第3話 終わりへと旅立つ

「レーゲンは世界中を旅してきたのよね」

 旅で多くの経験と知見を得てきたレーゲンに、カルナはずっと聞いてみたいことがあった。今まで勇気を持てなかったが、今なら尋ねてみようと思える。


「十二星座の紋章を持った人を見たことがある?」


 レーゲンは左の上腕をカルナに見せるように掲げた。

 筋骨逞しい浅黒い腕に、牡牛座〈タウロス〉の紋章が刺青のように浮かび上がっている。

「そういうことを聞くってことは、これが君にも?」

 カルナは頷きながら衣服に隠れた腹部に手を当てる。


「私も生まれつき、お腹に蟹座〈キャンサー〉の紋章があるの。そういう人って、他にもいるのかなって」

 ユスフは、星座の紋章は悪いものじゃないから気にするなと言うが、カルナは皮膚に謂れの不明瞭な紋章が浮かんでいることが気味悪かった。


「レーゲンはこれがどんなものか知っているの?」

 カルナは心が逸るままレーゲンの胸元に縋った。

 レーゲンが目を瞠るのを見て、カルナは咄嗟に彼から「ごめんなさい」と言って離れる。レーゲンは牡牛座の紋章に反対の手で触れた。


「僕もこれのことはよく知らないんだ。でも、――十二星座の紋章を持つ者が集うとき、〈海の女王〉が目覚める。空からはすべての星が堕ち、海がすべての大地を呑み込み、海だけの世界が訪れる……」

 レーゲンが口にしたのは、カルナしか知らないはずの、先日星に表れたばかりの星の運命だった。


「その運命、レーゲンも視たのね」

「うん。身体に十二星座の紋章があるから、僕もこの星の運命のことは気になっていたんだ」

「十二星座の紋章というのは、やっぱり伝説のことを示しているのかしら」



 天空にある、太陽の一年間の軌道を黄道と呼ぶ。

 そしてこの黄道を十二等分した場所にあるのが〈黄道十二宮〉とも呼ばれる十二の星座である。


 十二星座は暦、魔力の属性、十三の神々にも対応しており、あらゆる事象の基盤であるといってもいい。

 これらの一般常識のほかに、十二星座には子供でも知っているある伝説があった。


「その昔、世界を滅ぼそうとした厄災を打ち倒し、世界を救った十二星座の英雄伝説。彼らは全員誕生月が違っていたからそう呼ばれたと言い伝えられている」


 レーゲンの話す伝説はユスフに教えてもらった内容と大差ない。このおとぎ話は全国共通らしい。

 〈十二星座伝説〉の再来を思わせる予言と身体にある紋章の符号が、カルナは気がかりだった。


「レーゲンは、伝説と予言が関係あると思う?」

「わからないけど、予言に十二星座の紋章持ちが何かしら関係あるのは確実なはずだよ。最近星空に表れた運命だし、近いうち何かが起こるはず……」

 レーゲンは何か考えるようにしばし押し黙る。そして口を開くと、カルナに予想外の言葉を投げかけた。


「カルナ、僕と旅に出てみないかい?」


「えっ……?」

「十二星座の予言やこの身体の紋章が何を意味するのか、僕と一緒に探しに行ってみようよ」

 レーゲンの言葉で、ナンナ神殿しか知らなかった自分の世界が一気に広がった気がした。


 そして彼の申し出を受けることは、慣れ親しんだ神殿から離れて、未知の危険に踏み出すことでもある。

 だがカルナは不安を感じなかった。レーゲンといると、どんな不安の中でもひとりじゃないと思える。


「……ちょっと突然すぎたね。ごめん」

 今日はもう休もう、とレーゲンが話を打ち切った。

 カルナも考える時間が欲しかったから、素直に頷く。

 おやすみなさいと言うと、彼もおやすみと言って部屋へ戻っていった。


 自分がこの土地を飛び出して、見たこともない場所を旅するなんて考えたこともなかった。その晩はレーゲンと話したことを反芻したせいか、涙で目が腫れたせいか、なかなか寝つけなかった。



