第45話 退屈な日常などないのだという話

 ――三連休を利用しての引っ越しが終わり、部屋の中には段ボールが積まれている。


 凛音は、アモールこと新海亜門の家の居候を終え、無事に一人暮らしを始めることとなった。新しい住処は、亜門に紹介された不動産屋で見つけてもらった新築物件だ。なんでも、引っ越しの仕事をしているときに懇意にしてもらっていた不動産屋らしい。亜門の紹介だと言っただけで、目を輝かせ、物件を惜しみなく見せてくれた。亜門がどれだけ信頼されているかがよくわかる対応だった。


 そして案内された中でも、まだ建ったばかりで募集を掛ける前だという、飛び切り好条件の物件を選ぶことができた。

 駅までは少し距離があるものの、閑静な住宅街の一角に建てられた新築マンション。四階建てのうち、最上階にはオーナー家族が住み、三階は広めのファミリータイプ。一階と二階が単身用という作りらしい。


 ここが、これから自分の城となる。実家を出てからもずっと、ディーノに家のことをすべて任せたまま、自立することなく生きてきたのだ。齢二十九歳にして、一人暮らし。不安がないと言えば嘘になるが、今は楽しみの方が大きい。


 段ボールを開け、必要なものを、必要な場所へと収めていく。引っ越し当日はベッドを整えるだけでほぼ手付かずのままだった部屋が、少しづつ私物で埋まっていった。

 外からは、トラックのバックする音や、引っ越し屋の声などが聞こえてくる。新築マンションなだけあり、この連休に引っ越しをする人が多いのだろう。


 片付けの途中で、空腹に気付く。真新しい冷蔵庫には、数本の缶ビールと水しか入っていなかった。仕方なく外に出て、コンビニへと向かう。途中、民家の庭に咲いている花に目を遣ると、赤や黄色の花が、風に揺れていた。


 当たり前のように咲いている花。けれど、それはきっと、当たり前などではないのだ。戦いをやめた凛音には、目にするすべてが今までとは違って見えるような気がした。


 コンビニでおにぎりとお惣菜を調達する。部屋の片付けが済んだら、駅前に出て本格的に食料の調達をしなければならないな、と考えていた。これからは、今までしてこなかった料理も、洗濯も、掃除も、すべて自分でしなければならないのだから。


 非常階段から二階に上がる。エレベーターもあるが、運動のためにも非常階段を使おうと思っていた。とにかくこれからは、遠いどこかの国の平和の為ではなく、自分の明日のために生きて行かねばならない。

 丁寧に、自分を生きていこうと決めたのだ。


 少々息切れしながら二階に上がると、凛音の部屋のドアに、なにかが挟まっている。


「ん?」

 手に取ると、それは封筒だった。宛名は「市原凛音様」となっている。

「手紙……? 誰から?」

 ここに越すことになったのを知っているのは、アモールとディーノだけ。しかし、わざわざ手紙を残していく理由が見つからない。

 裏を返すも、差出人は書いていなかった。


 封が開いたままの手紙を手に、部屋に戻る。買ってきたおにぎりと惣菜をテーブルに置くと、封筒の中から一枚のカードを取り出し、広げた。


「……ちょっと、これどういうことっ?」


 カードを放り出し、急いで部屋を出る。そのまま非常階段で三階まで駆け上がると、指定された部屋……三〇一号室のチャイムを鳴らす。


「はーい」

 中から声がし、ドアが開く。顔を出したのは……

「ディーノ! なんであんたがここにっ」

 引っ越し以来なので、二日ぶりの再会だ。

「よぉ」

 照れ臭そうに片手を上げるディーノ。

「よぉ、じゃないわよっ!」

 カードにはこう書かれていた。


『同マンション三〇一号室にて、引っ越し祝いのパーティーを開催。是非、お立ち寄りください。新海亜門・ディーノ』


 亜門の家は、都内のタワマンである。つい最近まで居候していたのだから、知っている。それなのに何故、凛音の新居であるこのマンションの上の階を指定して「開催してます」なのか。


