら、スカートにタイツ、おしゃれ上着だけと来た。見るからに寒々しい。


「寒くね?」

「平気。イベント室内だし」


 とは言いつつも。

 鈴野は明らかに鼻を真っ赤にしていたし、何なら体も震えていた。

 小動物のようだ、と思う。

 こんなに小さくかわいらしい女の子だっただろうか。

 たった二か月会わないだけで、また垢ぬけた。

 高校一年生、まだまだ成長の余地あり、ってことか。


「山野井、背ぇ伸びた?」

「ん? あー、計ってねえからわかんね」

「絶対伸びたよ。前もっと顔近かったもん」

「ふーん。そ」


 そんな風に笑うやつだったか。ふふ、だなんて。何がそんなに嬉しいんだ。

 フェスに来られたこと? グッズをたくさん買えること? 俺にまた会えたこと?

 それよりも今は、謝らなければ。


「ごめん」

「ごめん」


 被った。

 どちらが先に謝らなければならない、というのはないが。

 ここは明らかに俺が先に謝罪すべきところだ。

 だが、今はそんなことよりも、声が被ったことがどういうわけかおかしくて。


「ふふ」

「はは」


 二人、顔を見合わせて笑うことの方が先だった。

 幕張駅から二人で歩く。

 フェスは大きなビルで開催されている。それこそ今日はそこに、俺たちの同志が何百人も何千人も集まるのだ。


「ねえ、今日の予算いくら持ってきた?」

「俺か? んー、二万くらい?」

「え、マジで言ってんの?」

「え。多すぎかな?」


 はーっと手に息をかけてこすり合わせながら、鈴野は俺を見上げて、信じられない、そう言いたげに目をまん丸にした。

 多かったかな、二万あれば足りるだろうって少し多めに持ってきたんだが。

 だがしかし。


「私五万持ってきた」

「五ま……え、マジかよ大金じゃねえか!」

「そう大金。だから山野井、ちゃんとボディガードしてよね」

「マジかよ、マジかよ五万……オマエんち裕福だな」


 五万って言ったら、俺の小遣い何か月分だ? 

 なんて。

 無粋な計算をしていたら、


「アルバイトで稼いだんだ」

「え? バイト?」

「何その、意外です~、みたいな顔は!」


 だってそりゃあ、あの鈴野がアルバイト? え、じゃあもう学校は辞めるのか?


「鈴野、その……あの時は言い過ぎた」

「あの時?」

「ほらあの……喧嘩別れした日」

「あー。あれね」


 フェスのビルの待機列に並びながら。隣にいる鈴野の首に俺のマフラーを巻いてやりながら。


「えっと、山野井、これは?」

「首。寒いだろ。中入るまででいいからつけとけ」

「……ありがと」


 そんな顔もできるんだな。

 ふんわりと笑って、俺がかけてやったマフラーに手をかけて巻きながら。伏し目がちに嬉しそうに笑う。

 まるで恋する乙女のような。


「あの時はびっくりしたよ。でもね、私、気づいた」

「気づいた?」


 鈴野はマフラーを巻き終えて、それに顔を埋めながら、


「このまま引きこもってたらダメだって」

「へえ」


 それで、か。

 それで考えに考えて、きっと鈴野は自分なりの答えを導き出そうと必死だったんだ。

 だからきっと、アルバイトという一歩を踏み出せた。でも、学校は?


「アルバイト始めて思ったんだ」

「うん」


 来る。来るぞ。このなんか、すごくいい話的なあれ。

 山野井のおかげで学校行く勇気が出ました的なあれ!

 心の準備をする。

 泣くまい、絶対に泣くまい。

 あの鈴野が。

 ちんちくりんなちぐはぐな格好で東京を歩き、コケて。自転車にひかれそうになって。

 そんで俺をグーパンチで殴って、ツンデレ発言で困らせて。

 そんな鈴野がついに今!

 今まさに!

 俺への感謝と、学校のありがたみを――


「やっぱり私、高校は行かないことにしたんだ」

「……はい?」

「だから、学校は行かない」


 どういうことでしょうかね、鈴野さん?

 待ってこの流れだったら絶対に


『私、高校に行くよ。山野井ともっと一緒にいたいしね☆』


 とか、そういうラブコメ的展開になるんじゃないの?(いや、これはラノベに洗脳されすぎだが)

 それが何で。何がどうしてどうなって、高校にはいかないという結論に!?


「私さ、不登校になって分かったことがある」

「……分かったこととは?」

「人は何かに属していないと生きていけない、っていうか」

「属す?」


 つまり、群れるということか? 友達と一緒にいないととか、親と一緒にいないととか、そういうこと、なのだろうか。

 待機列は一向に動き出す気配はない。


「ほら、高校生ってさ、何かをやっても『高校生だから』で許されるじゃない。社会人だってさ、『働いてるから』とか『会社に属してるから』ってだけで、なんて言うか、地位? そういうのが保証されてるじゃない」


 言わんとしていることはなんとなくわかる。

 つまり、ヒキニートで仕事もしていないとなると、世間の目は厳しいということ。

 平日の昼間っから外を歩くには、勇気がいる。特に、不登校という立場の人間からすれば(同じ平日を出歩くのでも、社会人と不登校では意味が違うってことだと思う)

