第2話 とある数学者の夢 ―星数の祈りとシグマ・ルーアの昇天詩―


“命を数に還した者よ、忘るるなかれ。数式とは、宇宙の記憶である”

――『アルテシア論理篇・第零章』


***



詩とは、数の祈り。

数とは、星の声。

星とは、神が見た夢の残響――



***



 ルナフエラ――それは星が織りなす、空に咲く幾何の花。



 空は黒ではなく、深く澄んだ群青。無数の星々が互いの位置をわずかにずらしながら、ひとつの花のような図形を映し出している。

 それは幾何学と言う無限を象る模様であり、アルテシアの空に咲いた自然美だ。


 乾いた砂が満たす死の大地の中心で、ノーエ一族は祈りを捧げる。

 年に一度、神に祈りを捧げる「ヘリア誕生祭」は、空の花に花弁を一つ加える豊穣の祭りだ。ノーエ達は「妖精ブラウニー」と共に、700の年を重ね積み上げてきた奇跡の花を見守ってきた。

 今宵、ルナフエラの中心に一粒の星が宿れば、それは完成する。



「ルナフエラは飢餓を救う奇跡を完成させる方程式。そのひとつになれるなら、この上ない」



 レオンは、老い先が短い盲目の数学者だった。彼の父も、祖父も、祖先も、皆数学者だった。彼らは同じ夢を見ていた。


 「エンテレキア式」――ルナフエラを完成させる為の永劫回帰を示した数式である。


 彼は言った。エンテレキア式を完成させる最後の星になれるなら、数学を志す者としてこの上ないと。レオンが毎日綴っていた日記には、娘への愛の言葉が綴られていた。もちろん、盲目の彼がそれを書く事はできない。それを書き記したのは、ノーエたちを700年見守り、彼らの「失くしもの」を見つける祝福を与えてきた妖精ブラウニーだ。


 ブラウニーはレオンが赤ん坊の頃から側にいた。

 自分の姿を見て泣き喚いたレオンの為に、人形のような愛らしい容姿に姿を変えた。盲目の彼の代わりに微細な羽から放つ鱗粉で方程式を紡いだ。

 そして、生まれた時レオンの顔を見て泣き喚いた彼の孫娘を、その愛らしい姿で笑顔にしたのもブラウニーだ。



「この世に生を受け、最も近くで私を支えてくれた友よ。私の最後の願いを聞いてくれるか?」



 満天の星空が震えた夜、ひとつの「想い」が無音のまま光を放った。レオンの魂だ。それを拾うは小さな妖精――ブラウニー。

 世界の始まりである一粒の数のかけらは妖精の小さな羽と共鳴し、空で輝くルナフエラに届ける為に飛び立った。しかし


「どうか、父を連れて行かないで──」


 ブラウニーと共に空に昇る父の魂を引き留めるように叫ぶ女はレオンの娘・ソフィだ。やせ細ったレオンの孫を抱きしめ、ソフィは涙を流し訴える。しかしブラウニーは止まらない。


 レオンは言った。

 夢とは、ただ美しいものを求めることではないと。この世界の背後にある旋律を、“ひとつの数”で奏でることこそが、自分の役目であり、その為に生まれてきたと。



「数学者は神の残した設計図を読む者。この世界は方程式の夢。混沌から秩序を導く者、それが数学者だ。私は神の存在を証明できる。そう思わないか?」



 人々は一滴の希望をレオンに預ける。レオンの娘を想う愛情は、幾何学という無限のループから彼らを解き放つ奇跡の数式を完成させるのだ。


 ブラウニーは空に飛んでいく。レオンの娘への愛をその身に宿し、空に咲く花が700年待ちわびた「忘れ物」を届ける為に。



 人々は一斉に声を上げた。


 ――いけ、レオン!



 妖精の軌跡が花の中心を貫き、空がガラスが割れたように亀裂が入り、破片のように飛び散っていく。そのひとつひとつが奇跡の種子となり、アルテシアの大地に降り注ぐ。乾いた大地に青々とした草や木がみるみる生えていく。やがてそれはユグドラシルを中心に広がっていき、空の花と同じ形状をした森となった。



 人々は歓声を上げた。

 しかし、ソフィは知っていた。死を迎えずに天に召され、天界に連れて行かれた者の末路を。

 数学は人が生み出した、神の意思を読み解く言葉だ。「神の設計図を解いた者」は、人間には許されぬ叡智を越えた存在……すなわち。



“神の夢に触れた者は永遠にルナフエラに捕らえられる”



 父を失ったソフィは、盲目の父が顔を見る事もかなわなかった娘を抱きしめ、空に向かって大声をあげて泣いた。




 空と地をつなぐは、数という祈り。

 そしてその共鳴が、星を咲かせた。


 ──「シグマ・ルーア」は、永劫に歌い継がれるだろう。


《シグマ・ルーア 第一詩篇》

希望の角度に、命をひとつ咲かせよ。

意識のはじまりと終わりは、同じ光でできている。

無限の狭間(カンター)に託された

この一粒が、世界を照らす星となる。

やがて式は天に還るだろう。

それが、星の祈りの名──シグマ・ルーア。


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ユグナム・カンタ ー世界樹のもとで歌われしものー てぃえむ @tiem112011

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