第3話巨大な歯車…屠殺風車

宗太の体は、まるで地面に根が生えたかのように動かなかった。F区画の奥から響く、金属が擦れるような機械音と、それに混じる低いうめき声。それは、風を受けて回る美しい風車ではなく、生命を無慈悲に刈り取り、軋みを上げながら回転する巨大な歯車…屠殺風車そのものが発している音に違いなかった。


恐怖が全身を駆け巡り、逃げ出したい、ここから遠く離れたいという本能的な叫びが脳裏に響く。だが同時に、「知りたい」という抗いがたい衝動が、その叫びを掻き消そうとしていた。この音の正体を、あの噂の真実を、この目で確かめなければ。


宗太は震える足を無理やり動かした。懐中電灯の光を頼りに、音のする方へ向かう。F区画の奥には、もう一つ鉄扉があった。こちらの扉にはロックパネルはなく、取っ手がついているだけだった。


宗太は覚悟を決め、冷たい取っ手に手をかけた。軋みながら扉を開けると、さらに強烈な冷気と、鉄と血と腐敗したような異臭が鼻腔を襲った。


開けた先は、強烈な作業灯が眩しく光を放つ、巨大な空間だった。ステンレス製の床は濡れて滑りやすく、壁もステンレスで覆われている。空間の中央には、見たこともないような、複数のアームを持つ複雑な形状の巨大な機械が鎮座していた。金属の軋む音と、油圧シリンダーのシュッシュッという音が響き渡り、地面が微かに振動している。


そして、その機械の横を流れるベルトコンベアに、宗太は目を奪われた。ベルトの上には、F区画で見た白いビニール袋に入った物体が、次々と運ばれてくる。


機械のアームが、コンベア上の袋を一つ掴み上げた。そして、躊躇なくそれを、機械の巨大な開口部へと放り込んだ。


ガガガ…!という凄まじい音と共に、機械内部の回転刃が稼働する音が響く。白かった袋は瞬く間に引き裂かれ、その中から現れたのは…


人間の、手だった。


切断された人間の腕や足、胴体らしきものが、無造作に機械に飲み込まれていく。機械の出口からは、ドロドロとした血混じりのペースト状のものが、別のコンベアに排出されていく。


宗太は、胃の内容物が逆流するのを必死に堪えた。あまりにも非現実的な光景に、脳が理解を拒否しているかのようだ。しかし、鼻を衝く鉄錆の匂い、耳に響く機械の稼働音、目に映る悍ましい現実が、これが紛れもない現実であることを突きつけていた。


作業員たちがいた。全身を厚手のゴム製防護服と覆面で覆い、誰が誰だか判別できない。彼らは感情の読み取れない機械的な動きで、コンベアから落ちたものを拾い上げたり、機械のメンテナンスをしたりしている。彼らにとって、目の前で処理されているのは、ただの「素材」なのだ。


人間の、素材。あの噂は、本当だった。


恐怖で体が震える。今すぐ逃げなければ。だが、この光景を、この現実を、誰かに知らせなければならない。源さんからもらったカメラを思い出し、宗太は震える手でポケットから取り出した。


暗闇の中、フラッシュは使えない。手元を照らすわずかな光と、作業灯の強い光を頼りに、宗太はレンズを機械に向けた。シャッターを切るたび、カチャ…と微かな音が響く。その音が、異常なほど大きく感じられた。


一瞬、機械の轟音の合間に、宗太は何か別の音を聞いた気がした。金属が擦れるような、規則的な…


「!」


宗太は咄嗟に身を隠した。作業員の一人が、何かに気づいたように宗太の方を向いていた。その覆面越しでも、視線が向けられたのが分かった。


しまった。


「誰だ!」


低い、唸るような声が響いた。覆面の男たちが、一斉に宗太の方へ向かってくる。


宗太はカメラをポケットに押し込み、来た道を一目散に引き返した。背後から、追いかける複数の足音と、怒鳴り声が聞こえる。


「止まれ!止まらないと撃つぞ!」


嘘だろ、銃まで持っているのか!?


宗太は恐怖に駆られ、ただ無我夢中に走った。F区画の扉を潜り抜け、倉庫エリアを突っ切る。冷たい空気が肺に突き刺さる。


後ろから、足音が迫ってくる。宗太は振り返った。数人の覆面姿の男が、懐中電灯の光をこちらに向けて追いかけてきている。その中に、一人だけ、他の男より体格が大きく、動きが速い男がいた。


足元の悪い冷凍コンテナの間を縫って逃げる。転びそうになりながらも、必死に通用口を目指した。壊した鍵穴から差し込む、わずかな星明かりが見えた。


あと少し!


追いかけてくる足音はすぐそこまで来ている。宗太は最後の力を振り絞り、通用口の扉に手をかけた。


その時、一番後ろから追いかけてきていた男が、コンテナの影から一瞬だけ全身を現した。覆面をしていない…いや、何かを顔に付けている。宗太は反射的に、その男の顔に懐中電灯の光を向けた。


白い、歪んだマスクのようなものが顔に張り付いている。しかし、マスクの縁から覗く、鋭い目つき。そして、その口元…不気味に吊り上がった口角。それは、笑っているようにも見えた。


ゾッとした。あの男は、この状況を楽しんでいるのか?


宗太は恐怖に突き動かされ、力任せに扉を押し開け、外へ飛び出した。そして、閉まる扉の向こうで、あの男が宗太の逃走を見送っているかのような…不気味な視線を感じた。


森の中へ、必死に走った。木の枝が顔に当たり、服が引き裂かれる。背後から、通用口の扉が閉まる音と、遠ざかる足音、そして再び、屠殺風車が回転を再開したかのような、鈍い機械音が聞こえてきた。


息を切らし、宗太は隠しておいた軽自動車に転がり込んだ。震える手で鍵を差し込み、エンジンをかける。ライトをつけず、闇の中を這うように車を発進させた。


街の明かりが近づくにつれて、少しずつ安堵感が広がる…はずだった。しかし、宗太の心は安堵とは程遠かった。あの悍ましい光景、あの不気味な機械、そして最後に見た、白いマスクと不敵な笑みを浮かべた男の顔。


あれを見てしまった。あれを知ってしまった。


もう、あの日常には戻れない。自分は、あの「屠殺風車」に、そのシステムに…目をつけられてしまったのだ。


ミラー越しに、闇の中を何度も確認する。何か気配はないか?追ってきていないか?


夜の森は、まるで口を開けた巨大な闇の獣のように、宗太を飲み込もうとしているかのように見えた。そして、彼の脳裏には、あの不気味な機械音と、白いマスクの男の顔が焼き付いて離れなかった。


(続く)

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【屠殺風車】 志乃原七海 @09093495732p

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