第7話 空を覆い尽くす影【インウィディア・開拓区】

「そろそろ腹も空いてきたし、野営するか」


 パリオネの一言で馬車は止まり、野営の準備が始まった。

 片方の太陽が山間に沈みかけていて、普通の星なら夕刻といったところだ。

 馬車の背部トランクには、パリオネがリメアの寝ている内に市場で購入していた食材が詰められていた。

 リメアとアーヴィはパリオネの指示通り、街道沿いの枯れ木から枝をかき集める。

 戻ってくると、ちょうど鍋や食材の下処理をしていたパリオネが食材を鍋に放り込み、火打ち石と鉄の棒で火花を飛ばしているところだった。

 野菜から出る水分を使った無水調理の鍋料理だ。

 アーヴィはその様子を見て口笛を鳴らす。


「へぇ。手際いいな」

「これぐらい慣れっこさ。野草やきのこを採取してぱぱっと作ってしまうときもある」

「すごい!」


 パリオネは感心するリメアに笑顔を返しつつ、枝を投入し火加減を調節する。

 すると調理支度をする皆のところへ、御者のお爺さんがやってきて頭を下げた。


「いやはや、英雄さんに護衛いただけて本当に感謝です。小型の魔物も英雄さんの覇気に気圧されたのか、襲ってくる気配すらありません」

「はは、そうだな。だが、こんな単独移動を許してくれたあなたも、肝が座っている」

「私ももう年です。この仕事も長い。どれだけ人数を率いて保険をかけても、襲われる時は襲われます。大切なのは難所を乗り切れるだけの護衛を目利きすることですから」


 支度が一段落し、それぞれが火を囲んで思い思いの場所に腰掛けた。

 パチパチと爆ぜる焚き火に掛かった鍋をリメアはじっと見つめる。

 鋳鉄製の重い鍋蓋が、時折中の蒸気を逃がすためガタンと音を立てた。


「ふ、吹きこぼれてる!!」


 素っ頓狂な声を上げても、パリオネは大丈夫だよ、と手をヒラヒラさせる。

 こぼれたスープは鍋の側面を泡立ちながら落ちていき、一筋の焦げ跡を残して消えていく。

 片方の太陽が沈み、日差しがいくぶんか穏やかになった。


 時間が、ゆっくり過ぎていく。

 しばらく穏やかに談笑した後、パリオネが簡易椅子から立ち上がった。


「そろそろいいだろうか」


 リメアは待ってましたとばかりにミトンを手に被せ鍋蓋を開ければ、グツグツとたぎる野菜と鶏肉のスープが現れた。

 パリオネは慣れた手つきで香草を取り除き、焚き火の中へと投げ捨てる。

 火勢が弱まり、湯気が膨らんで立ち上った。

 パリオネはお玉と椀を手に持ち、スープをすくって味見をする。

 お玉の持ち手を顎に当て、小指を立てて少し考えこむ。


「うーん、まぁ、こんなもんか!」


 その一言で調理は終わりを告げ、それぞれの器にスープが行き渡った。


「いただきます!」


 トマトとぶつ切りの鶏肉が入った豪快なスープに、透き通ったオイルが浮かんでいる。

 リメアにとって、それは初めてのちゃんとした料理だった。

 アリシアが作ってくれた軽食や冷凍食品とも、監獄で食べた謎料理とも異なる、手作りの料理。

 見様見真似で、他の人と同じように手でちぎったバゲットをつけて頬張ってみた。


「……っ!」

「ほぉ」

「なかなかいけるな」


 皆が称賛を告げる中、口の中いっぱいに広がった野菜と鶏の旨味、優しい香りに思わず目を見開く。

 リメアはごくんと食べ物を飲み込むと、パリオネに向き直る。


「すっっっごくおいしいよ! パリオネ! 料理じょうず!!」

「そうかな、結構適当なんだけど。目分量だから、同じ味作れって言われてもできないよ」

「おいしい、すごくおいしい!」


 少食のリメアだが、今まで食べてきたどんな料理よりも美味しく感じられ、ぺろりと1人分を平らげてしまった。


「お、お腹いっぱい……!」

「ごちそうさん」

「あ! ごちそうさまでした!」

「ありがとうございます、英雄様。ごちそうさまでした」

「ふふ、お粗末様でした」


 パリオネがニコッと笑い、火から降ろされた空の鍋の中に食器を片付けようとした、その時だった。

 野営地を唐突に影が覆い尽くす。

 耳をつんざくほどの咆哮が空を揺らした。

 

