この作品は『巨螭(おおみずち)が月を呑む』という出来事をメインテーマにした日本古来の伝承や神話を思わせる幻想的で壮大なる連作物語集です。
特筆すべきは圧倒的な世界観の構築と古語や雅語を巧みに用いた武江氏にしか成し得ない豊潤かつ荘厳な文体。さらに独自に作り上げた『洋螭』『海月鬼』『焔府』といったワードが否が応でも読者を神秘的な世界に引き込みます。
またこの物語は多層的な視点による群像劇であり、『巨螭』『大洋渡り』『七宝島』『焔府』など6つの章で構成され、深海の螭、大船の船員、孤島の娘、都の皇子を護る官人といった、異なる階層・立場の登場人物たちの視点から描かれます。この多角的な視点により、『巨螭の月呑み』という巨大な厄災の規模と、それに対峙する人々の多様な反応を深く浮かび上がらせています。
そして象徴的なモチーフとして『紅い瞳』を持つ少年が場面と姿を変えて再び登場することでその時系列を明らかにし、なおかつ語り部として機能しています。
さらには『緋と黄金の輝き』をまとう皇子の自己犠牲と運命への対峙がそのテーマを提示しているように感じられます。
この作品は圧倒的な自然の力と、それに対する人間の愛、責務、信仰を描き切った重厚な群像劇です。
とにかくこの神話級の秀作を読まずして今年を終えることなかれ。
皆様、どうか心してお臨みくださいませ。
東洋のようでいて、そうではない何処か。
武江さんがその心の中に作り上げた、何処かの遠い國。
そこで起る怪奇を、鼻先を過ぎる香の匂いを捉えるように、或いはサティの音楽のように書く。
赤、青、黄、黒、白。
これらの色彩が、武江さんの國においては、
緋(紅)、蒼(碧)、黄金、闇、光
へと変わる。
拡げたるは風呂敷ではなく天地を覆い尽くすほどの錦の緞帳。作者が織るそこには、巨螭(おおみづち)、鬼目、火焔鳥が描き込まれ、アッと愕きの叫びを上げて逃げまどう人々の姿をしっかりとその一針に留めて沈めていく。
この世界は漆黒の闇ではない。そこには近代の電燈かと見紛うほどの白光が差している。
真夜中であっても互いの顔が陰影の中に浮かび上がるその光は、白絹をまとった夜空の天体のせいだ。
一文字たりともこの幻の國には存在せぬもの、また、作者の趣味に合わぬものは書かないという美学。
読んでいるといつしか我々も蒼褪めた影を曳いてこの國の中に吸い込まれて絡め取られていく。
ただただ圧巻。幻想文学がお好きな方へ。
深い深い、溟い溟い海の底。恐ろしく年古りた螭は、ふと思い立った。夜空で輝く月を呑んでやろう、と。
あまりにも果てしない、到底叶いそうにない試みですが、この螭は只者ではありません。身を起こせば大海嘯を起こすほどに巨きな、口吻を峰かと見紛ってしまう巨螭なのです。だから、あるいは……。
一たび磨き抜かれた玉のような文体で綴られた物語を知ってしまうと、螭の試みの結果を確かめずにはいられなくなることでしょう。そうして、このお話で最も畏怖すべき存在は何だったのかを悟るでしょう。
ひたひたと全てを包み込む海のように静謐で、月の光のごとく清かな物語に、あなたも酔いしれてください。
何とも壮大で不穏な、美しい物語だ。
広く深く黒々とした海水を湛える大洋の
遥かに深い、闇の深淵にとぐろを据える
巨螭(おおみづち)が、或る時ふと天上の
月を呑もうと考える。
その大きさたるや、想像しただけで気が
触れるほど。長く大きな身体を畝らせては
巨大な海嘯を齎して行く。
破格のスケールで描かれる巨螭の威容と
その途方もなく大きな自然のもとで小さく尊い命を紡ぐ人々の暮らし振りが対照的に
描かれる。
商船の上で不穏な風と波に巨螭を予感する
『鬼目』と呼ばれる紅い瞳の青年。
濱に打ち寄せる波に洗われる瑠璃に玻璃、
宝珠の煌めきを探して、吹き荒ぶ濱風に
翻弄される荒屋に棲まう娘。
焔の府の皇子は猩猩と火焔鳥の衣を着て
夜の海端で巨螭が発す海嘯を迎え撃つ…。
巨螭の身じろぎで起こる大海嘯は
南の島々を蹂躙する。
そして巨螭は
いよいよ大きな望月を
呑み込まんと、巨大な長い長い身体を
深い海の底から畝らせて、月へと向かう。
何とも不思議な心地よさ。凛とした
月の音が大海原に谺する。一方で
深く昏い海の底には一体どんなものが棲まうのか。
震える様な美しい物語。