第6話
「そういえば母から聞いたのですが、祝宴が開かれるそうですね」
ソファに深く腰掛けたヴェルニアが突然話題を投げかけてくるものだから、ナギカは唇を引き結んだままぎこちなくうなずいた。ナギカの両手はきちんと揃えた膝の上に置かれており、両手首は離れてしまわないよう、いつぞや見た赤い光で拘束されている。
今日の訓練では、ひと月前と同じ拘束を以前よりも素早く打ち消せるか試していた。風で吹き消すのではまた突風が起きかねないと判断し、縺れた糸を解くように拘束を緩めているところである。
――話しかけてもらえるのは嬉しいけれど、なにも今でなくたっていいじゃない!
ヴェルニアに返事をしたくても、口を開けば集中力が途切れてしまう。
もどかしさに耐えながら光を少しずつ散らし、手首がようやく自由を取り戻した頃には、ナギカの額はしっとりと汗ばんでいた。緊張から解放されて力が抜け、みっともないのを承知でぐったりとソファに倒れこんでしまう。
「疲れた……どれくらい時間かかってたかしら」
「五分四十五秒でしたので、昨日に比べて十秒早くなりましたね」
たった十秒、されど十秒である。ナギカにとっては大きな進歩だ。
部屋のすみに控えていたビアナから紅茶のカップを受け取る。白ブドウの香りに鼻をくすぐられて心が落ち着く。水分補給を済ませたところで、ナギカはやっとヴェルニアが振った話題に答えられた。
「私の誕生日に合わせて、国内外の貴族や王族を招いて催すんですって。簡単に言えば私の成人祝い、みたいな」
ナギカの誕生日は一月二十三日、つまり約四か月後に控えている。誕生日自体は毎年、王宮で両親やヴェルニアたちに祝ってもらっていたが、今回は記念すべき成人を迎える年とあって、普段より大々的に行われるという。
宴の開催自体はずいぶん前――十七歳の誕生日祝いを終えた直後に、両親から「来年は大勢のお客様をお招きする」と聞いていた。ただ、具体的にどんな宴になるのかはいまいち把握しておらず、大勢の客人を招くと知ったのはつい昨日のことである。
「てっきりいつもみたいに父上と母上、お兄さまたちにお祝いしてもらうだけだと思ってたの。まさかそんな大きな祝宴になるなんて思ってなくて」
「なにを仰います」
ため息をついて肩を落としたナギカに、ヴェルニアは呆れたように続ける。
「殿下は陛下夫妻にとって唯一のご息女です。その成人祝いなのですから、例年通りのただの誕生祝いとは全く別でしょう」
「それはまあ、そうなんでしょうけど」
王宮で催される祝宴としてここまで大きな規模のものは実に数年ぶりだという。説明してくれた母の楽しそうな声音とは反対に、ナギカの表情は曇っていた。
これまでのように親族のみが集まるささやかな祝いの場と異なり、ナギカは主役として客人たちを迎え入れ、両親と並んで謁見の場に座る必要がある。ここ数年、表向きは体調不良を理由に姿を現していなかった王女が久方ぶりに出席するとなれば、少しでも姿を見たいと期待する客が多く訪れるに違いない。
あわよくばこれの機に顔と名前を売って――と企む者もいるはずだ。
「何人お招きするのか具体的な数はまだ聞いていないけれど、その全員と挨拶をするなんて絶対に時間がかかるじゃない。考えるだけで疲れるというか」
「ですが今後は公務も増えるでしょうし、そのために必要な第一歩なのでは? むしろこれまで大勢の方々の前に出ずに済んでいたことの方が特殊かと」
ヴェルニアの正論にぐうの音も出ない。ナギカは紅茶で喉を潤してから、「でもね」と背筋を正して唇に笑みを乗せた。
「楽しみなこともあるにはあるのよ。晩餐会での料理とか、そのあとの舞踏会とか!」
目を輝かせるナギカに、ヴェルニアの眉が一瞬だけ意外そうに跳ねる。
「俺の記憶が確かであれば、殿下は舞踏会が嫌いなのではありませんでしたか」
「嫌いというか、空気感が苦手ではあるわ。ほんのちょっとだけね」
ナギカの舞踏会経験はけっして多くない。学校で卒業生を見送る式典の中で催されたものであったり、過去に王宮で開かれたものであったり、その場にいたことはあるのだが、実際に踊ったのは片手で数えられる程度だ。
きらびやかな空間と、そこに集う着飾った人々。目当ての相手の手を取って、優雅で洗練された音楽に身をゆだねる光景は美しかった。一方で、辟易するような思惑が水面下で動いていたのを耳にしたこともある。それにうんざりしたのは事実だ。
「でも物語の中みたいに綺麗ごとばっかりじゃないのも分かるもの。割り切ることも大事だって母上に言われたわ。大人の世界はそういうものだって」
だから吹っ切れることにしたのだ。あちこちでなんらかの思惑が動いていたとしても、そういうものだと理解して場の雰囲気を楽しむことも大事だと。
それに、とナギカは口元をわずかに隠すように顔の前で両手を合わせた。頬をほんのり赤らめ、浮かれている最大の要因について白状する。
「大好きなお兄さまと一緒に踊れたらって思ってるの」