 つまりは鈴野はそういう居心地の悪さの正体みたいなものに、気づいた。


「アルバイト始めてからさ、私外に出かけるのが怖くなくなった」

「それは良いことだと思う」

「でしょ。それでね、私、高認受ける」


 はっきりとした意思が、瞳の中に垣間見えた。

 まっすぐに。

 まっすぐに彼女の目を見たのは、もしかしたらこれが初めてかもしれない。

 少し茶色みがかった黒い瞳。


「高認、って。高卒の資格とる、あれ?」

「そう、それ」


 あれは確か、簡単だとも難しいとも聞いている。

 人によりけりなのだ、評価が。

 それでも。


「そっか~。なんか複雑な気分だな」

「複雑?」

「だって俺さ」


 本当は。

 本当は鈴野には、学校に復帰してほしかった。そうすれば、鈴野に会いに行く口実ができる。

 勉強を教えるという言い訳をして。漫画を返すという言いがかりをつけて。


「俺、鈴野の事、好きだから」

「え」


 何で俺はこうも間の悪い男なのだろうか。

 このタイミングで何を言っているのだろう、本当にもういやになる……。

 だがしかし、言ってしまったものは仕方がない。ええい、こうなりゃやけだ。


「好き、だって。言ってん、の!」


 二度目(恐らく)の告白だった。一度目は軽く流された(というより、『友達として好き』だと勘違いされた)

 だから、二度目の今日こそは。


「ふふふ」

「鈴野?」

「なんだか嬉しいな、なんて」


 おおう、それってもしかして! やっと、この時が!?

 どっくんどっくんと、心臓が今になって脈を早めた。鈴野、俺は、俺は……!


「山野井って本当に優しいもんね」

「ん?」

「だってさ、私が彼氏欲しい欲しいって騒いでたから、そういうこと言ってくれるんでしょ?」

「え、っと、ん?」

「ほらもうそうやって困らせてごめんね! だっておかしいよね、山野井と私が恋人に? ないないない!」


 大げさに、まるでおばさんが井戸端会議しているときのように、鈴野は右手を大きく振り上げて、バシン、と俺の背中を殴った。

 痛ってえ。

 つーか。つーかつーかつーか!


「は。ははは。ばれちまったら仕方ねえな。オマエは放っておいたら一生彼氏なんかできそうにないからな!」


 もうこうなったら。

 こうなったら俺は、俺は……!

 オマエに悪い虫がつかないように、オマエに言い寄る男を片っ端から吟味するお節介な友達になるからな!

 覚悟しとけ。ふはは、はは……


「ほらもう、やっぱり! 山野井ってホントお人よしだよね」


 お人よし。

 池田にもそう言われたっけ。

 池田と言えば、そうだ。鈴野との仲直りのきっかけをくれた池田には、何か土産を買っていってやろう。何がいいかな。あいつ忍忍帳は見てるって言ってたから、その関連グッズでも買えばいいか。


「ねえ、山野井」

「まだ何かあんのかよ」

「うん。あのね」


 もじもじと。

 さっきまでのおばさんっぽさはどこへやら。

 見ていて飽きないやつだ、本当に。


「あのね、でも私、進学はしたいと思ってるの」

「へえ、そりゃあいいことだな」

「そうでしょ! それで」


 ああもう、回りくどいのはやめてくれ。遠慮しあう仲でもないだろうに。

 今さら何を言われたって俺はもう燃え尽き――


「これからも、山野井にはうちに来てほしくて」

「ほえ!?」

「やだ、山野井。ほえって!」


 そりゃあ、そりゃあ。

 そんな声(ラノベ風の声)も出るでしょうに!

 今なんて? これからも家に来てほしい? なんで?


「そんなに驚くこと?」

「だってそうだろ、俺とオマエの共通点なんてもうなくなるわけだし」

「なくなる? だって私たち、友達でしょ?」

「え。あーうん。友達だけど」


 だから、鈴野。何が言いたい!


「だからね」

「ああ」

「その」

「うん」


 まさか、このタイミングでまさか、逆告白!?

 と、行くわけもなく。


「勉強を、教えてほしいの」

「ハイわかってました予測は出来ていたけれども!」 


 はいそうだよね、俺の利用価値なんてそこくらいしかないよねー。分かってたけれどねー。

 とはいえ。


「俺でいいんなら喜んで」

「ほんとに?」

「嘘は言わないって」

「はー良かったー」 


 頼られるのは悪くない。

 もとより。

 頼みごとを断れるような性格ではないのだ、俺は。

 何せ俺は、こんなにツンデレで(でも今日はまだツンデレってないな)、こんなにかわいげがなくて嫌味ったらしいオマエのことを、ずっと見守ってきた男だからな。


「あとね」

「まだあんのかよ」

「うん。あとね、漫画の話もたまにでいいから聞いてほしいんだ」

「はいはい了解しました」


 何はともあれ、籠城の姫は自害する道をあきらめて城を明け渡す準備を始めました。

 ただそれはまだだいぶ先のことになりそうで、


「そうと決まったら、今日は持ち切れないほどグッズ買うわよ!! 荷物持ちもいるし!」

「全く。今日はどれだけ付き合わされるんだか」


 俺はいつか、この籠城の姫を城から救い出す、そんな男になってやるんだからな!

了 

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くじ引きで学級委員になった俺、不登校少女にプリントを届けて仲良くなる〜彼女はオタクで発言が厨二くさい(俺もまた人のことは言えないけどな!)〜 空岡立夏 @sai_shikimiya

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