ヤンキー、山で猿にシメられる。
志乃原七海
第1話「なあ、クマが出たってよ」 「あぁ? クマだぁ? 俺の方がつえーよ! ははは!」
霊長類最強決定戦 -ディレクターズカット版-
序章:居酒屋での宣戦布告
安居酒屋「だるま」の紫煙とアルコールの熱気の中、テレビのローカルニュースが、近隣の山での熊の目撃情報を伝えていた。金髪リーゼントのケンジを筆頭とする「東上線連合」の面々は、それを肴に下らない武勇伝を語らっている。
「なあ、クマが出たってよ」
「あぁ? クマだぁ? 俺の方がつえーよ! ははは!」
「それは酒の方だよな? ケンジは」
「はははは!」
下品な笑い声が響く。だが、ニュースキャスターが「……また、同じ山ではニホンザルの群れが活発化しており、その数は推定100頭以上…」と続けた瞬間、ケンジの目がテレビに釘付けになった。画面には、観光客から弁当を奪い、カメラに向かって牙を剥く、ふてぶてしいボス猿の姿が映し出されていた。
「……おい、見たかよ今の」ケンジの声には、アルコールを凌駕する怒気がこもっていた。「あの猿…俺らをナメてやがったぞ」
「いや、カメラに…」
「うるせえ! あの目は俺ら連合への挑戦だ! いいか、クマの前にまず肩慣らしだ。俺らのシマを荒らす不届き者は、たとえ毛むくじゃらでも容赦しねえ!」
無茶苦茶な理屈だったが、それが彼らの世界の真理だった。
「まじか? やるか!」
「やっちまおうぜ! 猿狩りだ!」
ジョッキが打ち鳴らされ、あまりにも愚かな戦いの火蓋が切って落とされた。
第一章:舐めプの作戦会議
翌日。ひどい二日酔いの頭で、東関連合の二十数名は、山の麓の公園に集結していた。自称・作戦参謀のマサが、どこからか持ってきたホワイトボードに、子供の落書きのような山の絵を描いている。
「いいか、作戦を説明する!」マサは指示棒(拾った木の枝)で絵を叩く。「Aチームはタツを筆頭に右翼から! Bチームはリョウを中心に左翼から回り込む! そして俺とケンジさんが中央突破! この『鶴翼の陣』で猿どもを包囲殲滅する!」
三国志の読みすぎだった。メンバーたちは「かくよく…?」と首を傾げている。
武器マニアのリョウが、得意げに自慢の改造バットを見せびらかした。
「俺のこの『鏖(みなごろし)』があれば、猿なんざミンチよ」
バットには錆びた釘が無数に打ち付けられている。実用性より見た目重視の、典型的な“ヤンキーウェポン”だ。
皆がそれぞれの武器――木刀、鉄パイプ、自転車のチェーン――を手にいきり立つ中、ケンジが全てをひっくり返した。
「ごちゃごちゃうるせえ! 作戦なんざいらねえんだよ! 見つけ次第、ブッ飛ばす! 気合だよ、気合!」
「「「オッス!!」」」
結局、作戦は開始5秒で忘れ去られた。
第二章:進軍と静かなる監視
特攻服や派手なジャージに身を包んだ集団は、観光客の奇異の目に晒されながら、雄叫びを上げて登山道へと足を踏み入れた。
「猿どこだよー!」
「ビビって隠れてんじゃねえのかー!」
彼らは気づいていなかった。彼らが山に入った瞬間から、木々の奥、葉の隙間から、無数の赤い顔と鋭い目が、侵入者たちの一挙手一投足を冷静に観察していることに。
最初の異変は、小休憩で荷物を置いた時に起きた。
「あれ? 俺のカロリーメイトがない」
「俺のアンパンも…」
誰かが盗んだのだろうと仲間内で小競り合いが始まったが、誰も猿の仕業だとは思わなかった。それは偵察部隊による、敵の補給物資の強奪だった。
次に、頭上からパラパラと小石が降ってきた。
「あ? なんか落ちてきたぞ」
「鳥のフンじゃねえの」
彼らは空を見上げたが、そこには揺れる木々の葉しか見えなかった。猿たちは枝葉に巧みに身を隠し、投擲の精度と敵の反応を試していたのだ。
第三章:開戦 - 猿軍の波状攻撃
彼らが開けた場所に出た、その瞬間だった。
第一波:制圧射撃。
四方八方の木々から、弾幕のように“砲弾”が降り注いできた。それはもう小石ではない。握りこぶし大の石、ゴルフボールのように硬い青い木の実、そして、なぜかベタベタする松ヤニの塊。
「うおっ!」「いってえ!」
ヤンキーたちは頭を抱えてうずくまる。マサの「鶴翼の陣」は、敵の集中砲火の的になるだけの「ただの的の陣」と化した。
第二波:奇襲部隊による撹乱。
混乱のさなか、タツが叫んだ。
「うらー! 隠れてねえで出てこいや!」
特攻服の背中の刺繍を誇示するように、木々に向かって突進する。
その頭上から、影が舞い降りた。一匹の猿がタツの頭に着地し、リーゼントを鷲掴みにして引っ張り、あっという間に枝の上へと駆け上っていく。
「あああ! 俺の命(リーゼント)があああ!」
タツが頭を押さえて絶叫する。
「てめえら!」