「馬車に乗れッ!」


 パリオネが上空を見上げるやいなや、大声で叫ぶ。

 同時に目にも留まらぬ速さで焚き火を蹴り飛ばした。

 鍋に残っていたスープが溢れ、白煙があたりを包み込む。


「早くッ!」


 パリオネに発破をかけられ、リメアはアーヴィに手を取られると慌てて馬車へと走った。

 すると白煙の中から御者が飛び出し、2人の前へ躍り出る。

 御者は老人とは思えぬほど俊敏な動きでリメアたちを先導し、馬車にたどり着くと側面に垂れ下がった紐を強く引く。

 荷車の下部から濃い灰色の煙がもうもうと出てきた。


「魔物よけの香です! 臭いますがお早く!」

「う、うん!」


 わけがわからぬリメアは目をパチクリさせながら馬車に飛び乗った。

 ツンと鼻に来る臭いが立ち込める中、馬車は全速力で走り出す。


「パリオネは!?」


 窓から顔を出すリメア。

 煙が目に染みる。


 パリオネは野営地で身を引くし、空を見上げている。

 焚き火から出ていた煙は既に消えていた。

 リメアも身体を捩って頭上を仰ぐ。


「なに、あれ……!」


 空に鳥のような影が見えた。

 しかし鳥にしてはあまりに大きく、尾も長い。


「もしかして、アーヴィの農園で見たあの影って……!」


 馬車に身を戻しアーヴィの顔を見ると、額に冷や汗をが浮かんでいた。


「あの咆哮は間違いねぇ……。そうだ。リメアの想像通りさ。俺の死因ナンバーワンにして探索を阻んだ最大の要因。この開拓地一帯は、あの飛竜の縄張りなんだよ……!」

「飛竜って……ドラゴン!?」


 リメアは再び窓から顔を出す。

 激しい咆哮が大気をビリビリと揺らしている。

 大空に翼を広げた影は確かに、物語で繰り返し描かれてきた巨大なドラゴンに酷似していた。

 

「降りてくる!」


 広げていた翼が閉じられ、影がぐんぐんと大地に迫ってくる。

 徐々にその姿がはっきりしてきて、リメアは思わず息を呑んだ。

 飛竜のその姿は、映画で見たどのドラゴンとも似ても似つかなかった。

 羽はワシ、顔はトカゲ、足はワニ、尻尾はヘビといった見た目で、まるで統一感に欠けている。

 だがその大きさは30mを優に超えており、凶悪なモンスターに変わりはなかった。

 ドラゴンの向かう先へと目をやる。

 空に向かって拳を構えたパリオネが、やけに小さく見えた。

 が、直後、視界のすべてが赤く染め上げられる。

 熱気が肌を焼くようだった。


 ドラゴンが火炎を吐き出したのだ。

 デュオナッソの炎が火遊びに思えるほどの業火だった。

 火炎は大気を焼くにとどまらず、飛び散った可燃性の液体が落下地点に散らばりで更に大きな火柱を上げる。

 リメアの目の前で、パリオネは野営地ごと火の海に包まれたのだった。


「パリオネ!!」


 気がつけば馬車から飛び出していた。

 背後からアーヴィのバカやめろ、という声が聞こえた気がする。

 轍の上で受け身を取り、勢いをそがれる前に大地を蹴飛ばす。


 ゴウゴウと燃え盛る炎の上昇気流で、ドラゴンは再び上空へと舞い上がる。

 空中で旋回し、再び地上へ襲いかかろうとしていた。


 リメアは奥歯を噛み締め、髪色を白銀へと変えていく。

 もう一度地面を蹴り飛ばすと、音の壁を突き破る衝撃がビリビリと響いた。

 炎の壁が、目前に迫る。


 腕を十字に顔の前で硬め、体ごと火柱を貫いた。

 身を翻し、急制動をかけ振り返る。

 ど真ん中に穴を空けられた炎が、遅れてやってきた風圧で大部分を消失していた。


「パリオネは……!?」


 くすぶる焦土に目を這わせる。

 目の端で小さな人影が動いた。

 リメアが目を凝らすやいなや、その人影は凄まじい勢いで垂直に飛び上がる。

 身にまとった灰が尾を引く中で、炎よりも赤い長髪が姿を表す。

 その持ち主は紛れもなく、パリオネだった。

 煤だらけになり、体中に火傷を負っているが、その目は死んでいない。


(よかった!) 