 朝目覚めても昨日のレーゲンの言葉が蘇って、胸が高鳴っている。身支度を終えて中庭に行くと、頭に包帯を巻いたユスフとレーゲンが話をしていた。

「神官長様、レーゲン、おはようございます」

 カルナが近づくと、二人とも笑っておはようと返す。


「神官長様、もう怪我はよろしいのですか? できるならまだ休んでいてください」

「ありがとう、カルナ。ナンナ神への日々のお務めを終えたらそうさせてもらうよ」

 ユスフがそう言ってにっこり笑ったとき、レーゲンは何かに気づいたように正門の方を振り返った。


「……カルナ、ユスフ、参拝者と神官たちを神殿の中に集めて、すぐに門を内から塞ぐんだ!」

「レーゲン、一体何を……?」

「急いで!」


 カルナの言葉の続きを鋭く制すと、レーゲンは塔門の方へ走っていってしまった。

 わけがわからないが、彼が何の理由もなく人を集めて立て篭れなんて言うはずがない。

「神官長様、彼の言う通りにしましょう! きっと何か理由があります!」

「わ、わかった」


 ユスフは困惑しつつもカルナの言葉に頷いた。塔門付近にいた参拝者や神官が中庭へ駆け込んでくる。

「参道から何かが向かってくるぞ!」

「黒い鎧の集団だ!」


 ――黒き鋼を鎧う兵団、月を祀る聖域を襲う。


 数日前から視えていた運命が現実になったのだ。

 カルナを追ってきたのだろうか。

 もし自分のせいで神殿が壊され、誰かが傷ついたらどうしよう。まだ父は怪我をしているのに。

 そんな恐れがカルナの全身を震わせる。


「みんな急いで中へ! 早くすべての門を塞げ!」

 ユスフの怒号のような命令が飛ぶ。

 この神殿は城壁のように囲われているから、門さえ閉めてしまえば簡単には出入りできない。


「男がひとり外に出ていったぞ!」

 まさか、レーゲンは門の外へ向かったのか。

 ひとりであの黒い兵団と戦うつもりなのか。


「待て、まだひとり巫女が駱駝の世話で外に!」

 はっとしてカルナは思い出す。巫女たちの仕事は当番制。今朝の餌やりの担当は、マライアだ。

 もし彼女に何かあったら。

 カルナはいても立ってもいられなくて中庭を飛び出した。


「待ちなさい、カルナ!」

 悲痛なユスフの叫びが遠ざかる。

 塔門は今まさに塞がれているところだった。

「お願い、通して!」

「よせ、カルナ! 外は危ないぞ!」

 カルナは神官の間をすり抜け、門を押し開けて身体をねじ込んだ。そのまま塔門の外へ飛び出す。


 黒い鎧の集団が参道を真っ直ぐ進んでくるのが見えた。先日の兵団の仲間なのは間違いない。兜がサソリの形になっているのも同じだった。

 この前よりずっと数が多い。二十人くらいはいる。

 あんな数、いくらレーゲンが強くても危険だ。兵団は整然とした足音を響かせながら神殿に迫ってくる。


 レーゲンの姿を探して周囲を見回すと、駱駝に乗ったレーゲンがカルナの前に現れた。

「カルナ! ここは僕が引き受けるから中へ!」

「でも、いくら貴方でも……」

 レーゲンは矢筒から複数の矢を取り出して弓に番え、矢を放った。先頭にいた黒い兵が四人も倒れる。


「危ないから戻って! あの数の兵なら僕ひとりでも蹴散らせる!」

 レーゲンは再び弓に矢を番えて放った。それから駱駝を走らせ、サーベルを手に兵の中に突っ込んだ。

 駱駝の周囲の兵がどんどん倒されていく。あの数の兵を相手に本当にひとりで蹴散らそうとしている。


 兵団の中を駆け抜けて敵から距離を取ると、彼は後方へ身をよじらせて矢を放つ。レーゲンは弓矢による攻撃と剣による突撃を繰り返した。

 彼の駱駝による機動を黒い兵は追いきれていない。


 駱駝は騎乗生物の中では気性が荒い方だし、走らせると小回りも利かない。騎乗して戦うには熟練の技術がいるのに、それを容易く行っている。レーゲンは砂漠の民より駱駝の扱いに長けているといってもいい。


