第12話 まだ見ぬ未来へ

 世襲管理官は十二人の連名で地球統一政府に対して形式ばった通信を送った。火星植民地で起きた変化を簡潔に記したそれを受け取った統一政府の代表は、次のように述べたと後に歴史家は記している。

「地球に住めない体になった存在。それは一体全体どう考えたら地球人類なのか?」


 そのようなことがあったとは知らないまま集会ドームから抜け出したサンドラとイベールは、自分たちの住居ドームに帰るとすぐさま抱き合って歓喜の声を上げた。

「私たち、やってやった!」

「そう、やりとげた!」

 たった二日前にはやけっぱちな行動に思えた、追い込まれて始めた行動はあれよあれよという間に二百年の頚木をすっかり壊してしまったのだから、天国から地獄ならぬ地獄から天国へと階段を駆け上がったようなものだった。

「サンドラは凄いよ。私との約束をちゃんと果たしてくれた」

 イベールはうっすら涙を浮かべ、恥ずかしそうな顔で褒め称えた。

 植民地憲章が無くなれば、次にできる憲章がどうなるかはわからないにしても、ひとまず「男と女は家庭を築くべし」という規定に縛られる心配はないはずで、それがたとえたまたまの結果の一つに過ぎなかったとしても、イベールにとっては自分との約束を果たしてくれたことと同義だった。

「イベールがいたからだよ」

 サンドラはイベールを包み込むように思い切り抱きしめると、耳元でそう呟いた。イベールが農業部門で絶大な信頼を得ていなければ、こうなっていなかっただろうことを考えると、サンドラはイベールこそ立役者なのだと思わざるを得なかった。

「私、イベールとなら一緒にやっていけそうな気がする」

 そう言いながらすっと腰を落としたサンドラは、イベールの左頬にキスをした。思ってもいなかったサンドラのプレゼントに、イベールは嬉しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にしつつ、頬を大事そうに左手でなぞった。


「イベール。一緒にこの本を読もう」

 そう言って小さなベッドルームスペースに連れ込んだ。それから体を捻って収納スペースに手を伸ばし、奥に大切にしまい込んでいた、火星では特注しないと手に入らない本を取り出しイベールの前で開いて見せた。

「紙の本! 手に入れるのはすごく大変だったでしょ?」

「そうね。大変だった。でもこれはきっとイベールも気に入ると思う。強制労働の刑ではなく、自由という刑が訪れるのだもの」

「なにそれ?」

 イベールは人差し指でくいっと黒フレームの眼鏡の位置を整えると、興味深そうな顔で本を覗き込んだ。

「本にはこう書いてある。『人間は自由であるように呪われている』って。今日からは、地球の都合で決められた生活に縛られるのではなくて、自由に縛られた、本来あるべき生き方をする人間としてやっていくの」

 サンドラは今にも舞い上がりそうな高揚感に包まれ、いかに困難な道がこの先訪れようとも、決して後悔しまいと固い決意を秘め、本から一瞬目を離す。

 部屋の片隅にぽつんと置かれた観葉植物へと視線を移し、二人の、そして火星植民地の未来に思いを馳せていた。

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ホームランド ― Sandra's Scarlet Horizon ― 涼風紫音 @sionsuzukaze

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