第7話

「三玖君、元気してる?」


「まぁ、はい。叔父さんは?」

「元気だよ……もう随分と会話も出来るようになったみたいで良かったよ」

「……それでね、今日は三玖君が知りたいようなこと、沢山話そうと思って」

「知りたいことなんて……」

「本当に何も知らなければそれでいい。もし会話の途中で気分が悪くなるようだったら、僕は帰るから」


 ようやく頭がまともになってきた僕だが、微かに消えかかっていた昔の罪と記憶は今でこそほぼない。

「……兄さんと義姉さんは、行方不明じゃなくて、心中したんだってね」

 それは僕が一番知っている。

「……亡くなる前、兄さんは、愛人が居たんだ。それで、その愛人は最近、彼氏に殺されたと分かった」

「愛人の事も最初から知ってますよ。……今更、その愛人と僕、なんの関係があるんですか。他人でしょう」

 元々酷い環境に居ながらも、さらに歪ませたその愛人が憎くある。一番の元凶はやはり父であった。しかし、なぜ叔父さんはその話を知っているんだ?

「確かに他人だ。他人なんだけど、三玖君はその人と関わりがあったよね」

「桐谷麻衣子っていうんだ。その人」


 ……先生?


「なんで、先生が父と……だってそうなら、僕は愛人が先生だって気付くはず」

「次に話すことは、その先生の彼氏が自首した時に話した内容なんだ」


「その先生が、彼氏とデートをしていた時、ふと、とある家族の話をしたんだって。その話を聞いて、この人と付き合ってられないと思った彼氏が不意をついて先生を殺して、慌てて逃げて、様子を確認した時には死体はそこになかった。それは三玖君が運び出したから。それから数年後の今になって、先生をどこかに連れていった人が三玖君だって新聞で知った彼氏は経緯を話した」


 僕は全部思い出した。


「恐らく君の記憶障害は薬のせいじゃない。好きだった先生から教え込まれてきたことを、脳が良い方に解釈し始めただけだ。それと……」


「すみません。これ以上そういった話題は、まだ不安定な遠藤さんに……」

 それ以上の会話は職員さんに止められた。多分、僕の瞳孔が大きく開きながら今まで以上の感情を見せて会話をしていたからだと思う。

 僕を縛っていた罪とは、全て先生が関わっていた。

 いつかの日、劣悪な環境の辛さを先生に嘆き、伝えた時、先生が救ってくれると言った。あの言葉。間がすっかり抜けていた。

「君はまだ自分の守り方を知らない。正式な患者じゃなくても、私が救ってあげる。私を好きになってくれてありがとう」

 その日から先生は父を誘惑して、愛人という存在で母を追い詰めた。僕を安全な所へ連れていくために。実際、そうだった。叔父さんに引き取られて安定した生活を送れた。先生はそこまで見越していたのか?

 死体の隠し場所も先生が教えてくれた。

 重要な事なのに、すべて忘れていた。忘れさせられていた。

 面会終了後、叔父さんがタクシーに乗ろうという時、僕は見送り際、叔父さんに一番の疑問を聞いてみた。

「……僕が思い出したから叔父さんは全てを語らなかったけど、なんでそんな事知っていたんですか?」

「警察だから。言ってなかったけど。先生の彼氏の話を聞いたのは僕。それと、全てというのは僕の考察になってしまうからね」

 ……警察って、僕に嘘をついていたのか。

 思えば、僕の記憶はずっと若くて綺麗な先生で止まっていた。だって、いくら腐敗していたとはいえ、あんなに綺麗に見えたのは恐らく目の錯覚であったのだろう。


 翌日の朝、職員さんが「今日のお薬ですよ」と差し出すカップを、僕は素直に受け取る。指先が震えていたのも数年前のように思えた。

 ありがとうございます。と笑う。完璧な笑顔。誰も傷つけない、誰のことも拒まない、ただの抜け殻の笑顔。これでいい。この笑顔が僕の中で一番自然に思えた。

 僕がいた証なんて、最初から必要なかった。ちゃんと回復して、退院できたのなら、僕はもしかしたら死刑になるかもしれない。

 けれど、それでいい。充分過ぎる。

 職員さんに再び声をかけられた。

「水は持ってる?必要なら持ってくるけど」

「いえ、大丈夫です」

「そう。この後の予定は決まりました?」

 僕は答えた。


「はい。久しぶりに絵を描こうと思って」

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終止符 宮世 漱一 @soyogiame-miyako2538

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