ひねくれたモノの味方
脳幹 まこと
俺は決して11にはなれない
信じる者は救われる。
いいことは「おかげさま」、わるいことは「おたがいさま」。
みんなと一緒に、あるいは、自分らしく生きる。
前向きな言葉は総じて胡散くさい。
なんかこう、見ず知らずの他人から「ガンバレガンバレ!!」って言われてる感じだ。「いや、アンタ、俺が今何やってるか分かってんの?」って返すと「何かは分からん! でも何かはやってるはずだからガンバレ!」と返される。無敵だ。胡散くさすぎる。
しかし、年の功というのはあるもので、この胡散くさい言葉の持つ意味がようやく理解できてきた。
その意味について語る前に、どうして俺が上述の言葉たちにいまいち親しめなかったのか、という点について端的に述べよう。この言葉たちというのは、要するにWindows専用のソフトウェアだったのだ。Linuxには対応していないのである。
何のことだか分からない愚かな諸賢達はとりあえず「たけのこでクラッカーの話をする」あるいは「きのこでクッキーの話をする」と思えばいいだろう。嗚呼、何という愚かさなのだろう。
タイプが違う。人間の心というのは、世間からするとかなり曖昧でラフに一括りされている。だからこそ、前向きな言葉、夢とか希望とか愛とかは地球を救うとかどっかが宣うわけだが、実際のところ血液型くらいはっきり分かれている。別の先輩は血液型は血液型占いのために作られたなんて生物学を根底から揺るがす大発見をしてのけたわけだが、俺はどうしても血液型占いが見せる、あの「分別したからその中に入っている人達はみーんな一緒♪」感が気に入らないのだ。
そんなわけで、Linuxである俺はどうにも巷のWindows達の話にうん……うん……と頷くしかなかった。これが全く違うとかなら、ドユコトとつっこめたのだが、ところどころ同じワードが使われる上に使い方が同じ場合と違う場合があるので混乱するのだ。俺はとんでもないバカなんじゃないかと、頭を抱えたこともあった。Excelファイルをテキストエディタで開こうとした若い頃の自分みたいな微笑ましさがある。
謎は解けた。しかし、どうしたものだろう。
名探偵が連続殺人事件を解決しても、残った人達の問題が何ら解決しないのと同じで、実際この問答を通して分かったことは、俺は大半の人に「性格の不一致」「方向性の違い」で解散される運命だということなのだ。なあ、昔に戻ろうぜとドラシエルを持ち出しても仕方がなく、むしろ「そういうとこだよ!」と言われてしまうということだ。
悩みに悩んだ。
結果的にたどり着いたのは、あの胡散くさい言葉たちに対する解釈を変えることだった。
つまり、あの言葉たちに暗黙的に付随する「みんな」という言葉を取り除いた。
みんなを信じるなんて馬鹿げている。そうだろう? 人は自分の知る範囲しか知り得ない。飢えて苦しむ男児の写真を見たことがあるだろう。俺は泣いて、その場で募金もしている。でも、その感情の昂ぶりは悲惨な自分の現状と照らし合わせたからだし、加えて、その男児は突然わいて出たものじゃないか。その写真を見る前、つまり男児が苦しんでいる間、俺は多分にゴロゴロしていた。さらに加えて、その男児みたいな子供たちは大勢いるって言うじゃないか。なんてことだ。募金を素通りする人達にやりきれない思いはあったが、俺はついさっきまでその側にいたのだ。しかも、あの写真を見てもなお、全然目覚めた感じがしない。多分、後でゴロゴロするのだ。
陰謀とか世界の闇なんて関係なく、そういうものだ。そんなみんなに「おかげさま」なんて言えるだろうか。みんなと一緒に生きるってなんだ。自分らしさとはなんだ。そりゃ、社会生活を営んでるんだから、身のまわりの人くらいには感謝や気遣いはするだろうさ。でも、「みんな」は幾らなんでも主語がデカすぎるって。
でも、実際のところ、何かは信じたいだろう。何かのおかげだと思いたいだろう。おたがいでありたいだろう。個を保ちつつ、一緒にいたい。手っ取り早く済ませるために、人は友達を作ったり、恋人を作ったりする。とはいえ、それはWindowsのソフトウェアであって、Linuxの俺には難しい。
なので、モノにすがることにした。
アンティークショップで陶器で出来た手(ハンドオブジェ)があったので、それを買った。そして自分なりにラッキーだと思ったことは、すべてその手がもたらしたと考えるようにした。
そうすると、たかだか数千円のそれが、なかなか貴重な掘り出し物だったように見えてくる。
重要なのは、自分や他人に幸運/不幸をもたらすだけの力があると考えないことだ。そうでないと、不幸になった時に、自分のせいにしたり、人のせいにしたりしてしまう。その行動の大半は
世間にいる大人たちが、その有名無名にかかわらず、自分の行動を制御できず、割と流れでやっていることを、自分も大人になって理解した。もちろん、悪意を以て行動されるレアなパターンも捨てきれないが、俺を含めた諸賢の本当の悩みというのは、誰かから害意を向けられることでなく、誰からも何の意も向けられないことではなかったのか。
当然だが手は何も動かない。話さない。俺の主観でのみ機能する。だから期待することもない。期待することがないと、胡散くさい言葉たちに感じる苦しさは消えてゆく。元々何の期待もない。偶々の成果に対して「おっやるじゃん」みたいな気持ちになる。俺は何もしていない。そもそも俺には何の力もない。元々オブジェとして何か飾りたいだけなので、手の功績は完全にたなぼたになる。こうなると「手のおかげ」と言わざるをえない。
そんな日々がくり返されると、だんだん、自分は手の所有者ではないんだな、という気がしてくる。数千円叩いて買ったのは俺だが、それはいわばパートナー契約みたいなもので、手側だって「少しでも上から目線で来たら、その目を中指で突いてやる」という気満々なのかもしれない。
とまあ、何となくだが俺用のソフトウェアが見つかった。Linuxというのは奥が深く、多くのパーツでカスタマイズされるらしい。だから気安く「俺のLinux壊れたから見て」というと「どのLinuxだよ?」と返されてしまうらしい。
俺はオブジェにしたが、別にお守りだろうが、ボールペンだろうが、安全ピンだろうが何でもいい。大切なのは最低限の存在感があること、自分が積極的に、継続的に関係を結びやすいモノを選ぶということだ。なんたって、相手からは何も手を伸ばしてこないのだから、自分で何とかするしかない。
ただ関係を結んでしまえば、維持は大分楽だ。何とも知れない安心感がある。「これがWindowsの見ている景色かあ!」とはならないが、こっちもこっちで楽しい。
しかしこの手法、一つだけ禁止事項がある。一度信じたモノを
神様、お金様はそこが欠点だ。あまりに広範すぎて
これは当然、
ひねくれたモノの味方 脳幹 まこと @ReviveSoul
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