ベイビーベイビー I WANNA KILL MYSELF.
まっくろけの夜とまっしろけの朝
ベイビーベイビ― ガールフレンドがほしいよ
世界のどこかにきっと僕を待っているひとがいる
【銀杏BOYS 『トラッシュ』より】
長い綺麗なダークブラウンの髪を巻いた女子生徒が、少し懐かしいK-POPを口ずさみながら、ミニスカートから伸びる生足をスキップさせている。それを後ろから見ていた私は、一人ダウンジャケットに顔をうずめて泣いてしまった。彼女たちのように上手く生きたい、もちろん彼女たちにも苦労はあるのだろうけれど、私には分からない彼女たちの苦労があることは分かっているのだけれど、帰り道にその生足は確かに輝いているから、だぼっとしたジャージの私の足はスキップできないから。
というか苦労があるからが嫌かもしれない。生足を輝かせる苦労、私は頑張れない、その苦労に耐えられない、だから諦めたのにいざ見ると眩しくって仕方がない。涙が出る。弱すぎる全頭ブリーチ。
上手く生きている人は文章を書くな、という論争がある。
上手く生きている人は上手く生きればいい、ただそんな生き方は虚しい、というようなことを言っている人がいる。
私はそうは思わない。彼女らのスキップの生足の輝き、彼らの笑顔の歯の輝き、それらが虚しいわけがない。上手く生きている人は、上手く生きればいい、なんてそんなの何様だろう。誰に何を言わなくても彼女たちは上手く生きる。そしてその人生は満ちている。
でも上手く生きている人は文章を書かないでほしい。理由は一つ、それはズルすぎるから。
陽キャは怖いけど、陽キャを過剰に悪く言う雰囲気には乗れない。陽キャも陰キャも悪いことをする時は悪いことをすると思っている。
みんなが嫌いな人を嫌いになりたくない。
モラトリアムに囚われた童貞少年と一緒に叫びたい、でも私はどうしようもなく女だ。
ロングヘアの巻き方を知らない、でもソーシャルゲームはやっていない、アクリルスタンドも持っていない。
学校に行きたくない、家にもいたくない。
なぜと聞かれた時、答えるものがない、全てが嫌だし、全てがそうでもないような気がしてくる。
太宰先生、あなたは女の人と死んじゃったけどさ、私は一人で生きてるみたいだよ。
今年はたくさんの公募に出した。月1は出していたと思う。下半期だと、青いスピン作品募集、江古田文学賞、星新一賞、群像新人文学賞、やまなし文学賞。そしてつい先日、太宰治賞に作品を出してきた。
他のことは全部上手くいってない。学校も、勉強も、人間関係も、何も先は見えない。ただ目の前に、3000文字だとか、30000文字だとか、15000文字だとかは生まれ続ける。
私は上手く生きられないから、文章を書き続けるしかないから、書き続ける。これを書いている今も学校を休んでいる。
世界のどこかにきっと私を待っているひとがいる。