4-(2) その姿はまるで
カーヤは大学の図書館から借りた本をもう読み終えた。と言っても、もちろんカーヤ一人では読破する事はまだ難しいので、僕と一緒に声を出しながら読むのがほとんどだった。
そんなふうにしているとたまに、なぜ自分はこんな事をしているんだろう、と場違い感に襲われた。だが、そう思う事は、僕なんかを頼りにしてくれ続けているカーヤに失礼なので、すぐに心の奥底に封じ込めた。
当初、カーヤとの摩訶不思議な関係は、本の読み方を教える、という目的が達成されれば終わってしまうものだと考えていた。初めの方はそれで良いと思っていたし、むしろ早く終わってほしいとさえ思っていたほどだ。僕には、こういった兄貴ヅラは似合わないのだ。それ故に、カーヤに懐かれれば懐かれるほど、僕の精神の負担は増していった。
それでも今は違った。自分でも本当に単純な野郎だとは思うが、こうも親交を深めてしまうと、嫌でも愛着心が芽生えてしまうというものだ。カーヤはしばしばそこ知れない雰囲氣を漂わせはするものの、根はどこまでも天真爛漫な女の子だ。まるで彼女のように。
だからこそ、カーヤを救い出さなければならない。それは殆ど使命感のようなものだった。一刻でも早く彼女を過酷な世界から救出しなければならない、もう二度と大切な存在を失わない為にも。
新しい本を借りるために、以前と同じように大学の図書館へと二人で赴いた。カーヤを絵本のコーナーまで案内する。カーヤに次はどのような本が良いか尋ねると、相変わらず「鳥が出てくるもの」と答えた。僕はその返答を聞くなりふふッと笑ってしまった。
こうも偶然が重なるものだろうか。僕の家で居候させているアンナは鳥の彫刻にご熱心で、僕が色々と教えているカーヤは鳥の本について読みたがっている。どうやら僕は鳥にただならぬ縁があるらしい。
そこで僕は一瞬凍りついた。それは計り知れない恐怖によるものだった。もしもこれが“呪い”なのだとしたら。僕に罪を忘れさせまいとする呪い。十分にあり得る事だ。だってここまで鳥がまとわりつくだなんて、現実的に考えて、どうもおかしすぎる――。
「これにする」
真横から唐突に声がして、僕の体は驚きから飛び跳ねた。カーヤの存在を忘れてしまうほどまでに、考え込んでしまっていた。
カーヤから本を預かり、そのまま受付まで持っていく。すると、受付係の女性に、まるで愛らしい児童を見るかのような目で「絵本、お読みになるんですか?」と聞かれた。
僕は、この歳になってそんなわけがないだろう、と僅かに反感を覚えながら、「いや、読むのは僕じゃないです。あの子ですよ」と、入り口付近の新刊コーナーを眺めるカーヤの方を振り返って言った。
受付係の女性は、僕が振り返った方に視線をやったが、すぐにふふ、と微笑んでから、「そんなに恥ずかしがらなくてもいいんですよ」と言い、本を僕に手渡した。僕は、彼女のその言い分がよくわからないままカーヤと共に図書館を後にした。
カーヤが今回選んだ絵本は、物語性の強いものといよりも、詩集のようなものだった。子供でも読める簡単な言葉で紡がれた詩の背後には、水彩で柔らかな絵が描かれていた。僕は、カーヤの言語力向上のためにも、新しい案を出した。
それは、まず詩をノートに自分で写して、それを音読するといったものだった。もしもわからない部分があれば、そこだけ僕が教える事にした。どうやら本気で読み書きが得意になりたいカーヤの為にも、少しだけスパルタでいかせてもらった。その僕の提案に対して、カーヤは不満げな様子を一切見せる事なく、むしろ乗り気で頭を縦に振った。
結果として、カーヤの実力は僕の想像以上だった。詩を写す事に関してはまだ拙い部分があるものの、カーヤのシンボルである鳥が関連している言葉ならば、小一時間経てば何も見ずに書けるまでになっていた。
鳥、翼、空、海、音楽……それらの言葉を、カーヤは愛しているようだった。音読も例のお気に入りの言葉ならば流暢に発せる事ができた。子供の可能性とやらをまざまざと見せつけられ、僕は胸中がいっぱいになった。
それはまさしく教え子の才能への感動であり、以前ならば感じていたであろう輝かしい未来を予想させる人間への嫉妬は微塵もなくなっていた。
さらにカーヤは突然前方の砂場へ行ったかと思いきや、指で文字を書き始めた。鳥、空、海……あれらの中でも特に簡単な言葉を砂面に浮き上がらせた。
僕は、すぐ近くに落ちていた木の枝をカーヤに差し出した。「指よりもこっちの方が書きやすいよ」そう言うと、カーヤのきょとんとしていた表情がすぐさま喜びの色に変わり、僕から木の枝を素早く受け取った。
それから陽が落ちるまで、カーヤは砂場でひたすら文字を刻んだ。僕が年甲斐もなく時間を忘れてしまったのは、湖を背景にして、まるで踊るように楽しげに文字を描くカーヤの姿に見とれていたからである。そのカーヤの姿は、それこそ自由に空を羽ばたく鳥のようで、これまで見たどの絵画よりも美しかった。
亡き乙女の空に羽ばたく為に 思念体 @nanimonodemonai-shinentai
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