挿し木
夔之宮 師走
挿し木
後輩の中井から業後に話をしたいというメッセージが届いたのは15:30を少し過ぎた頃だった。誘われるのは初めてのことだが俺には元より予定などない。「いいよ」と即答してから財布の中身を確認すると少々心もとない。高級店をねだられるような間柄でもないので安い店で我慢してもらおう。
夕方に飛び込んできた問合せの所為で定時に仕事が終わりそうにない。中井とは外で待ち合わせることにした。しばらく仕事に集中していると、中井から芸術劇場前のビルにあるチェーンのイタリアンレストランに入ったとのメッセージが届く。俺の財布を見透かしているようだ。
俺が店に着くと、テーブルには半分ほど赤ワインの入ったデキャンタが置かれており、ラムの串焼きとほうれん草とベーコンのソテーの皿があった。刺さっている伝票に目を向けると、どうもすでにデキャンタをひとつ空けているようだ。なかなかにやる。
「先輩お疲れ様です」
「お疲れ様」
俺は答えてジャケットを脱ぎ、鞄と一緒に席の奥に置く。四人席に入れたのはありがたい。
「先に始めちゃいました」
社内では見たことがない晴れた笑顔に少し驚いた。職場では仕事は堅実だが、内向的で愛想がないと思われている。あの課長からのパワハラならびにセクハラのターゲットからも外れてるくらいだ。俺も地味な女性という感想以外を持っていなかったが、考えを改める必要がある。
俺は酒を飲む時、塩や味噌でもあれば延々と飲み続けられる。中井は会社の飲み会では見たことが無いくらい、よく飲んでよく食べ、そしてよく笑った。自分より若い子が沢山食べて沢山飲むのを見るのが俺は好きだ。この店なら財布の心配をすることもない。俺は気楽になった。
中井から仕事の愚痴などを聞きながら、気が付けばデキャンタが2つ、3つと空いていく。中井は俺よりも一回り以上は下のはずだが、楽しく酒が飲める相手だということを認識した。俺は独りで飲む酒も好きだが、誰かと飲む酒も好きだ。頻繁に誘ってはセクハラ扱いされかねないが、時折誘ってみるかなどと腹の中で考える。
「すいません。お手洗いに行ってきます」俺はグラスを掲げて促す。
手洗いから戻ってきた中井は俺を押し込み、隣に座ってきた。正直言うと、俺はこの時、艶っぽい期待を持った。部屋の汚さを思い返し、どこかに行こうにも金が無い。中井の家はどの辺りだろうかなどと考えていると、中井が自分のスマートフォンを出しながら俺に言う。
「先輩。ちょっとこれ見てください」
画面を見ると、土がみっしりと入った植木鉢に指が刺さっている写真だった。ほっそりと長い指。綺麗な爪をしている。
「綺麗な指だね」
俺は思わず答える。
「流石! 先輩! わかってくれますか。嬉しいです」
満面の笑みを湛えながら中井が画面をスワイプする。先ほどの写真では指が刺さっているだけだったが、そのうち指先が縦に割れて枝のようなものが生えている写真が出てくる。
「私、指を育てているんですよ」
俺は写真が本物なのか作られた画像なのかを考える。
「手でも生えてくるのかい」
俺の言葉を聞くと、中井はころころと笑った。
「もう。何言ってるんですか。指から手が生えるわけないじゃないですか」
笑いながらスワイプするスマートフォンの画面には、割れた指先から伸びた枝に大輪の花が咲いている写真。その花はダリアのようだった。
「綺麗な指には綺麗な花が咲くんです。毎日毎日ちゃんとお世話してあげると」
確かに綺麗だ。割れた指は半分くらいまでが朽ちているけれども、元の指の美しさは損なわれていない。枯れた姿も可憐だ。
ごとり。
机の上に南米にいる鳥のくちばしみたいな形をした剪定鋏が置かれた。オオハシとかサイチョウとかそういう鳥だ。
中井が俺の手を取る。
「先輩の指って綺麗ですよね。ずっと綺麗だと思ってました」
俺はどの指なら仕事に差し支えないかどうかを考えた。
挿し木 夔之宮 師走 @ki_no_miya
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます