その日。
その時。
私は、映画雑誌のスクリーンを読みながら『あー、北朝鮮が群馬に核ミサイルを撃ってきたのかなぁ?』とぼんやり思った。
郊外の大型商業モールで私は併設されている映画館で『Michael』を観るため、書店で競馬の本とスクリーンを買って喫茶店で紅茶を飲んでいた。
すると、館内の陽気な音楽がいきなり「君が代」になり、地鳴りのような歓声が起こった。
国歌が響いたときは世紀末を思ったが、そのあとの歓声や長い風船(なんていうのやら)をバンバン叩く音で「あー、ワールドカップの日本戦か」と分かった。
確かに1階フロアーには巨大モニターがあるので、そこから生中継しているのだろう。
が、生憎、小学生時代「ぬりかべ」とあだ名されていた(今のコンプライアンス的にヤバいぞ)私からすれば、目の前のスクリーンで「はて、来月はケロロ軍曹を観るにしても8月は何を観よう?」と選んでいた。
会計を済ませ、映画館に行き、着席。
上映5分前ぐらいから急に人がやってきて指定席に座る。
上映中も、数人、席を立つ。
エンドロールが終わり、館内が明るくなる。
LLサイズのメロンソーダの残りを飲んで思った。
『マイケルの必要性って何だろう?』
スマートフォンの電源を入れいると速報で日本がチュニジアに勝利したことが報じられていた。
さて、ここからは「映画マイケル」について。
生前から『キング・オブ・ポップス』『希代のエンターティナー』などの名を欲しいままにしていたマイケル・ジャクソン。
今なお多くの伝説、逸話、エピソードがあり、現在でも多くの歌手、アーティストに影響を与えている。
その陰で、同じほどのスキャンダルや陰謀論(奇行など)もあった。
その彼が伝説のライブをするまでの半生が本作なのだが、最後、鮮やかな方法で呪縛を自ら破るシーンは爽快感がある。
ただ、それが『マイケル・ジャクソン』である必要があったのだろうか?
一人の天才が周囲の確執や孤立から『音楽』で自己を解放し、世界を変えようとする。
内容自体は、この手の伝記映画では結構鉄板のように思う。
決して、俳優や曲、演出が悪いのではない。
『マイケル』と言う存在は、あくまで(私の中での話よ。マイケル初心者の私の意見)「エンターティナー」であり、そりゃ、裏話とか知りたいと言えばそうだが、やや、見せすぎな気がするし、逆に、そこまでやるのなら、あのラストは要らない。
一気に3時間(トイレも済ます)にしてくれたほうがいい。
まして、このあとのスキャンダルや惨劇を生で知っているからこそ(そんな年齢になったのね、自分)下手に扱えない。
マイケル・ジャクソンは「エンターティナー」としては最高だが、人としては未だ賛否の分かれる人である。
だから、下手に扱えない。
なんだろうなぁ・・・
鰻丼があって、ご飯もたれも美味しいのに、鰻が微妙な感じだ。
または、家ステーキ。
肉は海外産の硬い肉だが、宮のたれ(はい、北関東人か分からない用語。北関東でチェーン展開している「ステーキ宮」のオリジナルステーキソース。スーパーで売っている)で美味しく食べるみたいな・・・