昭和人へ

 太平洋戦争中、都市部を襲った空襲の犠牲者の中には「江戸時代生まれ」の人が含まれる。
 高齢ではあるが、大政奉還も、安政の大獄も、知っている方がまだ生きていた。
「大草原の小さな家」の作者ローラ・インガルス・ワイルダー(1867-1957)が、丸太小屋を自力で建てる開拓の時代に生まれて、人工衛星が宇宙に打ち上がる時代に死んだというのは愕きをもってよく云われることであるが、それと同じで、当時の高齢者は、お殿さまがいた時代から戦闘機が飛び交う近代戦にまで人生がまたがっていた。

 戦火の中で遺体が見つからなかった者は行方不明者扱いとなり、寿命的にも、文久や慶応生まれの方はもう他界しているだろうとなって戦後はじめて死者に数えられたそうだ。
 ちなみに赤紙で戦争にとられて戦死した男性の中で抜きんでて死亡率が高いのは、戦時中に二十代を迎えた大正生まれの若者である。


「元号○○生まれ」は時代の節目として機能しており、新時代の到来を告げもすれば、「古い」と人々に思わせもする。
 その元号のなかでも、昭和は長い。験担ぎの意味合いでころころと元号が変わった江戸とはちがい、明治以降、天皇の崩御に伴い改元されるようになったことに加えて、昭和天皇が若いうちに即位されて長生きされたからだ。
 長い。
 といっても、六十有余年ではあるが、この間、戦争を挟んで日本はがらりと、まったく違う国といっていいほどの大変貌を遂げた。

 その昭和の後半に、令和に生きる六十六歳の男性がランダムにタイムリープする物語だ。
 つまり、彼が若かった頃に戻るのだ。

 野球やプロレスや相撲の結果に、日本国民が一つになって熱狂し、夜遅くまでモーレツ社員として土曜日も働いていた昭和。
 朝から夜まで働いていたというのに、どこかのんびりとしてゆとりがあった。
 折々の流行曲が背後に流れる仕掛けがあるので、知っている人なら肌実感として「あの頃」を想い出すことだろう。
 消費税もなく、真面目に働きさえすれば右肩あがりに生活水準が向上した、楽しい時代。
「よく遊んで寝る」
 そんな子ども時代の続きのような、「よく働いて寝る」シンプルな農民の生き方が、誰も疑問を抱くことなく昭和にはあったように思う。

 あらためて、昭和は長い。
 平成や令和に比べて激動の昭和は振れ幅が大きく、年表を辿るだけでも眩暈がする。一億総健忘症のように戦争のことを大急ぎで忘れ去りながらも、今度は技術と経済で世界に勝つのだとばかりに戦地帰りのお父さんががむしゃらに働いて、工場が唸りを上げていた。その礎から豊かさを謳歌する新しい世代が次々と生まれた。国民がやる気に満ちていた。
 その一方で、街中には古い時代の名残りがまだ豊富にあった。真夏であっても朝晩は涼しく、都会であっても秋には虫の声がした。そして身近なところに明治大正生まれのご老人がいた。
 江戸っ子とはこんな感じだったのかなぁと思わせるような、ラジオやテレビで均される以前の、今とはまったくイントネーションの違うちゃきちゃきとした切り口上で語っていた老人たち。
 背筋をぴんと伸ばして着物姿で生活していたそんな彼らも、消滅して久しい。

 元号が変わるたびに、時代が変わる。
 昭和の後には平成が、平成の後には令和が、提灯行列のように地平の向こうにまで続いている。
 日本人絶滅計画でもあるのかと疑いたくなるほど出生率はどすんどすんと半数以下に落ち込んでいるとはいえ、まだ闇の中にまたたいている。

 戻れない一本道。その先頭に大勢の昭和人が歩いている。
 江戸や明治や大正を押し出してきたように、昭和も後ろから押されつつ、昔を振り返り、振り返りしながら、後戻りできないこの道を前を向いて歩いている。

 あんなことがあった。こんなことがあった。
 あれが昭和だった。

 この作品のように、語れる我々がいる限り、まだ昭和は生きている。
 昭和生まれの人々よ、大きな旗を振るようにして、最後まで精一杯生き、足掻いてみせよう。
 こんな昭和人のことをきっと若い人たちは原人のように「古臭い」と軽蔑して眺めていることだろう。わたしたちが先人に対してそうだったように。