▓日目

 次に目覚めたのは、病室のベッドだった。


 連絡が付かないことを心配して、合鍵で部屋に入った母親が、鼻と口に自分の両手をねじ込んで窒息しかけている俺を見つけた。

 すぐに救急車で緊急搬送されたらしいけど、母親も錯乱してしまって大変だったようだ。


 経過観察の退屈な時間の中で、俺は思い出していた。


 あのとき見た夢は、小学生のころの実体験だ。

 貯水池に浮いていた水死体──当時の担任の女性教師は、まだ若かったと思う。前日の夜にバーで泥酔していたなんて情報もあり、誤って池に転落したのだろうということになった。


 だから俺たち生徒が、朝の出欠確認のとき彼女を無視したり、容姿を貶めるような発言を日常的に繰り返していた事実は、なかったことになった。

 親たちも、同僚の教師たちも、知らなかったことにした。


 みんなが記憶に蓋をして、忘れ去った。

 いまでも彼女の名前を正確には思い出せていない。

 そして彼女への罪悪感もほとんど浮かんでこない事実に、何よりの罪悪感を感じた。


 忘れかけていた顔だけは、もう忘れようがなく焼き付いている。


 貯水池はその後すぐ埋め立てられ、ずっと空き地のままだったけど、県外の不動産会社が買い取って昨年マンションを建てた。──それが、あのマンションだ。


 ほどなく退院した俺は、すぐに部屋を引き払い、実家暮らしをすることに決めた。

 賃貸の違約金なんてどうでもよかった。

 生まれ育った実家の、見慣れた実家の木目の天井は、言いようのない安心感がある。

 今朝も母親の大きな声が聞こえて、畳敷きの布団で目覚めた。


「──ねえちょっと、廊下に水こぼしたの誰? なんか嫌な匂いするんだけど」

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したたり《死祟》 クサバノカゲ @kusaba

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