瘤の鳴き声

二ノ前はじめ@ninomaehajime

瘤の鳴き声

 木のこぶからせみの声がした。

 樹齢をたオリーブの木だった。人々がいこうパーゴラに寄り添い、柔らかな木漏れ日を落とす。楕円形の実をつけて、緑から紫、黒色へと熟して足元に散らばる。踏み潰された果肉から甘ったるい香りが鼻腔びこうをくすぐる。

 つた植物が絡んだ屋根の下で、木製のベンチに座ってよく本を読んだ。大衆小説よりも古典文学を好んだ。カフカの『変身』を読みふけっていると、その鳴き声が耳朶じだに触れた。最初はツクツクボウシだったと思う。その名前の由来である鳴き方を繰り返し、転調する。歌い終わりには機械音にも似た音を鳴らして沈黙をする。

 少し季節を外れた蝉が鳴いている。最初はそう思った。怪訝けげんだったのは、頭上ではなく地面に近い位置から聞こえてくることだった。分厚い本のページから目を外し、音を辿たどると、木の盛り上がった瘤に行き着いた。樹皮がささくれ立ち、やけに膨らんだ根元から声がする。

 気のせいだろう。そう結論づけて、本を閉じた。

 その公園を訪れるたびに、季節外れの蝉の鳴き声が足元を漂った。蝉そのものが樹木に止まっている姿はなく、やはりどう考えても瘤の中から聞こえた。秋が深まり、踏み潰されたオリーブの匂いが強まった。

 白い粉雪こなゆきが降り始める季節に、この声は自分にしか聞こえていないらしいことがわかった。気温が下がって公園の利用者が減ったとはいえ、皆無ではなかった。ニット帽に分厚い手袋をめた子供たちが追いかけっこをして目の前を駆け抜けていく。冬景色の中で鳴きしきる蝉の声に気づいた様子はない。

 何かの本で読んだことがある。西洋の人間にとって蝉の『声』は雑音に過ぎない。優劣ではなく、脳のどの部分で処理するかの違いらしい。つまりは、規模は違えど同じことが起きているのだ。

 冬に鳴く蝉の声を聞きながら、マフラーに顔を埋めて『山月記』を読んでいた。



 作家になりたかった。

 何がきっかけだったのかは覚えていない。ただ幻想小説や怪奇小説に魅入みいられた。読み耽るうちに、いずれ自分も同じものを書きたいと願っていた。

 最初は一行や二行を書くのでさえ石を素手で削る思いだった。初めて短編小説らしきものを執筆したとき、にわかに興奮を覚えた。公募先を探して、どれも規定枚数に満たず、途方に暮れた。どうやら自分が書いた小説は原稿用紙にして十枚以下の掌編しょうへん小説だったらしい。

 文章の勉強らしい勉強はしなかった。物語を思いつくたびに四百字詰めの原稿用紙にしたため、条件に合った公募先を探すというとん珍漢ちんかんなことをしていた。当然、一次選考を通ることもなかった。

 執筆に行きまると、この公園を訪れて読書をした。季節を問わず、瘤の中の蝉は鳴いていた。面白いのは、鳴き声の種類が変わることだ。ツクツクボウシだったのが、ミンミンゼミが鳴きしきる声になっていた。夏を過ぎるたびに変化するため、瘤の中にいる何かがこえ真似まねをしているのではないかと考えた。ただ、その意味まではよくわからなかった。

 瘤の中の存在に興味がなかったと言えば嘘になる。刃物で切り開いてしまえば、中身がわかるかもしれない。ただ人目のある公園では奇行でしかなかったし、もしかすると自分の幻聴かもしれないのだ。

 何より触れるべきではないと思ったのだ。オリーブの瘤の中にいるのがどうであれ、悪さをしているのではない。懸命けんめい生命いのちを生きている。

 本を開くたび、足元のせみ時雨しぐれを思い出す。

 大学には行かず、家を出て整備工場で働き出した。目標はあくまで作家であり、当座の生活費を稼ぐための手段でしかなかった。頬を油で汚しながら、頭の中では次はどういう物語を書こうか、という考えで一杯だった。くたくたになった体を抱えながら、風呂で綺麗に洗い流して机と向き合った。

 当然、公園から足が遠のいた。公募と落選を繰り返した。一次選考を通り、最終選考に残ることはあった。期待を抱きながら、自分の作品と名前が発表されないことに落胆らくたんした。