 リメアがほっと胸を撫で下ろすのも束の間。

 見上げれば、上空でドラゴンが待ち構えている。

 まるでパリオネが来るのを、分かっていたかのように。

 

「危ない!」


 リメアは歯を食いしばり、体中のエーテルを活性化させる。

 耳元で虹が煌めき、指先から順に透過していく。

 普通に追いかけていたのでは間に合わない。

 エーテル総量は依然少ないものの、ためらっている時間はなかった。


「跳躍ッ!」


 足元でエーテルが弾けるのと同時に、5次元空間に滑り込む。

 すぐさま3次元へと戻り、色彩が戻ると同時に身体を一回転。

 飛び出した先は計算通り、ドラゴンのちょうど真上。

 ドラゴンは瞬間移動したリメアになど、気づいてすらいない。

 仕留めるなら、今だった。 



「はぁぁぁぁっ!」


 高く振り上げた足を、踵から勢いよく振り下ろす。

 風を切り裂いた足がドラゴンの頭蓋にめり込む。


(このまま、地面に向かって蹴飛ばしちゃえ!)


 さらに足に力を込め、足を振り抜こうとしたその時、リメアはぎょっとした。

 沈む頭とは逆に、鼻先がメリメリと盛り上がってきたのだ。


「えっ!?」


 声を上げたと同時に、ドラゴンの上顎が血飛沫とともに弾け飛ぶ。

 鮮血をまとって現れたのは、拳を天に向け振り上げたパリオネだった。

 瞼を持ち上げたパリオネの瞳にリメアが映り込み、その目が驚きに大きく見開かれていく。

 

「あっ」


 リメアはとっさに口を手で覆う。

 無意識にドラゴンを踏んづけていた足に力が入った。

 怒りと怨嗟にまみれた咆哮が地表へ向かって遠ざかっていく。

 少し遅れて、轟音が丘陵地帯に響き渡った。

 

 リメアの脳裏に、アーヴィと森を歩いた時の会話が再生される。

 確か「あんまり目立つなよ、ただでさえその服装と髪色は目立つんだからな」と釘を差されていた気がする。


「え、えへへ……?」


 すうっと色が黒に戻る髪を掌で覆って隠すも、パリオネの大きな瞳にきっちりと映り込んでいる。


(み、見られちゃった……!)


