ねっすい様
仁木一青
第1話
私の地元には、「ねっすい様」と呼ばれるお地蔵さんがおられます。
ねっすい――「熱吸い」がなまった言葉だそうです。
その名のとおり、病気で熱を出したときにそれを吸い取ってくれると信じられてきました。
私は子供のころ身体が弱くて、よく高熱をだして寝込んでいました。そのたびにおばあちゃんが枕元に座って、手を握りながらこう言うんです。
「大丈夫やで。ねっすい様にお願いしてきたさかい、じきに熱は下がるわ」
そう言われると不思議と気分が楽になって、安心できるのです。
お世話になっているねっすい様の近くを通るとき、私も手を合わせるようになりました。
拝んだことをおばあちゃんに報告すると私の頭をなでながら、いつも決まって同じ言葉が返ってきました。
「ねっすい様はな、この町の病人の熱を吸う仕事をずっと続けてこられたんよ。だから、いつも苦しそうなお顔をされとるんや」
確かに、石に刻まれた顔立ちは何かに耐えておられるように見えます。幼い私はそれが怖くて近寄れませんでした。いつも離れたところから拝んでいたほどです。ちゃんとねっすい様の前で手を合わせられるようになったのは、中学生になってからでした。
そして、おばあちゃんからひとつだけ、厳しく言い聞かされていたことがあります。
「ええか、ねっすい様には絶対に手を触れたらあかん。火傷するさかいな」
この言いつけは、何度も何度もくどいほど言われていました。
そうしているうちに、ねっすい様の前で手を合わせることは私にとって当たり前の習慣になり、数年がたちました。
そんなある日のことです。
私たちの町内によそ者のユーチューバーがやってきました。後で聞いた話では、ねっすい様の噂を聞きつけた炎上系の配信者で、黒いワゴンで乗りつけると仲間たちと大声をあげながら撮影を始めたそうです。
「はい皆さん、今回は話題の心霊スポット『ねっすい地蔵』にやってきました〜!」
そんなことをカメラに向かって叫びだしたのだとか。
「この地蔵、触ると火傷するっていう都市伝説があるんですけど、ホントかどうか確かめてみましょう!」
地元の私たちからしたら、とんでもない話です。
そして極めつけが、
「噂の地蔵で焼肉できるか、やってみまーす!」
という企画でした。
男がわざとらしく肉のパックを掲げてみせると、仲間たちは「マジかよ!」「やべー!」とバカ騒ぎです。
「鉄板焼きじゃなくて、地蔵焼きじゃねーか!」
「熱々お地蔵バーベキュー!」
仲間たちがバカ笑いしながら、「でっきるかな、でっきるかな」なんて
すぐに地元の人たちが駆けつけてきて、「何しとんねん!」と怒鳴りました。私も家から飛び出した一人で、ユーチューバーたちがあわててワゴン車に飛び乗り、そのまま逃げていくのを目撃しました。
大事なねっすい様のことなんです。普通ならもっと追いかけてもよかったはず。
けれど、その場にいた町内の人たちは……誰も追わなかった。
彼らを逃げるにまかせて追い払った後、ただ小さくひそひそと
「そろそろやと思っとったわ。……ステやな」
「せやな、あれがステや」
どういうわけか、町内の面々が怒っているようには見えません。それどころか、なんだか
それにしても、みんなが口にする「ステ」ってなんだろう。
その言葉の意味が、私にはわかりませんでした。
その晩、私はおばあちゃんに聞いたんです。
「『ステ』ってなんなん?」
彼女は、静かに笑いました。
「あんな、ねっすい様は熱を吸い取ってくださる、ほんまにありがたい存在や。でもな、熱を吸い取って吸い取って、吸い続けて……そんなんしてたら、いくら石でできとってもねっすい様もいつかは溶けてまうわな」
「……」
「だから、『ステ』がいるんや」
それ以上のことは教えてくれませんでしたが、あるひとつの答えのようなものが浮かびました。
でも、そんな恐ろしいことがあるのだろうかと、半信半疑でいました。
もしかしたら、おばあちゃんの話は単なる迷信かもしれない。そう思うようにしていたんです。
普通の日常が戻って、あの騒動も忘れかけていた頃でした。
ニュースであのユーチューバーの一人が突然死したと知りました。主犯格だった男が、都内の安アパートで変死体として見つかったそうです。
遺体の内臓は炭のように黒く焼けていたのに、皮膚には火傷ひとつなかったと報道されていました。私は背筋が冷たくなるのを感じました。
その夜、もう一度おばあちゃんに尋ねました。
「おばあちゃん、『ステ』って捨てるってことなの?」
「せやね。ねっすい様から熱を捨てられる役のことやな」
ああ、やっぱり。
おばあちゃんは続けます。
「ねっすい様はな、人の熱をずっと吸い続けとるさかい、いつかいっぱいになってまうんや。その時は、貯めた熱を誰かに移さなあかん」
お地蔵様が限界を迎える前に、必ず不届き者を呼び寄せて「ステ」にしてしまうのだと。
私はそのとき気づきました。あの日、町の人たちが誰も追わなかったのは、すでにわかっていたからなんです。
ねっすい様が「ステ」を選んだことを。
それ以来、私はねっすい様の前を通るとき、以前のように近寄って拝むことができなくなりました。
手を合わせるのは決まって、幼いころと同じように遠く離れた場所からです。
ねっすい様は、人を救ってくれるお地蔵さん。
でも、たまった熱を捨てるときには、不届き者を呼び寄せて「ステ」にしてしまう。それを知ってからは素直に参拝することができません。
最近のねっすい様は、こころなしか涼しげなお顔をされているように見えます。
それが、熱さに耐える苦し気な表情よりも恐ろしく思えるのです。
ねっすい様 仁木一青 @niki1blue
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