神骨生物群集
虚田与太朗
第1話 記憶に無い夢
暗い。
頭の中で最初に浮かんだ言葉はそれだった。ここは一体どこなのだろうか。さっきまで何をしていたか思い出すことが出来ない。しかし、少なくともこのような真っ暗な場所にはいなかったはずだ。私は誘拐されてしまったのだろうか。だが、手には何も縛られておらず動かすことが出来た。
私は自分の顔に手を当てた。景色が暗い理由は目隠しか何かを付けさせられているのではないかと思った。しかし何もなかった。それどころか目は開けていた。それから私は自分の手すら見ることが出来ないこの暗闇が一気に不気味に感じ始めた。私は一体どこにいるのか。不安が徐々に募り、私は辺りを見回した。すると白い点のような何かが視界に映った。遠くにあるため良くは見えなかった。しかし、他に頼れそうなものはなかったので、私はそこに向かって走るしかなかった。不思議と疲れはなかった。それどころか、腕を振ったり、走ったりの動作の感覚さえない様な気がした。何もかもが普通とは違っていて、それが怖くてしかたがなかった。
点がだんだんと大きくなる。私はここは長いトンネルの中であって点は、出口の光なのではないかと考えそして期待した。もう少しで外に出られる、頭にはそれしかなかった。だが近づくにつれ、それは出口でもなければ光でもないことが段々と理解できた。否定したい気持ちでいっぱいになった。しかしながら、理不尽にもこの真っ暗闇な場所で唯一頼れるのはあの点しかなかった。足を止めることはできなかった。
白い点は随分遠い場所にあるようで、走っても走っても辿り着けない。ただただ点が大きくなり続けるばかりであった。無限とも思えるこの空間が私にとてつもない閉塞感と寂寥感を与えた。この空間で有限なのは、私と白い点とその間の距離のみであった。随分と走った。視界はだんだんと白一色で埋まり、もうすぐで辿り着くことが分かった。ついに、それは私の眼と鼻の先に来た。
肉。
直感的にその言葉が頭に浮かんだ。何故かは分からなかった。どうしてその白い物体が大きな肉であるのかと考えたのか。でもそう考えてしまった以上、それ以外に考えることはできなかった。大仏のように横たわっているそれは、どちらかといえば倒れているように見えた。驚いたのはそこだけではない。それは、とてつもなく巨大な、ただ大量の肉が詰められた袋ではなく、一体の生物による肉の集合体、つまり遺体であった。おびただしい数の傷と肉のかけらばかりがあたりに散らかっていた。私がここへ来るずっと前に一体何がこの生物の身に起きたのだろう。私はこれ以上無いくらい恐怖した。しかし叫ぶための口がなかった。そして目の前に広がる悪夢の様な光景に心が疲れ切ってしまい、その場にへたり込んでしまった。目を閉じようとしたが、景色は相変わらずで頭は苦痛と孤独でいっぱいになった。私は肉と同様に横たわり、肉と同じになった。ふと、眼の前にある肉のかけらに触れてみた。匂いもないのに美味しそうだという考えが脳裏をよぎった。
私はその肉の欠片の一部を取った
私はそれをじっと見つめた
私はそれを口元に運ぶ
そして__
ハッとして、
夢というのは、一日の内に目に入った景色や出来事が脳内に記憶され,睡眠時、それが今までの記憶と混ぜ合わさって生まれるものだと私は考えている。それは本来であれば荒唐無稽で意味をなさず,どこか意味深でしかし浅く、目覚めれば殆どの内容を忘れ、同じ内容には滅多に出会うことがない。それが夢であると考える。しかし,あの夢に出てくるのは、現実でも見たことがなく、他の夢よりも鮮明で頭から離れず,同じ内容で、とても不気味な夢だ。それにあの夢は、ほとんど明晰夢であるはずなのに自分ではない、まるで他人の夢を見ているような気持ちの悪い夢でもあった。顔を横に向けると、時刻は午前九時半を指していた。もう授業が始まっていると思い、頭を忙しそうにあげたが、同時に眠気が覚め、この前中学の卒業式を終えたばかりであったことを思い出した。また、今日は高校に入学する手続きをするための前日であることも思い出した。