 もはやドラゴンどころではなかった。

 2人はそのまま自由落下し、地面に横たわるドラゴンの上へと着地する。

 ちら、とパリオネを見ると、じっとこちらを見つめていたので、リメアはさっと目を逸らした。

 髪の色が変わったこと、ドラゴンの頭上まで移動したこと、蹴飛ばしたドラゴンが地面に衝突して絶命したこと。

 どれをとっても普通の少女からはかけ離れている。


 目線を足元に向ければ、デュオナッソ同様、ドラゴンはズブズブと黒い液体へと姿を変えていく。

 液体は凄まじい勢いで地面に染み込んでいき、あとに残ったのは、錆びた鎧や折れた剣。

 そしてドラゴンの胸元があった場所で輝く魔石だけが残されたのだった。


「この鎧って……」


 リメアは錆びついた鎧を覗き込み、口を手で覆って後退りする。

 鎧の胸元はドラゴンの鋭い爪で引き裂かれており、隣に転がっていた兜は大きくひしゃげていた。

 これを着ていた人がいたとすれば、恐らく助かる見込みはない。


「恐らくドラゴンに食べられた冒険者だろう。鎧の状態からして、食べられて時間が経ちすぎている。これではもう、身元も判別はつかない」


 パリオネは両手を握り込み、目をつぶって祈りを捧げた。

 リメアもそれに習って目を閉じる。


「それにしても驚いた。リメア、君はレベルいくつなんだ?」

「えっと……」


 誤魔化せてなかった、と内心焦り散らかすリメア。

 恐る恐る目を開けると、こちらを覗き込むようにして首を傾げるパリオネ。


「確かレベルは……って、パリオネっ!?」


 思わず驚いて声が裏返る。

 パリオネの腕は、肩から鎧どころか袖まで破けており、異様なほど血管が浮き上がっていた。

 肘からはボタボタと血が滴っている。


「ああ、これか。気にする必要はない。じきに収まる。火傷も、ほら」


 パリオネはもう片方の手で露出した首筋を指差す。

 火傷の跡はみるみるうちに小さくなり、きれいな肌に戻る。


「はぇー……、アーヴィみたい……」


 その発言にパリオネが目を丸くした。


「アーヴィ君は自然治癒能力持ちなのか!? すごいな君たち、英雄の素質しか感じられないよ、ははっ」

「はは……」


 またしても墓穴を掘ってしまったリメアは、「ごめんアーヴィ!」と心のなかで謝った。

 そんなことはつゆ知らず、パリオネは朗らかな笑い声を響かせながら魔石を拾い上げる。


「これはリメアにあげよう。もっと強くなって、いや、すでに十分強いが、いい英雄になってくれ」


 渡された魔石は小さいものだったが、内側に込められたエーテルはデュオナッソの比ではない。


「え、でも、魔石ってその、パリオネもレベルアップに必要なんじゃ……?」


 リメアが見上げると、パリオネは優しい眼差しで微笑んだ。


「私にはもう、必要のないものだ。英雄の条件は簡単でね。レベルが999、つまり上限を叩いているかどうかが基準なんだよ」

「999……!? じゃあもう、この魔石は……」

「そう、私にはもういらないんだ。かといって冒険者は誰もが自分の力で魔石を手に入れ、英雄の座を目指して日々研鑽している。私が手に入れた魔石を配って回るのは筋違いだ。だから便宜上水晶に流し込んではいるものの、意味はほとんどない」

「じゃ、じゃあわたしも、もらうわけには……」


 リメアは魔石を返そうと手を伸ばしたが、パリオネに押し戻される。


「でも今回は違う。あのドラゴンにとどめを刺したのは明らかにリメアの一撃だった。私が魔石を横取りするほうがよっぽど問題だ。そんなことしたら模範的英雄失格だよ。はっはっは!」


 高らかに笑うパリオネは、昨晩の姿とは別人のようだった。

 溌剌としていて、豪快で、まさに絵に描いた英雄そのもの。

 太陽と月のように、昼と夜で性格が入れ替わっているんじゃないかな、とリメアが錯覚するほどだった。


 程なくして馬車がアーヴィを乗せて戻って来た。


「おい、大丈夫か……って、聞くまでもなさそうだな」


 パリオネを見てホッとしたアーヴィの目は、リメアに向けられた瞬間わずかに鋭くなる。

 

「あ、あはは……」


 この後の説教を覚悟したリメアは、乾いた笑いを漏らすことしかできなかった。


 その後、リメアとパリオネは互いの汚れをはたき落とし、皆で協力して飛び散った鍋や割れた食器を集めてトランクにしまいこむ。

 馬車に乗ったあと、パリオネは興奮した様子でリメアを褒め称えたが、しばらくすると疲労からかすやすやと眠りに落ちてしまった。


「アーヴィ」

「ああ。見てたぜ。遠巻きにな。目立つなって言ってたのに大立ち回りしやがって」

「う……。ごめん……」

「だが、パリオネの身体能力には驚かされた。あんな動きができるなんてな」


 リメアはアーヴィの一言にハッとする。


(そうだ。パリオネはわたしとは違うんだ。普通だったらあんなに高くジャンプしたり、高いところから着地したり、怪我が早く治ったりしないはず。それに……)


 リメアは握りしめていた手を開き、中にあった魔石を窓の外の太陽にかざす。

 この魔石についても、わからないことだらけだった。

 日差しが魔石を通り抜け、オレンジ色の光彩が馬車の中に広がる。

 反射した光が、パリオネの横顔を照らした。

 顔の半分ほどを覆っていた火傷の傷は、もう見当たらない。


「ねぇ、英雄って、何? 魔獣って何? レベルって、なんなの……? あんなドラゴンと戦うことって、普通の人にできることなの? 宇宙にはあんな人が他にもたくさんいるの?」


 アーヴィは腕を組み、考え込むようにしてパリオネを見つめる。


「いや、俺も見たのは初めてだ。俺から見ても明らかに人間の範疇を超えていることは間違いない」

「そう……だよね……」

「勘違いするなよリメア。この宇宙は魔法の世界でも、ゲームの中でもない。俺達みたいな変わり種を除いて、びっくり人間がゴロゴロいてたまるかってんだ。どう考えたって、異常だ」

「……うん」


 リメアは魔石をポシェットにしまい込む。

 馬車の内壁により掛かるパリオネの腕は、戦闘直後に比べたらだいぶマシになっていたが、いまだ血管は不自然に浮き上がっている。

 その脈動はまるでパリオネとは別の生き物のようで、気味が悪かった。

 ガタゴトと揺れる馬車は、旧王都への街道を走り続ける。

 その間も、パリオネの腕は鼓動を続けていた。

 ドクン、ドクンと――。

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2026年1月23日 17:50
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星渡りの不完全者 2章開幕! 藍色あけび @Akebi023

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