墓前にて

わたねべ

墓前にて

 僕はいつからか、自身が属しているコミュニティを、舞台を見る観客のように眺めていた。


 家族での団欒、友人とのくだらない会話、会社での団結。

 それらはみな、僕がいない方がずっと美しく、完璧に調和しているように見えるからだ。


 これは劣等感などから卑屈になっているわけではない。

 斜に構えた発言で、特別に目立ちたいわけでもない。

 僕はただ外側から、その完成された舞台を見つめていたいのだ。


 朝、実家の食卓から聞こえる賑やかな声が、僕の耳に届く。

 父と母が他愛のない会話を交わし、妹が楽しそうに笑っている。


 僕が「おはよう」と席に着けば、もちろん彼らは、僕をその輪の中に巻き込んでくれる。


 けれど、その輪に加わろうと足を向けると、僕だけに見える曇りガラスが現れるのだ。距離を置き、観客として静観すると、その曇りは晴れてゆく。


 なぜだろう。

 美しい舞台に加わろうと手を伸ばすと、たちまちガラスは曇りだす。

 この、美しさを鈍らせていたのは、僕自身の卑屈な気持ちなのだろうか。


 その問いが、僕の胸にのしかかる。


 友人たちとの集まりもそうだ。

 仲が悪いわけではない。むしろ、冗談を言い合って、常に笑いが絶えないことも多い。


 その瞬間に、あの曇りガラスが見えることはない。

 しかし、彼らが集まっている様子を遠くから見ると、僕がいた頃よりもずっと自然で、無理のない会話が弾んでいるように思えた。


 誰かが話の中心になるわけでもなく、皆が互いの言葉に耳を傾け、沈黙すらも心地の良い時間として楽しんでいる。

 あの瞬間の賑やかさは、もしかしたら、僕が無理に作り出していた偽りの活気だったのかもしれない。


 僕がいなくなったことで、彼らは本当の自分を取り戻し、滑らかに歯車を回し始めたように見える。


 僕の「盛り上げる」という行為は、彼らの繋がりをさび付かせ、舞台から美しさを奪う行為だったのかもしれない。


 そんな思いが、また、胸を締め付けた。


 それは会社でも同じだった。

 どちらかと言うと上司の方達には可愛がってもらえていると思うし、同期や後輩とも楽しく仕事をできていると思う。


 しかし、僕がいなくなってからの方が、互いの凹凸を埋めるようにして、きれいな関係性が出来上がっているように見えた。


 きっと、僕が舞台から抜けた穴は、彼らにとって空白ではなく、新たな可能性が生まれる空間なのだろう。僕の存在は、彼らが作り上げる舞台の調和を乱す原因だったのだ。


 繰り返しになるが、自分に自信がないだとかの理由で、ナーバスになっているわけではない。

 ただただ本当に、僕は至る所にある舞台から降りて、観客として静観している時の方が、どうしても美しいと感じてしまうのだ。


 僕は決して不幸ではない。

 むしろ、こうして客席の最前列からその舞台を眺めることに、充足感すら感じている。


 僕のいないコミュニティが美しく完成されたものであることに、わずかながらの寂しさはあるが、湧き上がる感動はその寂しさをかき消していく。


 彼らは、僕が舞台から降りることを歓迎しているわけではない。

 ただ、彼らの作り上げるコミュニティが、僕の存在に左右されることなく、自然な形で最高の調和を保っているという事実が、僕にとっては何よりも尊いのだ。


 しかし、この尊い調和の中で、自分の存在意義はどこにあるのだろう。

 僕は、この世界にいるべきではなかったのだろうか。


 いや、そんな大それた話ではない。

 ただ、僕がいなくても彼らの日常は何も変わらない、という感覚に近い。


 彼らの作り上げる舞台を、より無駄がなく、美しいものにするためには、僕はいない方がいいのかもしれない。


 美しく完成された舞台を眺めながら、いつも葛藤を繰り返していた。


 肌を撫でる風が少し冷たくなる季節。

 夏の終わりを告げるように、夕焼けの見える時間が少しずつ早くなる。


 この季節が近づくと、皆がいそいそと準備を始めだす。


 家族も、友人も、それぞれが僕の元へと向かってくるのが見えた。その手には、きれいな花や、僕の好きなお酒が入った袋を握っている。


 花々は静かに花瓶へと差し込まれ、その場の空気を清らかにしてくれた。

 そして、この日だけは皆、僕だけに思いを向ける。


 それは、この日だけの特別なものだった。


 思い出を語り合う声に慈しむ声。僕が確かに存在していた証を刻むような、それぞれの想いを乗せた言葉が聞こえてくる。


 彼らに、僕の姿は見えないかもしれない。

 けれど、その瞬間、確かに僕は彼らの作る舞台の中心にいた。


 今日は曇りガラスがない。


 僕がいるからこそ美しい舞台がそこにはあった。

 この舞台には、僕が、僕という存在が、どうしても必要なのだ。

 この日、この瞬間だけは。


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墓前にて わたねべ @watanebe

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