 いつか、いずれ。そう考えながら無闇むやみに歳を重ねた。気づけば二十代も後半に差しかかっていた。腰掛けのつもりだった整備工場も勤続年数の長さを買われて、それなりに責任のある立場を任されていた。焦燥しょうそう感に追い立てられた生活の中で出会ったのが、のちに妻となる彼女だった。

 若い事務員の娘だった。前から顔は知っていた。職場の飲み会を通じて距離が縮まり、普段の仕事でもよく話す仲となった。決して美人というわけではない。ただ彼女も読書が趣味らしく、馬が合った。毎年ノーベル文学賞を有望視される作家について語り合った。

 作家志望であることは隠し通した。毎年大きな賞で壇上に立つ人たちの誇らしげな顔を、テレビの向こうで眩しく眺めた。いつか、いずれ。それが、いつまで、という言葉に変わった。

 個人的な付き合いを深めて、その娘と結婚した。所帯しょたいを持ち、工場長になってからはがむしゃらに働いた。子供ができ、筆を握る時間はなくなった。あれだけ頭の中をいろどっていた物語が、重くのしかかる現実に塗り潰された。

 決して楽な生活ではなかった。妻にも苦労をかけたと思う。それでも人並みの幸せだっただろう。子供が大きくなり、経済的に大きな負担になりながらも大学には行かせた。夢を追って苦労をした自分と同じてつは踏ませたくなかった。

 我が子が独り立ちをし、人生に一区切りがついた気がした。長年整備工場に勤め、すっかり手には油の臭いが染みついていた。かつて筆を握っていたときの手のひらよりも、しわが深くなっていた。

 まるで誰かから役目を終えたのだと告げられた気がした。呂律ろれつが回らず、思考がまとまらなかった。妻に不調を見抜かれ、心配された。無理を押して仕事をしていると、激しい頭痛がした。手足がしびれ、眩暈めまいとともに倒れた。すぐさま救急車で運ばれた。

 のう梗塞こうそくだった。幸い治療を受けるのが早かったため、命に別状はなかった。ただ後遺症があり、文字を書くことさえ困難になった。

 妻に付き添われて、リハビリを続けた。日常生活に支障がない程度には回復した。仕事を辞め、貯蓄ちょちくを切り崩しながら年金で暮らした。家庭を持った我が子から同居することを勧められ、固辞こじした。障害が残った親の世話で苦労をかけたくなかった。

 晩秋ばんしゅう、妻に無理を言ってかつての故郷へ戻った。バスを乗り継いで里帰りするのも一苦労だった。見慣れた景色の中に近代的なビルを見出し、時代の流れを感じた。

 読書に寄ったあの公園は健在だった。子供の安全性を考慮こうりょして、すっかり遊具は撤去てっきょされていた。あるのは砂場と憩いのパーゴラ、あの瘤があるオリーブの木だった。杖を突きながら、緩慢かんまんにベンチに腰を下ろす。木製から樹脂じゅし製の真新しいベンチへと変わっていた。

 妻が心配そうな眼差しで公園の入り口にたたずんでいるのが見える。申し訳ないと思いながら、思い出を振り返るために一人で寄らせてもらったのだ。両目を閉じて耳を澄ます。もう蝉の鳴き声は聞こえなかった。

 きっと瘤の中で鳴いていた何かも、その寿命を終えたのだろう。何事にも終わりは来るものだ。この身もそう長くはないだろう。小説家をこころざしていた自分は、とっくに死んでしまった。

 秋風に揺られる葉擦れの音が耳朶に触れる。ついつい眠りそうになって、ふと赤子の声を聞いた。我が子を連れた母親がいるのだろうか。その泣き声を辿ると、オリーブの木の瘤に行き着いた。

 いつの間にか根元の瘤が割れている。

 かすんだ両目を見開く。泣き声とともに、割れ目から小さな手が覗いていた。短く、白く透き通っていた。それこそ、何年も土の下で暮らしていた蝉の幼虫が羽化うかをするさまによく似ていた。

 弱々しく秋空を掴む赤子の手を見下ろし、口元が緩んだ。夢は叶えてくれなかったというのに、随分と神さまもいきなことをするものだ。目からは涙がこぼれていた。

 自分の人生はもう終わる。だけれど、お前はこれから始まるのだな。

 瘤の中から飛び立とうとする赤子の産声うぶごえを聞きながら、こう思った。お前が人にとってき存在なのか、じゃなのかはわからない。ただこの瞬間、自分だけはお前の誕生を祝福しよう。

 その生にさちあれ。

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