第13話 妻に相応しいのは

 樹丸に抱かれて男山へと戻ってから、すぐに五月雨梅雨がやって来た。

 しとしとと続く長雨を聞きながら、鞠子は里の女たちと交代で千代の看病に明け暮れていた。


 千代の容態は、先日の鞠子よりもひどかった。神祇伯が受けるはずだった汚染のほぼすべてを引き受けた代償はあまりにも大きく、鞠子が形代を使って穢れを抜いてやったものの、高熱を出してずっと眠り続けている。

 ありあわせの道具で形代人形を作っても到底間に合わず、いっそ鞠子自身が穢れを肩代わりしようかとも考えたが、病み上がりであるのを理由に周囲から止められており、薬を飲ませながら自力での回復を待つこと三日目。


 徐々に目覚める時間が増えてきて、意識もはっきりし始めた千代はこの日、初めて鞠子と会話をした。


「……あなたが、あたしの身代わりだったのね」


 千代はかすれた声で、天井を見上げながら言った。


「ごめんな、さいね。こんな、道の外れたことを」

「いいえ、千代様。謝らないでくださいませ」


 鞠子はしっかりと首を横に振った。千代を励ますためでもあるし、町内なく本心だったからだ。


「わたしは樹丸様の……”石清水の狼”のところに来られて、幸福でした」

「……そう」


 千代は目尻から一筋涙を流し、強張った首を動かして鞠子の方を見ると、弱々しく笑みを作る。


「……そんな顔ができるなら……あたしがお嫁に、行きたかった、かな」

「えっ?」


 どういう意味かと問い返したが、千代はしゃべり疲れたかすでに寝息を立てていた。

 答えを得られぬまま、頬を揉んだりつねってみたりして百面相をしているうち交代の侍女がやって来て、鞠子は千代を寝かしている塗籠を出た。


 外では、雨足が強くなってきている。

 鞠子は縁側に敷いた置き畳に座って、庭の草木や塀の向こうの山林が雨に打たれて匂い立つのを眺めながら茫洋としていると、裸足が廊下を歩く音が近づいてきた。


「鞠子、少し話いいか?」


 樹丸だった。

 黒狼の若頭領は鞠子の了承を待ってから隣に腰を下ろす。


 話というのは神祇伯のことだ。

 樹丸は鞠子が奪還された後、都に配下を残して今回の一件について調べさせていた。雨で道が悪かったり宇治川が荒れたりしたせいで遅れていた帰還が今しがた成って、おおまかないきさつを報告したというのだ。

 

「あいつが娘を手放そうとしなかった理由は、形代として利用したかったかららしい」


 不愉快そうに庭石を睨みながら、樹丸は語った。

 千代は形代術の才能に恵まれていて、より深くから大量の穢れを取り除くことができた。これに気づいた神祇伯は毎回のように儀式に同席させ、限界まで汚染を肩代わりさせるようになった。


「苦を負わずに楽だけ取るなんて、長としちゃ最悪だ」


 唾棄する樹丸だが、さらに始末が悪いことに神祇伯は妻たちに作らせていた形代人形まで独り占めした。肩代わりしてくれた千代のためではなく、我が身に残ったほんのわずかな穢れを取るために使ったのだ。

 ところが、天才の千代が除去できなかったような穢れは、凡百の形代術では歯が立たない。有効だったのは、同じく優秀な術師だった鞠子の人形だけだった。


「妻からの形代人形を大皿で一緒くたにして、どれが誰のだか気にも留めなかったのが仇となったんだな。鞠子がいなくなったら効き目のある人形が届かなくなったもんで、焦った末に無理やりにでも連れ戻すことにした、というのが今回のいきさつだ」


 自分勝手な話もあったものだ。

 噂になれば、都の貴族社会で生きていくことはできなくなってしまうだろう。そうでなくても、樹丸が大声で契約違反を主張した時点で、かなり厳しい状態に置かれたはずだ。


 もしも神祇伯が失脚したら、彼の妻たちはどうなってしまうのだろう。

 自分の身に置き換えて考えると、肝が冷える。

 一人の男性から受ける支援が暮らしの糧だったのに、それが断ち切られたら? 父だって神祇伯の縁故がなくなれば立場は悪くなる。上手い具合に他の男性を捕まえられなければ、どうやって生活していけばいいのか。

 いや、ただの妾ならばまだマシな方だろう。

 もっと大変なのは実子、特に箱入りだった千代なんて、居場所も行き場もすべて失ってしまったのではないか。


「あの、樹丸様。千代様って、これから……?」

「そうだな。元気になるまではここに置いとくとして、その後は本人次第だな。あれに恨みがあるわけじゃないし、神祇伯の手から奪っただけで落とし前はついてるから、少しくらいは望みに沿ってやらないと」

「そう、ですか……」


 やや複雑な心境で、鞠子は目を逸らした。

 樹丸が千代の意思を尊重しようというのは美徳と言えるかもしれないが、ついさっきの会話を思い出せば穏やかに聞いてもいられない。


『……あたしがお嫁に行きたかったかな』


 もしも千代が回復して、その望みを口にしたら、樹丸はどうするのだろうか?