「凛音、来たか」

 奥から亜門も顔を出す。

「アモール! ちょっと、なにがどうなって」

「まぁ、いいから中へ。どうぞ」

 スリッパを出され、悶々としながらも中へと上がり込む。そこには、

「あ、市原さん!」

「ええっ? 片山さんまでっ?」

 片山大吾が缶ビール片手に手を挙げたのだ。

「……なにしてるんですかっ?」

 恐る恐る訊ねると、ディーノがへらっと顔を歪ませ、

「引っ越してきたんだ、俺たち」

 と答える。


「……俺……?」

「そうなんだよ、市原さん。俺は一〇二号室だから」

 へへッと笑う大吾。

「で、俺とアモールがここ、三〇一号室」

「……どういうことっ?」

 傍らの亜門を睨みつけると、


「これからはフェアに行こうということになりましてね。どうせなら皆で同じマンションに越してしまおうかと」

 なんでもないことのように言ってのける亜門に、凛音が訊ねる。


「だって、だってアモールにはもう立派な家があるでしょうにっ?」

 都心のタワマン。わざわざ郊外の賃貸に引っ越す必要など、どこにもない。

「ああ、あそこは賃貸として貸し出すことにしたんですよ。元々広すぎて持て余していましたし。つまり、不労所得というやつですね」

 平然と語るその内容は、セレブの物言いだ。


「……なにをしてるのよ、あんたたちはっ。片山さんまでっ」

「ああ、俺もちょうどアパートの更新が近かったんで、思い切って前のとこは引き払った」

「なっ」

 だからといって、わざわざ同じマンションに来るとは……。


「新しい門出だ。皆で祝おうじゃないか」

 亜門が大袈裟な口調でそう宣言すると、大吾に缶ビールを手渡される。無意識にそれを受け取ると、亜門・ディーノ・大吾が杯を掲げる。


「新しい我が家に!」

「乾杯!」

「乾杯!」


 カンカンッと乾いた音を立て、缶が鳴る。凛音も苦笑いのまま、プルを開けビールを飲んだ。広いダイニングテーブルには、サラダやピザ、唐揚げなどが置かれている。


「腹、減ってんだろ? 食えよ、凛音」

 変わらぬディーノの手料理。凛音は笑みを漏らすと、

「もぅ、ほんと……みんな馬鹿ね」

 笑顔で、箸に手を伸ばす。


 きっとこれからも、奇妙で、少しだけ素敵な毎日が続いていくのだろう。

 こんな風に始まる新しい生活。同じ屋根の下、凛音という一人の人間に好意を持ってくれている三人が、目の前にいる。


 仮初の正義を手放した凛音は、きっとこれから恋を知る。この三人の誰かに? いや、もしかしたら、まだ出会っていない誰かに。


(誰かを好きになることを、私は、もう恐れない──)


*****


「おはよー」

「あ、先輩おはようございま~す!」

 週明け、会社ではいつもの光景。


「せんぱぁい、知ってますぅ?」

 椅子をコロコロ動かして凛音のデスクに近付いてきた福本杏が、声を落とし、上目遣いにそう口にした。

「ん? なに?」

「なんか、人事の方から漏れ聞こえてきた話なんですけどね」

「……あんた、相変わらず早耳ねぇ」

「お褒めいただき、恐縮です」

「……で、なに?」

「なんか、派遣会社から来た子がものっすごい可愛いみたいですよ」


 亜門の新規案件が想像以上に忙しく、人事に掛け合って人を入れてほしいとお願いしていたようなのだ。つまり派遣の子は、凛音と一緒に働く新人のことに違いない。


「へぇ、決まったんだ」

 後輩を持つのは杏に続き、二人目だった。

「私だけの先輩が、私だけのものじゃなくなっちゃう~」

 杏が甘えた声を出す。

「なに言ってるのよ、もぅ」

「あ! でも……大丈夫ですか?」

「ん? なにが?」

「新海さんですよぉ。そんなに可愛い女子が来たら、取られちゃったりして!」

「は? 取られるって……別に」


 亜門はモノじゃないのだから、と言いかけたところで、禿げ本ならぬ、橋本部長が登場する。


「みんな、少しいいか~? 今日から営業事務として仕事をすることになった新人を紹介するぞー」

 橋本の後ろから、ぴょこんと顔を出したのは、ツインテールの巻き毛を揺らした、背の低い、美少女。男性陣の口から感嘆の声や「マジか」など、明らかに色めきだった反応が漏れてくる。


(確かにこれは……可愛いな)


 凛音も素直にそう思った。


「じゃ、挨拶して」

 橋本部長に促され、前に出る。凛音を見つけ、にっこり微笑んだ。


(ん? 私?)


 少し違和感を覚えつつ、微笑み返す。


「本日よりこちらでお世話になることになりました、星崎マチです。市原さんの元、た~っくさんのことを学んで、市原さんのような素敵な女性になるために、頑張りまぁ~すっ」

「ふぇっ?」

 新任の挨拶らしからぬ内容に、凛音が思わず声を上げる。フロアがざわつく中、マチがつかつかと凛音に歩み寄り、顔を寄せ耳元で囁いた。


「私、やっぱりディーノ様を諦めないことにしたの。絶対にあんたになんか負けないんだからねっ」


(この子……マティじゃないのっ!)


「えええええっ?」


 奇妙で、少しだけ素敵な毎日が、早々に開始されたのだった――。



 ファイッ!



おしまい


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【完結】期限切れ間近の魔法少女は、愛のなんたるかを知らない にわ冬莉 @niwa-touri

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