第42話(最終話) 黄昏
昔々、傷を負った鶴がおりました。
偶然通りかかった人がその鶴を助けたのです。
鶴はその恩を返すために人の姿になり人里に下りて行きました。
人の温かさにもう一度触れたいと思ったから――。
□□□
「やちー!ほら見て来れ!向こうに、こんな大きい木の実が成ってたんだ」
「こっちも見て八千」
「うわぁ本当美味しそう」
私が生まれ育った山は、人里を離れ更に奥山にあるところ。勾配の厳しい山をいくつか越えてやっと辿り着く。冬の雪深い時期は、人は近づくことすらできない。一面の銀世界は、あらゆるものを氷漬けにしてしまう。
「少しは元気だせよ、やち」
「そうだよ。せっかく山に帰って来たのに、いつも暗い顔ばっかりして。オイラたちといても、つまらない?」
「そんなことないわよ。楽しいわよ」
「仕方ないよ仙太郎。やちは人に騙されたんだ。酷いことされたんだぞ」
「そうだけど。やちには笑って欲しいよ。百音だってそう言っていた」
「やちの髪飾り可愛いね。変わったお花がついてる」
「これは牡丹の花よ。大切な方に貰ったの・・・」
油太郎と仙太郎に手を引かれ、森の奥へと進んでいく。くるりと身体をひねらせると、小狐の姿に変わり、あっという間に先に行ってしまった。その後を追いかける仙太郎は、まだ変化の切り替えが上手くできないらしい。
雪の中を歩いて行くと湖があった。美しい湖もこの時期は凍ってしまう。油太郎たちが先に走って行く。私は吸い寄せられるように湖へと歩いた。
この時期に見る湖は、お日様の光で氷が反射して幻想的な景色を作り出す。お母様は、それが好きでよく一緒に見に行った。
木々を分けながら向かっていると、空からまた雪が降って来た。ふぅと息を吹きかけると、空気が白く濁った。それは自分がここで生きているという存在。
「八千っ!!」
人の声がした気がした。まさか、こんなところに人がいるわけない。踏み入れれば帰れなくなる。
「八千!!」
確かに声が聞こえた。木々の間の真白な雪の中に、黒い着物が見える。
「し、しこく・・・様?」
「八千」
「なっなぜ・・・なぜ紫哭様がこんなところに。私は幻でも見て・・・」
「お前を探しに来たに決まってるだろうっ」
「なんで・・・?」
迷いのない瞳だった。ザクザクと雪を踏みしめながら、こちらに一歩、二歩と近づいて来る。私は思わず後ずさんでいた。
「こっ来ないで!・・・私は、私は妖なのです!『契り』も破られた。もう、壷玖螺とはなんの関係もありません」
「妖も壷玖螺も関係ねぇ!!」
雪が音を吸収していく。
「あの町に帰りたくないなら、他の場所に住めばいい。山でしか暮らせないなら、俺もここで暮らす。二人でいられるならどこだって構やしねぇ!」
「紫哭様・・・」
「お前がまた、どこへ飛んで行こうが俺は探し出す。絶対に」
「・・・それでは、それでは紫哭様が幸せになれませんっ。私なんかと一緒では幸せになれない」
私は雪の丘を駆け上がっていく。ひたすらに走った。人が追い付けないほどに。
息が切れた頃に後ろを振り返ると、吹雪きかけた雪の中には枯れた枝の木しかなかった。
これで、これでいい・・・。前を向いたそのとき、大きな影に抱きしめられた。
「言っただろう。何度だって探すって」
「紫哭様・・・」
「契りなんて必要ねぇ。俺は八千が好きだ。それだけで充分だろ」
「そのようなお言葉・・・八千には勿体ないです」
あぁ、とてもとても温かい。凍てついた心も溶かすほどに温かい。
頬にまた涙が流れた。あのときとは違う。温かい涙だった。私は紫哭様の広い背中に手を回した。
「好きです。ずっと、ずっと紫哭様をお慕いしておりました・・・」
初めて屋敷で会ったあの日が、今でも鮮明に焼き付いている。ぶっきら棒な物言いだけれど、とても優しいくて、どこか寂しそうに私を見守っていてくれた・・・。そうきっと、あの日からずっと、紫哭様に恋をしていた――。
「八千も、紫哭様のお傍にいたいです」
一緒に春を迎えたい。
この雪の山にも、いずれ咲く桜を見上げて、綺麗だと共に笑い合いたい。
(おわり)
鶴人の恩返し May @sakuramaybox
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