武器マニアのリョウが釘バット『鏖』を振り回すが、その動きは大振りで隙だらけだった。背後から忍び寄った別の猿が、リョウの腕に飛びつき、その衝撃で『鏖』が手からすっぽ抜ける。猿はそれを器用にひったくると、高い枝の上で、まるでバトントワリングのようにクルクルと回して見せた。完全に挑発だった。
第三波:自然との連携。
「散れ! 各自で応戦しろ!」
ケンジの指示は最悪手だった。分散したヤンキーたちは、地の利を完全に把握した猿たちの格好の餌食となった。
・急斜面で足を滑らせ、泥だらけで滑り落ちる者。
・木の根に足を取られ、派手に転倒する者。
・猿を追いかけて藪に突っ込み、茨で特攻服をズタズタにされる者。
山全体が、猿たちの巨大な障害物コースと化していた。キーキーという甲高い鳴き声は、もはや彼らには嘲笑う声にしか聞こえなかった。プライドが音を立てて削られていく。
第四章:総長対大将、そして最終兵器
仲間たちが次々と戦闘不能に陥る中、ケンジはついに“奴”と対峙した。
少し開けた岩場。その頂点に、他の猿より一回りも二回りも大きい、顔に古傷のあるボス猿が鎮座していた。その眼光は、昨日テレビで見たものと同じ、絶対者のそれだった。
「てめえが…ボスか…!」
ケンジは鉄パイプを握りしめ、ゆっくりとボス猿ににじり寄る。残ったメンバーが固唾を飲んで見守っていた。
「俺は東関連合総長、ケンジだ。タイマン張らせてもらうぜ」
ボス猿は動じない。ただ静かにケンジを見下ろし、フッと鼻を鳴らした。そして、まるで手招きをするかのように、片手を軽く上げてみせた。
完全に、ナメられた。
「うおおおおおおお!!!」
ケンジの理性が沸騰する。地面を蹴り、ボス猿めがけて一直線に突進した。
ボス猿は、その突進を紙一重でひらりとかわす。ケンジは勢い余って岩に激突しそうになり、体勢を崩した。
その一瞬の隙。
ボス猿は人間には理解できない甲高い声で、短く、鋭く鳴いた。
それは、総攻撃の号令だった。
ケンジが体勢を立て直そうとした瞬間、空が、陰った。
見上げると、周囲の木々という木々から、無数の猿たちが一斉に“何か”を投下していたのだ。それは石でも木の実でもない。茶色く、柔らかく、そして強烈な獣の臭気を放つ、禁断の最終兵器――。
“糞爆弾”の一斉掃射だった。
「うわっ!」「なんだこりゃ!」「くっせえええ!」
連合の残党が糞の雨に打たれ、阿鼻叫喚の地獄と化す。
そして、一際大きく、粘度の高そうな一発が、放物線を描いてケンジの頭上へ――。
べちゃっ。
丹精込めて固めた金色のリーゼントの頂点に、それは無慈悲に着弾した。
時が、止まった。
ケンジの脳裏に、これまでの人生が走馬灯のように駆け巡る。そして、強烈な臭気と屈辱が、彼の思考を真っ白に塗りつぶした。
その無防備になった尻に、背後から回り込んでいたボス猿が、すべての決着をつけるべく、その鋭い牙を深々と突き立てた。
「ぎゃあああああああああああああ!!!」
東関連合総長の断末魔が、山全体に木霊した。それは、霊長類最強の座が、名実ともに移譲された瞬間を告げるファンファーレだった。
終章:敗走と失われたプライド
総長の尻が噛まれ、リーゼントが汚されたのを見て、東関連合は完全に崩壊した。
「退却だ! もう無理だ!」
「こいつら、ただの猿じゃねえ! 軍隊だ!」
彼らは武器を放り出し、泥と糞と屈辱にまみれながら、文字通り這う這うの体で山を下りた。背後からは、勝利を告げる猿たちの勝ち鬨が、いつまでも追いかけてきた。
その夜。
居酒屋「だるま」のテーブルは、葬式のように静まり返っていた。誰もがボロボロで、生気がない。リョウは自慢の『鏖』を失い、タツは無残に乱れた髪を気にしている。
ケンジは、円座クッションを二枚重ねにしても痛みが和らがないのか、うつ伏せでテーブルに突っ伏していた。
店内のテレビが、またあの山の特集を組んでいる。
「ニホンザルは非常に知能が高く、道具を使うことも報告されています。例えば、敵から奪った武器を…」
そのナレーションと共に、観光客が撮影したという映像が流れた。そこには、釘バットを器用に振り回し、硬いクルミを叩き割っている猿の姿が映っていた。リョウが「俺の…鏖…」と震える声で呟いた。
誰もが黙り込む中、タツがポツリと言った。
「なあ…やっぱ、クマって、やべえよな…」
うつ伏せのケンジが、うめくような声で呟いた。
「……うるせえ」
誰も、笑わなかった。彼らの心には、人間以外の霊長類に対する、本能的な恐怖と畏敬の念が、深く、深く刻み込まれたのだった。
ヤンキー、山で猿にシメられる。 志乃原七海 @09093495732p
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