エピローグ

病院を退院したあと、あいなは一度だけ、制度本部の裏口を訪ねた。

夜の通用口、白衣姿の北条がそこにいた。


彼は、あいなの姿を見ても驚かなかった。

ただ静かに、足を止めた。


「……来ると思っていたよ」


「助けてくれてありがとうございました。…でも、あのまま放っといてくれたら、ひまりと最後まで一緒にいられたのに……。」


あいなは一歩踏み出す。


「ひまりは……本当に、死んだんですか?」


北条は、数秒黙った。


その沈黙の中に、迷いと、誓いと、ほのかな赦しが混じっていた。


そして、ごくわずかに口元を動かして言った。


「岸野ひまりは死んだ。もうどこにもいない。」


あいなは、じっとその瞳を見つめた。

涙がじわりと滲み出る。


「……記録上はな」


「…え?」


「……ひまりに会うことはもうできない。

でも、きっと、彼女はお前のことを忘れてないさ。いや、忘れるはずがない。

だから、君も前に進みなさい。」


そう言って、北条は背を向けた。

通用口の扉の奥へと、静かに消えていった。



(もしかして、ひまりは―)



***


その日も、三咲結花は、いつものように海沿いの道を歩いていた。


浜辺の公園、さびれたベンチに腰掛けて、

湿った風を受けながら缶コーヒーを啜っていた。


ふと、風が止む。

人の気配を感じて、顔を上げた。


そこに立っていたのは――

少し髪が伸びて、知らない服を着て、でも、誰よりも知っている横顔だった。


「……あいな……?」


その名を口にした瞬間、

時間が止まった。


佐原あいなは、目を潤ませながら、静かにうなずいた。


「探したよ。ずっと。

生きてるって、信じてた」


「どうして……」


「夢で見たの。

あの夜の夢。

もう一度だけ、笑いたいって、あなたが言ってた。

わたしも――もう一度だけ、笑いたかった」


あいなが近づいてくる。

そして、そっとひまりの隣に座った。


沈黙。

でも、その沈黙は、言葉よりも雄弁だった。


やがて、ひまりは小さく笑った。


「名前も、顔も、ぜんぶ変わっちゃったけど……それでも、わたし、ここにいるよ」


あいなも笑った。


「じゃあ、また初めましてだね。わたしは佐原あいな。

あなたのこと、きっとまた好きになる」


風が吹いた。

あの夜のように、やさしく、あたたかく。


ふたりは、もう言葉なんていらなかった。

ただ――笑い合っていた。


それがすべてだった。



彼女たちは一度、制度によって“死んだ”。


けれど、あの夜の記憶と、

“もう一度笑いたい”という想いだけが、

ふたりを再びめぐり逢わせた。


生きている限り、

奇跡は、起こる。


彼女たちの物語は、

今ようやく、ここから始まったのかもしれない。




[完]

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代理自殺制度 -少女編- @Linzofod

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