最初の戦場
「“東の辺境村で、魔物の群れが出現。王国軍の派遣が間に合わないため、勇者様に討伐をお願いしたい”……だってさ」
夜凪は、王城の回廊を歩きながら渡された書状を読み上げた。
その背には、騎士団の小隊が付き従っている。彼らは目を合わせようとはせず、常に数歩後ろを保っている。
「ふーん。試運転ってとこ?」
答える者はいない。
空気が張り詰めていた。
*
辺境の村は、炎に包まれていた。
「……」
立ち昇る黒煙、逃げ惑う村人。
家畜を蹴散らし、建物を爪で崩す巨大な魔物たち。
それは《灼牙の群狼》と呼ばれる獰猛な種族――中級クラスの魔獣であり、普通の騎士団では苦戦は免れない相手。
だが、夜凪はただ、静かに歩を進めるだけだった。
「退避は済んだの?」
「は、はい……! 村人はすでに避難済みで……!」
騎士の報告を聞き終えたその瞬間。
夜凪の背から“それ”が現れた。
黒き光が凝縮され、虚空から一本の剣が現れる。
否、“剣”と呼ぶには異質すぎた。禍々しく歪んだその刃は、まるで意志を持つかのようにうねり、空気を震わせている。
――《黒喰(こくしょく)の魔剣》。
夜凪が無言で踏み出すと、大地がわずかに揺れた。
「……“魔神穿ち”」
彼女が呟いた瞬間、世界が反転したかのような閃光が走る。
距離など意味をなさない。魔物のうち、五体が“一閃で”真っ二つに裂かれた。
絶叫もなく、抵抗もなく、ただ――死。
「ば、馬鹿な……! あの距離で!? 魔法も詠唱もなしで……!?」
騎士たちが声を上げる。
だが、夜凪は構わず進み、刃を振るい続けた。
──その剣に斬れぬものはない。
──その瞳に映った敵は、すべて死ぬ。
村を襲っていた魔物三十余体。
討伐に要した時間、わずか――三分。
そのすべてが、粉塵すら残さず“消滅”していた。
「ふぅ……終わり」
夜凪は、血に染まることもないままにそう呟き、魔剣を霧のように消した。
その顔に、笑顔も怒りもなく。ただ冷たい無表情。
だがその姿を見た騎士たちは、確かに“戦慄”を感じていた。
自分たちがこの先、何を相手にしようとしているのか――ようやく、理解し始めた。
そして――、召喚した
*
王都――
「ゆ、勇者様は……本当に、あれほどの力を……?」
「報告によれば、“灼牙の群狼”三十六体を単独で壊滅。
遺体は残らず、焼け跡すら解析不能。剣を見た者は、“言葉にできない”と証言……」
王の顔から、喜びの色は消えていた。
ただひとつ、“恐怖”があった。
この少女がもし――
敵に回ったなら。
「我らは……とんでもない存在を、召喚してしまったのではないか……?」
誰かがそう呟いたとき、誰一人それを否定できなかった。
*
そのころ、夜凪は静かな部屋で、窓の外を見ていた。
美しい異世界の風景。空は澄み、鳥が鳴く。
でも――そこに、心は揺れなかった。
「……やっぱり、ここでも私は“異物”なんだね」
そう独りごちて、夜凪はベッドに腰を下ろす。
彼女の目には、涙も、喜びも、希望も映っていない。
ただ、“次はどこを壊すか”、それだけを考えていた。
――私には全て思いのままに破壊するだけの力がある。
▲
辺境村での戦闘から三日後、
王都近郊に位置する、王立魔法研究塔にて――
「解析が……できない? 彼女が使った魔力痕が?」
王は蒼ざめた顔で問いかける。
目の前の老魔術師は、額に脂汗を浮かべながら頭を下げた。
「はい。従来の理論では説明不能。あの“黒い剣”が放った魔力波は、まるでこの世界の法則そのものを拒絶しているような……」
「……異界の勇者などという次元を超えているのかもしれん」
王は、遠くを見つめる。
「もはや、“制御できる存在”とは思わぬことだな。
……厄災とは、得てして、救いとともに訪れるものなのだろうか」
そう呟いた声には、確かな怯えがあった。
*
一方、遥か西の山脈。魔族の支配する“黒の領域”では――
「ほう。面白いな。人間どもが“それ”を召喚したか」
大理石の玉座に座る、漆黒の角を持つ女が微笑んだ。
彼女の名は《ルシア・アル=ザハル》――魔族を束ねる“魔王”。
「“灼牙の群狼”三十六体を一撃で消し飛ばした、か。
見てみたいものだ、その力。……できれば、味方にしたい。
無理なら――排除する。どんな手を使ってでも」
魔王の命を受け、魔族の幹部たちが静かに動き始める。
人間に召喚された“黒き勇者”が、いずれ魔族の運命さえも左右する存在となることを、彼らは本能で理解していた。
*
王都・夜凪の居室。
「ねぇ、どうして誰も私に話しかけないのかな」
窓辺に腰掛けた夜凪は、小さく呟いた。
「私が勇者だから? それとも、化け物だから?」
返事は、もちろんない。
扉の向こうには、監視を任された騎士が控えているが、彼らも一切、目を合わせようとしない。
「……うん。そうだよね。もう、私、普通じゃないもんね」
夜凪は、ふと自分の手を見下ろす。
血も汚れもついていない、白く細い指。
けれどこの手が、数分前に魔物を何十体も葬った。
そして――これからも殺し続ける。
「優しくしようとして、裏切られて、傷ついて、全部壊して……
そしたら、“使える”って言われるようになった。
ねぇ、それって――何?」
言葉にすらならない何かが胸に渦巻く。
怒り? 悲しみ? 虚しさ?
いや、そんな高尚な感情ですらない。
ただ、“空っぽ”だった。
*
その夜。王国軍上層部の会議室――
「彼女を“監視対象”に指定すべきだ」
「まさか、勇者を疑うつもりか?」
「疑ってなどいない。“恐れている”のだ。
あの力が、我らに向けられたとき――止められる者は、誰もいない」
議論の末、夜凪の周囲には、さらに監視の目が増えることとなった。
そして、誰も彼女に本当の言葉をかけようとしない。
救世のはずだった少女は、いつしか“異物”として扱われ始めていた。
だが、夜凪はそんな視線に、ただ笑みすら浮かべず、静かに言葉を吐く。
「ねぇ……ねぇ、もっと戦わせてよ。
壊しても、殺しても、誰も文句言わない世界なんでしょ?」
それは祈りか、呪いか――
最凶の勇者は、確実に“ヒト”としての何かを失いつつあった。
黒き聖女は屍を歩む 〜慈悲なき殺戮勇者、異世界にて断罪を執行す〜 アルるん @Claris023
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