第5話
谷に足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
朝の光が、旅路を淡く照らしていた。
乾いた土を踏みしめる音が、一定のリズムで響く。
カイは前を歩き、無言で周囲に気を配る。
シロはその少し後ろを歩きながら、背に背負った布包み――自作の「クラフト台」を確かめるように、そっと手で押さえた。
風が吹き抜ける。
草の海をなでるように流れ、鳥の鳴き声が空に舞っていく。
静かな時間だった。
だが、カイはふと足を止め、後ろを振り返った。
「……歩きづらくないか?」
シロは目をぱちりと開き、少し驚いたように首を横に振る。
「ううん、大丈夫。……私、昔から歩くの、好きだから」
「……そうか」
カイは頷いて、また前を向いた。
その背に、ほんのわずかだけだが、安心の気配がにじんでいた。
**
ふたりの目的地は、南に位置する「鉄鉱の谷」――
険しい山々に囲まれたその地には、地中深くから湧き上がる“赤鉄”と呼ばれる鉱石が眠っている。
それは、クラフターの中でも限られた者しか扱えない高難度素材で、火や魔力では溶けず、“意志”によって形が変わるという特異な性質を持っていた。
カイの話では、その谷にはかつて“金属を操る職人”が住んでいたという。
だが、今は村ごと廃れてしまい、残されたのは遺跡のような作業場と、わずかに生き残った鉱脈だけ。
「……私のクラフト台に、試したいことがあるの」
シロは、歩きながらぽつりとつぶやいた。
「赤鉄は“意志に応える”……それが本当なら、完成図を思い描く私のクラフト台にとって、相性がいいはず。
ただの金属じゃない、“共鳴する素材”があれば――今まで作れなかったものにも、手が届くかもしれない」
「何を作るつもりだ?」
カイが、振り返らずに問う。
シロは少しだけ、沈黙した。
その沈黙は、考えているというよりも、“決めかねている”ような迷いだった。
「……まだ、分からない。
でも、誰かを“守れる”ものを、作ってみたい」
その言葉に、カイは振り返らず、ただ一言。
「なら、行く価値はあるな」
**
昼を過ぎた頃、地面に亀裂が走り始める。
それは谷の入口の合図だった。
視界の先に現れたのは――灰色の岩壁が連なる断崖、
そして、鉄のにおいが漂う谷底の道。
風が音を立てて、岩肌を撫でる。
谷に入る前、カイが足を止めて言った。
「ここからは、“足音に気をつけろ”。……赤鉄は、生きてる」
シロは、一瞬きょとんとしたあと、うなずいた。
彼女もまた、クラフトの素材が持つ“気配”を感じ取る感性を持っている。
谷に足を踏み入れた瞬間――
空気が変わった。
それは、見た目ではわからない。けれど、確かに“異質な気配”が辺り一帯に満ちていた。
岩肌にはところどころ、赤みを帯びた鉱石が浮き出ている。
風は細く、金属のにおいを運び、耳の奥で微かに響くような、鉄のうなりを感じさせた。
「……ここにしよう」
シロは岩陰を選んで、背に背負っていた包みをそっと降ろした。
中から現れたのは、白木で作られた、手製の作成台――彼女だけの“クラフト台”だった。
一般的な作成台とは異なり、道具としての“型”は持たない。
それはまるで白紙のキャンバスのように、使う者の“想い”をそのまま受け取る、異質な存在だった。
シロは台の前に膝をつき、両手を静かに広げて、その表面へとそっと添える。
「――思い浮かべる、完成形を」
その声は誰に向けられたものでもない。
ただ自分の内側に向かって、深く潜っていくための合図だった。
まぶたを閉じる。
静かに、呼吸を整える。
世界から音が遠ざかり、自分とクラフト台だけが、密やかな空間を共有する。
――そこに浮かぶのは、一つの“像”。
形も、材質も、用途もまだ不確かな、けれど確かに“誰かを守るためのもの”という意志だけが強く輝く、未完成の道具。
それに向けて、そっと手を伸ばす。
以前までは、完成図ははっきりと浮かび、まるで空中に出現した立体から、手を差し伸べて“引き寄せる”ような感覚だった。
けれど今回は違う。
意志を持つ赤鉄が、その思念を跳ね返してくる。
簡単には形を与えない、意思と意志の衝突。
それはまるで、水中に沈んだ瓦礫の隙間から、手探りで何かを引き上げようとするような、重たく、もどかしい作業だった。
「っ……!」
息が詰まる。
指先から、力が漏れていく。
思い描く像が、かすれて、霧のように輪郭を失いかける。
それでもシロは、手を離さなかった。
彼女の“クラフト”は、誰よりも静かで、強い。
――守るための道具を、私は作る。
誰かのために、壊すのではなく、守るために。
その一念が、クラフト台の奥に眠る“赤鉄”と、ふたたび呼応する。
「……!」
クラフト台の表面が、淡い赤に染まった。
それは、赤鉄が共鳴した証。
素材が、シロの意志を受け入れ始めたのだ。
だが、まだ完成には届かない。
意志がぶつかり合い、かろうじて均衡を保っている。
「……もう少し……あと少しで……」
額から伝う汗をぬぐうこともなく、彼女は微動だにせず集中を続ける。
背後で、カイが静かに見守っていた。
彼は何も言わず、ただ目を細めて、シロの姿を見つめる。
その横顔には、もはやただの“戦士”ではなく、何かを背負う者への敬意すら宿っていた。
――そして、その谷の上。
誰も気づかぬ岩の高みで、ひとりの影が風に揺れていた。
長い黒いローブ。
顔を覆う白の仮面。
その人物は、じっと、シロのクラフトを見つめている。
その口元が、仮面の下でわずかに歪んだ。
「ようやく見つけた……“鍵を持つ者”」
風が吹き抜ける。
クラフト台の上、赤い光が脈を打ち、静かに脈動していた。
クラフター ベガさん @begasan
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