第11話 もう地球人では……

 翌日、もはや火星植民地は全体が手に負えない混乱に包まれていた。子どもを持つ親たちを中心に多くの人間が仕事を放棄する有り様で、円滑な資源採掘など望むべくもなかった。

 農業部門だけは大半がいつも通りの労働に従事していた。イベールの明かしたことが正しいとしても、それに賛同することで食糧生産を疎かにすることは、植民地全体を危機に晒すことにほかならず、それは人類に対する罪に他ならない以上、それを人質にはできなかったからだ。


 多くの賛同者の集団の中心で、サンドラとイベールは意図したこととはいえあまりに急速な事態の変化のため、対応に四苦八苦していた。普段あまり使われることのない集会ドームに場所を移した一群は、そこで対立する集団と鉢合わせし、怒号が飛び交うところへ慌てて現場に来た警備隊は、どちらの立場につくでもなく、流血沙汰にならないよう集団同士を引き離すことに専念した。

 警備隊の中にも当然子どもの親がいるため、サンドラとイベールに心を寄せる者も少なくなかった一方で、体制を維持することこそ使命だと考えるものも多く、どちらかの立場に積極的に加わるような一体化した動きは取れなかったからだった。

 二つの集団が対峙し緊張が走る中、一触即発の雰囲気で険悪さは増していった。

 集会ドームで睨み合いが続き、膠着状態がいつ終わるともなく続くかと思われたところに、いままで何があろうとも決して公衆の前に姿を晒すことが無かった十二人の世襲管理官が手厚い警備に囲まれて集会ドームに備えられた演壇上に現れた。

 

 有史上まったく姿を見せない世襲管理官の登場に、一部の者は呆気にとられ、一部の者は果たして本物なのかと疑い、また一部の者は実態を問い詰めようと演壇に駆け寄ろうとした。

「火星植民地諸君。まず落ち着こうではないか」

 十二人の中心で一歩前に歩み出た老人がそう呼びかけると、二つの対立する群衆は徐々に静かになっていった。

「過去地球に帰還した人はいるんですか?」

 サンドラが沈黙を破って声を上げた。いったんは静かになった群衆は、再び騒めきに包まれ、賛意を示す声もあれば怒号を浴びせる者もあった。しかしその質問は、植民地民の皆が考えないようにしていた、しかし実際には知りたいと思っていた核心的問題だった。植民地憲章はそれを前提としたものであり、そのために様々な義務を課され、果たしてきたからだ。

 世襲管理官の老人は、サンドラを見やり、次いで首をぐるりと回して二つの群衆を見回した。ゆっくりと大きく息を吸って、体をぐっと伸ばすと、淡々としたしわがれた声でこう告げた。

「百八十年前に、一人だけいた」

 二百年の火星植民地の歴史でたった一人だけ。サンドラが抱いたいくつかの疑問への答えの一つだった。二つの集団は、もはや対立するどころではなかった。どちらの側からも糾弾の声が上がり始めたところで、老人は振り返って残り十一人の世襲管理官と順に目を合わせ、再び群衆に向き直り、特にサンドラを見つめてこう切り出した。

「事実だけを知りたいのだろう?」


 二つの集団は誰もが老人の言葉を一言一句聞き逃すまいと耳を澄ませていた。

 成長抑制剤で子どもの身体の成長を地球の標準サイズに収まるように抑え込んできたことは、火星植民地が建設された当初から世襲管理官の中だけで秘匿されてきたことなのだと、老人は言った。

 運動義務規定は、地球に帰還できない身体にならないようにという意図に留まらず、労働義務と合わせて一日の大半を義務として拘束することで、自由意思によって「余計なこと」を考えないようにするために設けられたのだと老人が告げた時には、さすがに批難の声がいくつも上がった。

 もともと地球に尽くすために建設されたのがこの植民地であり、植民初期は地球から何もかも送り込まなければとても生活も開発も成り立たない以上、やむを得ないことだったのだと表情も変えずに老人が明かした時には、暴動に発展するのではないかと警備隊が危惧するほどの荒れた声が飛んだ。


 サンドラもイベールも、見つけた断片からそうなのだろうと推測していたことが、実際にそうなのだと告げられた時には、自身の見立ての正確さを誇りたい気持ちと、どこかそれが嘘であって欲しかったという気持ちで複雑な心情だった。

 ラッセルは、たとえそれが処世として受け入れていた程度の、強い信念ではなかったにしろ、信じていたすべてが目の前で崩れ落ちていく事態に怒りを向ける先を見失い、行き場を失った感情を制御する術を失っていた。

「つまり地球でやっている畜産とやらと、俺たちはほとんど変わらないということじゃないか! せっせと働き、それ以外のことを考えないようにし、雁字搦めに縛り、大量の資源を送り出してその見返りに地球産の香辛料や高級食材を僅かばかり得る。そんな馬鹿な話があるか!」

 集会ドームの天井に吊り下げられた照明灯を見上げ、ラッセルは叫び、むせび泣いていた。

「その通りよ。だから植民地憲章ではなく、自分自身で自分たちのことを決めていく。そういう社会を作らないといけないの。もう“地球人じゃない”んだもの」

 サンドラはラッセルの叫びに応えて言った。地球との途方もない経済格差を考えるだけでも、この試みが前途多難なことは明らかで、それを思えばサンドラはラッセルのことを哀れみで見ることはしなかった。多かれ少なかれ昨日一昨日までの常識が崩れ去ったことに戸惑い、悩む人は多いだろうことを考えると、ラッセルとも改めて対等に話をするべきだろうとさえ考えていた。


 十二人の世襲管理官は、もはや二つに分かれてはおらず一つにまとまった群衆を見ると、演壇から静かに姿を消し、やがて火星植民地全体に向けてこう宣言を出した。

「世襲管理の時代は終わった。植民地憲章に代わる、新しい社会を築く時代が来たのだ」

 それを聞いた群衆は大いに沸いた。

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