第2話

 学生らしいスニーカーに、白い靴下はどうにも私に合わなかった。白い靴下の踵にはいつでも赤い血が滲んでいた。私は真っ直ぐ歩けなかったので、そのせいかもしれない。もしくは未だ止まらない成長に、着いてこれなかったのかもしれない。

 それを脱ぐと、足裏に当たる。コンクリの灼熱でも、廊下の冷気でもない、砂浜が私の足に当たるのだ。私は今、海にいる。

 私の足元に広がる砂はずっとずっと向こうまで伸びており、波はそれらを巻き込み奇妙な音を立てている。


 海は嫉妬するぐらいに広い。


 私はカバンを投げ出した。カバンには、少しのお金と、マーガリンパンと、文庫本一冊と、しか入っていなかった。砂浜にぽす、と軽く落ちる。元よりなかったようなものを外しただけなのに、なぜ私の身体はこんなにも軽くなったのだろう! 私は駆け出していた。砂が指と指との間に入り、砂利が足裏を押す、波が私を呼ぶ。

 海水を含む浜に一歩踏み出すと、むに、むに、とまるで人の背中を歩いているような気持ちになった。そのまま私は夢中で浜を踏みつけ、前へと進んで行った。


 冷たい!


 引いていた波が、一気に押し寄せ、私の膝下までを濡らした。海水が、私の靴擦れに染み込む。少し痛い。

 それにしても何かが崩れる瞬間というのはどうしてここまで美しいんだろう! 深い青色をたたえていた海が、その身を捩り、痩せた後に残るぶよぶよとした皮のように、波を生み出し、最後は白く濁った泡となる。美しい崩壊だ。

 しかしこの崩壊の惜しいところは再生してしまうところだ。現に波は私の足を奥へ奥へと引きながら、深い海へ戻って行く。私はその最中に、一つの美しい緑色をした石を見つけた。私は波に腕を伸ばし、それを掴んだ。


 しばらくそうしていた。私は海に飲み込まれるか飲み込まれないかを決めかねていた。

 一歩進んでみると、波は太ももまでにかかる。スカートの先は濡れていた。海水はブリーチ材のように色を抜いてくれるのだろうか? そう思うと私はより深くに行ってみたいような気がする。爪の先から頭の先まで、飲み込まれてみたいような気がするのだ。


 私は結局、陸に戻った。水に濡れた足は砂を絡めとる。私の日焼けのない身体のなかでも特に青白い足裏が黒くなっていく。隙間の白が、際立つ。


 砂浜に腰を下ろした。日射は病になるほど強くなく、と言って油断はならないような弱さであった。肌がひりりと悲鳴を上げる。


 ふと手にしていた石を思い返した。蝶を捕まえた少年のような胸の喜びで、私は手を開いた。ただの石の色をした石がそこにあった。私は驚き、波にすり替えられてしまったのかと、その石をまじまじと観察する。しかし、形や触り心地は全て同じであった。色だけが、ただの石と変わらぬものとなってしまった。色だけがこの石の、ただの石とは違うところであったのに。

 崩れる波の中でだけ、輝いてたんだなと、何故だか私が悔しくなってきてしまった。負けるな、負けるな、幻想では勝ち、現実では土俵にも上がれない、そんなのはとても虚しいことではないか。そんな崩壊は美しさを持たないではないか。そして私は申し訳なくもあった、引き上げてしまったことを責めた。そうしてただ力強く握っていたら、私の手の内の汗でまた少し、石は色を変えた。

 それは本当は深い緑色の石だったのだ。

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失踪 荒木明 アラキアキラ @ienekononora0116

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