私には、悩みがある。私には、大きな獣耳がある。父にも友人にも見えず、言っても頭を傾けられるだけだった。この耳は私にしか見えなかった。だから私も周囲に言うことはなくなった。それでも耳が消えるわけではないので、自分にはどうしてこんなものがついているのかという疑問は解消されないままであった。私の耳には大きな問題がある。それは耳が良すぎることだ。動物の聴覚というのは、人間のよりも性能が高く、遠くの音をより正確に聞き分けることが出来るという。私の耳もそれと同じ機能を有している。耳が良いのはいいことではないかと思うだろうがとんでもない。民家の間を通れば、掃除機、寝息、電話、食事、シャワー、目覚まし時計など、色々な生活音が家の壁や塀を貫通して私の耳に届く。聞くに耐えないのは言うまでも無い。また、中学生時代、全教室の先生や他生徒の声が聞こえるなどで授業に全く集中できず、うるさくて仕方がなかった。しかしそれでも、あらゆる授業内容が強制的に耳に入るのと、元々覚えがよかったのか成績は良い方ではあった。やっぱりいいじゃないかと思うが、脳への負荷が半端ではないので、慢性的な頭痛を抱えるのが常であった。加えて、ときより妙な音が聞こえることがある。この耳が優秀すぎるおかげで私は遠くの音を聞き分けることができる。しかしその中で他のどの音とも交わらない不快なノイズが度々聞こえるのだ。その音を聞くと毎回背筋が凍りつくような感覚がし、それはどの場所でも関係なく聞こえた。この解消できない不快感のある音が私は何よりも嫌いだった。だから私は、耳をいつもたたむようにして生活をしている。そのほうが耳に音が入りにくくなる。だから結局この耳は私にとって呪いでしかなく、好きになれることはなかった。父には私の耳は見えなかったが、私が頭痛で苦しんでいて、いつもしかめっ面をしているのを心配したのか、もっと静かな場所で暮らそうと提案してくれた。
「お父さん」
「ん」
「行ってきます」
「、気を付けて」
「うん、ありがとう」
父は口数の少ない人だ。仏頂面で何を考えているのか分からない。でも、頭痛のことをいつも心配してくれていたり、怒ったような顔をしなかったりと優しい人であった。今日の父の顔も相変わらずだったが、目だけはどこか悲しそうであった。私が家を離れてしまうことへの寂しさからだと思うが、それ以外の意味もある様子であった。
雨の中を一人歩く。都市に雨が降るのはとても珍しいことだった。今日は皆機嫌でも悪いのだろうか?とは言っても自分の機嫌が良いといえばそれも違った。降りしきる大雨の爆音が耳に響いていたからだ。それに風も強いので、足元は傘では防ぎきれず、雨の弾丸をもろに食らっている。いったい私は雨が嫌いだ。そうした不満を胸に込め、坂道を下りながら雨と共に駅の方へと向かって歩いていった。
駅のホームに入った。傘についた水を掃い、駅中へと足を進め、車両の中へと潜る。そうして、車掌さんに切符を拝見してもらい、父が取った席に着きひとまず息をついた。通学でいつも使う列車とは違い、車両全体は木製で全体的に古い雰囲気だった。座席は日照りと利用者と経年によって色褪せ、笠木の端は擦り切れ丸くなっていた。懐かしいという言葉が似合うような香りと電車特有の静けさが車内を包み、今まで緊張していたのか肩の荷がどっと落ち、私は安心感を覚えた。
匂いをかいでいると小さな頃を思い出す。穂が青く並び、風が撫でるように吹き、無限に広がるような緑の平原、目を閉じるとそれが目の前に見えた。「そういえば、小さい頃はこうして外に出かけていったな」田んぼに挟まれた狭い、しかし幼かった私には広かった一本道を歩く。後にも先にも果てしなく続く、昔ながらの田舎道。「この景色が好きだった、夏が好きだった」ふと空を見上げるとそこには黒い何かが見えた。目を凝らすがピントが合わずよく見えない。それはまるで誰かが絵を描いた時に失敗してできた黒いシミのようだった。やがてそれは、空をじわじわと侵食し始め、大きくなっていった。「あれは一体。」呆然と立ち尽くていると突然、サイレンが鳴った。けたたましく鳴り響くそれは、大きな耳と胸の中をぞくぞくと貫いた。空は怒り狂ったかのように赤黒く染まった。言葉では言い表せない恐怖の感情が私を襲い、一瞬で頭のてっぺんから手足の先まで伝わった。「何が、起こっているの。」サイレンはより一層けたたましく警告音を鳴らした。耳の大きな私にとってそれは,雷が自分の隣に落ちたかのようであった。空のシミは今や巨大な大穴と化していた。すると突然、そこから大きな何かが見えた。目だ、巨大な目玉だ。大穴から大きな目玉が現れた。それは自分を見つめていた。私は正気を保つことで必死で、その目玉を力一杯睨み返した。しかし、眼前の脅威に幼い少女一人で挑むには、あまりにも過酷すぎた。私は糸がプッツリと切れたかのように気を失い、背中から倒れてしまった。そうしてそのまま暗がりの方へと落ちていき、すべての景色が一点へと収束した。あたりは暗黒へと包まれていった。
ハッとして、
神骨生物群集 虚田与太朗 @urtyottaro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。神骨生物群集の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます