才能を考える
隅田 天美
終わりの始まり、始まりの終わり
このゴールデンウィーク明けから小説家を目指し、カクヨムに投稿する人が増える。
逆に仕事や部活動などでカクヨムを辞める人もいる。
私に彼ら・彼女らに対して「続けろ」とも「辞めるな」とも言える権限はない。
作家になるだけが人生ではないし、また戻る人もいるだろうし、他に楽しみを見つけた人もいるだろう。
だが、彼らはある共通点がある。
--才能
「才能のある奴はいいなぁ」と高評価の人やレビューの多い人に嫉妬する人は多いだろうし、それが作家への道なら、なおさら羨望の目で見る。
ここで私は考えた。
『そもそも、才能って何よ?』
私の好きな俳優(声優)があるインタビュー番組に出た時のことを思い出す。
インタビュアーが彼にこんなことを聞いた。
「声優になるのに才能って必要ですか?」
少し考えて、彼は真面目な顔で答えた。
「才能は必要です。ものを瞬時に自分の感性で考えることです。それは自分の文化になります」
その俳優も亡くなって大分経つ。
手持ちの辞書で『才能』を調べる。
【才能 才知と能力 ものごとをなしとげる力】
【才知 才気と知恵 心の働き】
分かるようでわからん。
ただ、件の俳優の言葉と合わせると私はこんな風に考えた。
「自分で心で感じたり考えたことをやりとげる力」
私は発達障害があり
かつ、いじめられっ子だった。
この話をすると「あー、だから、小説とか書けるんだ」と言われる。
それは違う。
それは『小説を書く』という趣味において、自分を俯瞰する目線が否応なく身に付く。
それこそ、自分の中で消化できるようになったのは、ここ数年でそれまでは自分の中で様々な自分があれやこれや言っていた。
確かに最初から上手い人と言うのも悔しいがいる。
俗に天才と言われる人たちだ。
でも、彼らはいきなり天才なのではなく、地味な訓練をし続けた上に『楽しみ』を乗せる。
その『楽しみ』が発見であり、戦力になる。
これを単に「天才だから」の一言でひがむのは違うと思う。
本題に戻る。
つまり、才能のは、誰しも持っている。
それをどう育てるかは、その人本人で決めることであり、正解も不正解もない。
才能がなくても、『努力しない才能』ぐらいなら追い越せるかもしれない。
そもそも、三十年以上書いていて、こんな楽しい娯楽はない。
『文芸』、つまり文章にして相手に伝えるということはとても楽しい。
金などでは買えない快感や思考ができる。
私の好きな作家や俳優が言っていた言葉がある。
「その道を楽しみなさい」
新人諸君。
ようこそ、この素晴らしき険しき娯楽の道へ!
去る人々へ。
お疲れさまでした。新しい『その道』を楽しんでくださいね。
才能を考える 隅田 天美 @sumida-amami
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