 今のところはレーゲンの方が兵を圧倒している。彼ひとりでどこまで持ち堪えられるか心配だが、カルナはもうひとりを助けるために出てきたのだ。

「マライアはどこ?」

 辺りを見回しても、厩舎の近くに彼女はいない。

 危険を感じて正門を離れたのだろうか。


 神殿の側面からざわついた空気を感じた。

「あっちの方が騒がしいわ。まさか……!」

 カルナは門の外周を回って神殿の側面へ回った。

 側面にも外と通じる門がある。そちらの門へマライアが逃げているかもしれない。


 側面の門の付近へ向かうと、少数の黒い兵から逃げるマライアの姿があった。

「マライア、こっち!」

 門はユスフの命ですべて閉ざされているはず。

 カルナは思わず前へ躍り出て声を張り上げた。


 マライアが気づいてこちらへ向かってくる。

 だが黒い兵たちもこちらに気づき、黒い鎧に覆われた顔が一斉にこちらを向いた。そして黒い兵は一気にカルナの方へ向けて駆けてくる。

 なけなしの勇気が一瞬で怯みかける。けれどこちらへ駆けてくるマライアを見れば恐怖に蓋をできる。


 昔は運命に抗えずに怪我をさせた。でも今度は助けたい。

 マライアが伸ばした手をカルナは掴んだ。

「カルナ……!」

 泣き出しそうなマライアを抱き留めた。震える彼女の手を掴んだまま正門の方へ駆け出した。どんなに怖くても、マライアに何かあるよりはずっといい。


 マライアが足をもつれさせて転んだ。カルナは咄嗟に屈んで彼女を助け起こそうとする。恐怖に震えて彼女の身体は動かない。その間にも黒い兵たちが距離を縮めてくる。マライアが恐怖で悲鳴を上げる。

 黒い兵の槍が目前に迫る。身体が凍りついたように竦む。

 今すぐにでも逃げ出してしまいたい衝動に駆られるが、マライアを置いて逃げるなんて絶対できない。


 天空の星が瞬く。

 カルナの意志に呼応するように天から細い光が降り注いだ。

 黒い兵が突き出した槍を、その光が弾く。

 一体何が起こったのか。考える間もなく再び槍が突き出されるが、今度はその兵の頭を矢が貫いた。


「カルナ!」

 駱駝でこちらへ駆けてくるレーゲンの姿があった。

 カルナの心に一気に安堵感が湧いた。

 レーゲンがカルナの前へ踊り出て、駱駝の上で一刀を振り下ろす。兵の頭をひとつ叩き割った。


 彼はそのまま駱駝から飛び降り、剣を手にしたまま着地する。

 突き出された槍をレーゲンは躱し、相手の首へサーベルを薙ぐ。

 カルナたちの前を守るように塞いだまま、レーゲンは迫り来る槍を躱しては兵を打ち倒していった。


 やがて辺りが静かになった。

 黒い兵はひとり残らず動かなくなっていた。荒い息を吐く駱駝が、辺りを走りながらこちらへ戻ってくる。


 カルナは堪らず彼の元へ駆け寄る。

「レーゲン、無事でよかった!」

 思いきり彼の元へ飛び込むと、レーゲンはカルナを抱き留めた。

「こっちの台詞だよ。無茶するんだから」

「正門の方は?」

「大丈夫。みんな倒してきたよ」


 見たところレーゲンに怪我はなさそうだった。

 あれだけの数の兵を相手にしたのに怪我もしていないなんて、彼は本当に凄腕の戦士らしい。

 レーゲンがいたから神殿も中の人たちも無事だったのだ。

 最悪の結果は回避できたのだろう。


「マライア、もう大丈夫よ」

「うん……! 本当にありがとう、二人とも……!」

 まだ震え、涙ぐんでいたがマライアも落ち着きを取り戻してきた。脅威が去ったことを神官長に伝えに行くと言って、彼女はひと足先に神殿に戻っていった。


 カルナは倒れた黒い兵たちへ視線を投げかける。

 倒れたままぴくりとも動かない。

「……みんな、死んでいるの?」

「そのことなんだけど、ちょっと見てごらん」

 レーゲンと一緒にカルナは黒い兵に近づいた。


 兵の黒い鎧はレーゲンの剣に砕かれ、破片が砂の上に散らばっている。

 彼らの兜には〈ギルタブリル〉という銘が古代の文字で刻まれていた。レーゲンは屈み、サソリの形の兜を思いきり剥ぎ取った。

「きゃっ……!」

 思わず小さな悲鳴を上げた。


 顔があるはずの部分には何もなかった。

 まるで首なし死体みたいだ。

 レーゲンが鎧の角度を変えると首元が見えた。鎧の中は真っ暗な闇が凝っていて、人の身体らしきものはまったく見当たらない。


「正門側にいた兵もそうだったんだけど、この黒い鎧の中に人は入っていないんだ。鎧だけが、何かの原理で動いていたらしい。人形を操る魔法もあるらしいから、これもそういう類のものかもしれない」