「ん? なんだ、気になるのか?」

「!?」


 まさか、声に出していたらしい。

 ギョッとして、居たたまれなさに悶える鞠子に反して、樹丸はどこか愉快そうに頬杖をついて訊ねる。


「ちなみに、あんたの意見は? 俺はどう応じるって?」

「そ、それは……。……お、お受けしても当然のことかと。千代様は、わたしなんかよりもずっとお嫁に相応しいですから」


 考えを言葉にしただけで苦々しいものを感じ、鞠子は顔をしかめた。


「あんたよりも、か。俺はそうとも思わないが」

「えっ、だって……もともと選ばれたのは千代様と聞いておりますし」

「実際に来たのはあんただ。俺も里の連中も、それを受け入れたつもりでいたんだが……伝わってなかったか?」


 返答に詰まる。

 相手の善意を否定するなんて、それこそ恐れ多いことだが、引っ込みも付かなくて逃げるように視線をさ迷わせる。


「それに、それに……千代様の方が、形代の才に恵まれておいでですし」

「過ぎたるは猶及ばざるが如し、っていうだろ。あんたでも十分すぎて、力を抑えてもらわなきゃなんないのに、それ以上を欲しがる意味がない」


 対する樹丸は余裕の表情で、鞠子の逃げ道を塞いでいく。


「くっ……わ、わたしは人妻でしたから、もう清い体ではないですし」

「別に巫女になれってわけじゃないんだ、理由にはならんぞ。前の夫に未練があるとかなら引くことも考えるけどな」


 神祇伯の元に帰りたいなんてあるはずもなく、ぐうの音も出ない。


「ほ、他にも……えっと……千代様の方がお可愛らしいですし」

「ふむ」


 反論に間が開いたことに、ホッとしたような傷ついたような感情を抱いていたら、おもむろに樹丸の手が伸びてきた。

 手の平が頬を撫でて、おとがいを持ち上げる。

 強制的に、視線が正面に合わせられる。


「あんたを口説くには『可愛い』と言ったらいいのか」

「ぅえ?」


 鋭い黒瞳が、獲物を弄ぶように細められた。


「可愛いな、鞠子は。まず目が可愛いな、とても澄んだ光り方をする。ポカンとした表情も、無防備で可愛いな。こうして触れると簡単に壊れそうなくらい、儚いところも可愛いな」

「い、いいいいつ、いつ樹丸様!?」

「赤くなっても可愛いな。他にはどんな色をするのか、ずっと見ていたくなる。花を渡した時の顔も可愛いし、たまに笑ったりするとこの上なく可愛くなって……」

「〜〜〜〜〜〜っ!! そそ、そういうことではありません!」


 あっという間に許容限度を越えて、声を裏返して振り払ってしまった。

 淑女らしからぬ振る舞いに樹丸は目を丸くして、間をおいて「あっははは!」と高笑いする。


「たしかに、そういうことではないな」


 なおもくっくっと笑いながら、鞠子に正対するように座りなおして、ふと真剣な顔をする。


「鞠子。“石清水の狼”はあんたを頭領の妻として認めている。受けてくれれば皆が喜ぶだろうが、嫌なら無理強いしない。決めるのは他でもない、あんた自身の意思だ」

「わたしの、意思」

「千代って娘のことは、よく知らんから比べようがないけどな。俺個人としては、鞠子が一番だと思ってる。あんたはどうだ?」

「わたし、は……」


 即答は、できなかった。

 得体の知れない恐怖にも似た感情が、鞠子の喉を締める。

 声を出せずにうつむいてしまい沈黙が立ち込めると、樹丸は短く息を吐いた。


「まあ、急かしはしないさ。千代が良くなるまではもう少しかかるだろうし、この雨じゃ屋敷でジッとしてるしかないからな。考えがまとまったら、聞かせてくれ」


 と、話を切り上げて立ち去ろうとする。

 猶予をもらった鞠子は安堵して……しかし懐中に澱みを覚えた。

 答えを先延ばしにしているうちに拉致された時のことがよぎる。

 あの後悔、苦しみを味わうくらいなら、いっそ…………


「あ、あのっ」


 呼び止められた樹丸の、驚いた顔。

 急激に高まる鼓動。

 なにかに惹き寄せられるように、あるいは追い立てられるように、鞠子は口を開いて、


「――――」


 雨が一層に激しくなって、滝のような轟音がすべてをかき消した。

 鞠子が紡いだ言葉も。

 樹丸が身を寄せて抱き締めた音も。

 屋敷にいた誰にも聞かれることはなかった。


【了】

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形代姫と裏鬼門の聖狼~16番目の妻ですが正妻の娘の代わりに嫁くことになりました 黒姫小旅 @kurohime_otabi

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