談笑
脳幹 まこと
談笑
「なあ、聞いてくれるか。この前、なんとも言いようのない、気味が悪い光景に出くわしちまったんだ」
俺は、行きつけのカフェで向かいに座る友人Aにそう切り出した。
休日の昼下がり、店内はそこそこの賑わいを見せているが、俺たちのテーブルだけが妙に静まり返っているように感じられたのは、きっとその話のせいだろう。
・
あれは数日前のよく晴れた午後だった。
近所の公園のベンチで、一組の親子が微笑ましく遊んでいたんだ。年の頃は三十代半ばくらいの父親と、まだ三歳か四歳くらいの男の子。父親は男の子をひょいと抱き上げ、高い高いでもするようにあやしていた。男の子のきゃっきゃとはしゃぐ声が、穏やかな午後の空気に溶けていく。
どこにでもある、平和な光景だった。
そこへ、ふらりと一人の女性が近づいてきたんだ。年の頃は父親と同じくらいか、少し上だろうか。身なりはきちんとしていて、どこか人の良さそうな雰囲気を漂わせている。俺はてっきり、その男性の奥さんか、あるいは親しい友人か何かだと思った。
彼女はごく自然に男性の隣に腰を下ろし、腕の中の男の子ににっこりと顔を近づけるようにして、明るい声で話しかけた。
「あら可愛い! 鼻の形とか、パパにそっくりじゃない? ねえ、お名前はなんていうの?」
男の子は人見知りだったのか、顔を背けてそのまま黙っていた。
男性が戸惑ったように口を開きかけるのを待たずに、女性は近況報告という形で、堰を切ったように話し始めたんだ。
「うちのおじいちゃんがね、最近ちょっとおかしくなっちゃって。以前から少しそういう気はあったんだけど、この頃特にひどいのよ。誰彼構わず、家族だと思い込んで話しかけちゃうの。この前もね、郵便局の配達員さんを自分の息子だと思い込んで、一時間も世間話に付き合わせちゃったんですって。もう、本当に困っちゃうわよねえ」
俺は少し離れた場所からその様子を眺めていたんだが、どうにも違和感があった。何だろうなあ……チグハグだったんだ。
女性は熱心に語りかけているのに、男性の方はというと、視線はほとんど腕の中の子供に注がれたまま。時折、彼女の方を向いて曖昧に頷いたり、「はあ」「そうですか」なんて相槌を打ったりはするけど、子供に絵本を読みたいか訊いたり、しりとりを持ち掛けたり……とにかく子供の相手をしたがってた感じがあったんだ。女性は時折子供に可愛い可愛い言いながら、あんまり気にせずにしゃべり通してたけど。
一時間ほどだったろうか。女性はひとしきり話し終えると、「じゃあ、これで」とあっさり立ち去っていった。まあ、長年の知人だったら、こういう付き合い方もあるのかなとは思ったよ。
その後ろ姿を見ていた男の子が、父親を見上げて無邪気に尋ねたんだ。
「パパー、あの人、だぁれー?」
すると父親は、少し困ったような、それでいてどこかホッとしたような表情で、こう答えた。
「さあ……
全身に鳥肌が立った。
つまり、あの父親と女性は全くの赤の他人だったんだ。女性は、見ず知らずの男性に、まるで旧知の仲であるかのように、一方的に自分の祖父の愚痴をこぼしていたわけだ。
父親の方は、気味が悪くてまともに取り合えなかったんだろう。無下に追い払って息子に危害を加えられてもまずい。
あの態度は……必死の防衛策だったんだろうな。
・
俺が話し終えると、Aはしばらく呆けていたが、やがてぽつりと呟いた。
「怖ぇじゃないか」
「な、だろ? あの女、完全にどうかしてる。もし俺があの父親の立場だったら……想像するだけで震えてくる」
Aは眉をひそめて腕を組んだ。
「その女は心の病気だったのか、爺さんに似たのか」
「どちらにしろ狂気じみてる」
俺はふと、背後に視線を感じた。いや、視線というより、子供特有の、遠慮のない好奇の眼差しだ。
振り返るほどではないが、気配でわかる。
「ママー」
子供特有の、甲高く、やけにはっきりと鼓膜に届く声がした。
「あの人、
振り向くと、そこには幼い女の子がいた。こちらを見ている。俺は思わずそのまま動きを止めてしまう。
俺のことか?
いや、そんなはずはない。俺はちゃんと、友人のAと話している。Aも俺の話に相槌を打ってくれているじゃないか。いつもより口数は少ないが、今までだってそうやってきた。
きっと、どこか別の席の客のことを言っているのだろう。スマホで電話している人とか。子供はそういう状況をうまく判断できないのだ。
そう思い込もうとした、まさにその瞬間だった。
どこか温度を感じさせない女性の声が、その女の子の言葉に応じた。
「
その声は、明らかに、隣の席にいる幼い女の子に向けられていた。女の子はぽかんと口を開けたまま硬直した。
周りは構わず談笑に花を咲かせている。
「もう、本当に困っちゃうわよねえ」
俺はAの方を向き直ることができなかった。
向いた先が、俺の知り合いでなかったら、目も当てられない。
談笑 脳幹 まこと @ReviveSoul
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