「じゃあ、この兵たちは誰かに操られていたの?」


「そうと決まったわけじゃないけれどね。目的もわからない。カルナを襲いに来たのか、それとも神殿か。とにかく、またここに来る可能性もある」

「そんな……!」

 それは絶対に嫌だ。またこんな得体の知れない兵が襲ってきて、今度こそ神殿の人たちに何かあったら。


「カルナ」

 レーゲンがカルナの手を取る。

「こんなときだけど、いや、こんなときだから言うよ。昨夜の話を、真剣に考えてほしい」

 大きな骨ばった手がカルナの手を包み込む。


「僕と旅に出て、予言も十二星座の紋章の意味も、この黒い兵たちが何なのかも、僕と一緒に探しに行こう。何があっても、君のことは僕が守り通すから」

 レーゲンの真っ直ぐな目と、彼の真摯な想いがカルナの胸にあたたかく沁みた。

「……ここにいたら、また襲われるかしら?」


「その可能性はある。だから、こっちから原因を探しに行くのも君のためになると思ったんだ」

「レーゲンは、どうしてそこまでしてくれるの?」

 たまたま行き合って助けた娘相手に、一緒に旅をして原因を探そうと言ってくれる人は普通いない。


「僕も十二星座の予言の内容は気になっているんだ。同じ紋章を持つ君と出会ったことにも、きっと意味があると思う。だから一緒に調べてみようよ」

 レーゲンの言う通り、十二星座の予言と身体に刻まれた紋章のことが気になるのは確かだ。


 神殿に立て篭って、いつ襲われるかもわからず怯えて暮らすより、レーゲンと一緒に星を見ながら前に進む道があるかもしれない。

 いや、あるはずだと思う。


「行こう、カルナ!」

「うん! 私も、知りたい!」

 カルナがレーゲンの手を握り返すと、彼は晴れやかな笑顔をカルナに向けた。



 一旦神殿に戻った。


 危機が去ったことは既にマライアが伝えていて、神殿内の人々はほっと胸を撫で下ろしていた。

 その後、旅に出たいとカルナが言うと、ユスフは驚いたり青ざめたり、寂しそうに涙ぐんだりした。


「本当に、旅に出る気なのか?」

「ここで怯えて暮らすより、自分から行動して立ち向かってみたいのです」

 運命を嘆くだけだった自分の言葉とは思えない。それくらいレーゲンの前向きさに影響を受けているのだ。


 ユスフは、最後には旅に出ることを了承してカルナをきつく抱きしめてくれた。

「忘れるんじゃないぞ。お前の家はここで、お前は私の娘だ。すべてが終わったら、きっと帰っておいで」

「はい、お父様」

 父に抱きしめられ、突然旅立つと言ったことを申し訳なく思った。

 そしてこの人の娘でよかったと本気で思った。


 突然の旅立ちに周囲は驚き別れを惜しんでくれたが、他の神官も巫女もみんなカルナの旅立ちを受け入れ、激励してくれた。

 マライアもカルナの手を取って明るく微笑んだ。

「さっきは本当にありがとう。貴女は命の恩人よ」

 まだ彼女への罪悪感は拭い去れないが、様々な謎から解き放たれ、自分の力と向き合えたとき、マライアと心から笑い合える日がきっとくる。


「カルナは大人しいから心配だけど、本当は勇気がある子だもの。応援してるから、気をつけてね!」

「うん、ちゃんと帰ってくるからね」

 ここの優しい人たちを危ない目には遭わせてはいけない。カルナの選択は正しいのだと、みんなとのお別れを済ませながら思った。


 出発は翌朝に決まった。


 レーゲンとの出会いも旅立ちも、星が指し示す運命の通りなのだろう。

 けれど、それでもカルナは進まなければならない。

 自分が〈十二星座伝説〉とどんな関わりがあるのか、あの予言は何なのかを知るため、カルナは旅立った。

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君とみた星空を壊すまで 葛野鹿乃子 @tonakaiforest

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