招待客との交流で疲れ切っていたとしても、ヴェルニアと踊れるのなら溜まった疲労もすべて吹き飛ぶだろう。ヴェルニアがどんな衣装をまとい、どんな表情をナギカに向けてくれるのか。
実際にヴェルニアが踊っている場面を見たことがないぶん、想像は無限に広がって胸が弾む。
ちらりとヴェルニアを窺えば、どこか悲しそうな気配が瞳に浮かんでいた。
「殿下のお誘いは大変光栄ですが、無理ですね」
「えっ、どうして」
「恐らく俺は招待されませんので」
愕然と固まるナギカに、ヴェルニアは淡々と説明してくれた。
「祝宴には貴族や各国の王族が招かれるのでしょう? 魔術師は貴族ではありませんし、いくら殿下――もとい王族と血縁関係にあるとしても、魔術師である以上、これまでは身内のみの祝いの場であったから許されていただけで、本来は招待される立場ではないんです。仮に出席したとしても、貴族が魔術師に抱く不信感は根強い。せっかくの祝いの場に水を差してしまうでしょう」
「そんな……」
むしろ出席してもらった方が「王族が参列を許したのなら脅威はないはず」と魔術師を見る目が変わるのでは、とも思うのだが、ナギカの考えは甘いのだろうか。
そもそもエストレージャ王国の身分制度において、魔術師は商人や農民と同じ底辺に位置付けられている。にも拘わらず王族と血縁関係を結んでいるのだから、ゼクスト家は悪ではないと証明されているようなものなのに。
思い描いていた想像がむなしく散っていく。諦めきれずに、ナギカは「だったら」と前かがみになってヴェルニアに上目遣いを送った。
「しばらくダンスを踊っていなかったから、たくさん練習しなきゃいけないの。お兄さまにはその相手を務めてほしいわ。本番で踊るのは無理でも、練習ならいいでしょう?」
「申し訳ありません。俺が陛下から命じられているのは神力の訓練であり、ダンスはその範囲外です。正直に申しますと、俺自身ダンスを踊ったことがほとんどありませんので、俺が相手では殿下にご迷惑をおかけしてしまいます」
ほかの適任を探せと言外に告げられ、ナギカの気分がますます落ち込む。
それに拍車をかけたのが、ヴェルニアが続けて告げてきた提案である。
「少し考えていたのですが、良い機会です。
えっ、と声にならない声がこぼれた。
「神力を操る精度は日に日に高まっておりますし、ここひと月は暴走の兆候もない。近ごろは王妃さまに教わって弓矢の稽古もしておられるそうですね。さらにダンスの練習やそのほか祝宴に向けての準備も加えるとなれば、殿下の日程は過密を極めるでしょう」
「……だから訓練を減らすの?」
しょんぼりと訊ねたナギカに、ヴェルニアがひとつうなずく。
「疲労感が残る状態で神力を扱えば、かえって精度が落ちることもあります。俺も少々やらねばならないことがありますので、お互いに十分な休息も確保するために、一日おきに行っているところを、二、三日おきに変更しましょう」
よろしいですね、と確認されて、ナギカは渋々了承した。
ヴェルニアが気遣ってくれているのは分かる。けれど訓練の頻度が減るということは、ヴェルニアと顔を合わせる機会も減ることを意味している。寂しさと物足りなさに俯けば、透き通った黄金色の紅茶に、あからさまにいじけた自分の顔が映りこんでいた。
小休憩を挟んだのちに訓練が再開し、一時間半ほど指導を受けてからお開きになった。互いの今後の予定をすり合わせた結果、次の訓練は四日後と決まった。
それでは、と名残惜しむ様子もなく、ヴェルニアは普段と変わらない足取りで部屋から出て行ってしまう。その背中を見送ってから、ナギカは天井を見上げてゆらゆらと首を前後に揺らした。
「もっとお兄さまとお話ししたかったのに。最近のお兄さま、訓練が終わったらすぐ出て行っちゃうんだから」
「ご多忙のナギカさまを気遣っておられるのではありません?」
ビアナがソファの後ろから答えてくる。訓練中はなるべく息を潜め、ナギカの集中力を散らすまいと気を張っていたからか、振り向きながら見上げた彼女の顔には「ようやく口を開ける」と言いたげな安堵が広がっていた。
「ヴェルニアさまなりに、ナギカさまが自由に過ごされる時間を確保しようとなさっているのではないかしら」
「かも知れないけど、私はお兄さまとお喋りする時間の方が欲しいわ。……あ、でも」
ものは考えようではないか。悲嘆一色だったナギカの瞳が大きく見開かれる。
「会えない時間が長いほど、私がどれだけ成長したか分かりやすくなるんじゃないかしら」
「と言いますと……」
「ほら、例えば身長とか。毎日眺めてるといまいち変化が分かりにくいけど、適当に期間を空けてから見ると変化が分かりやすいでしょう? それと同じだって考えればいいのよ!」
自主的な訓練を重ねて、久しぶりにヴェルニアに会った際にその成果を発揮する。自分の見ていない間にナギカの技術が向上したと察すれば、ヴェルニアはきっと褒めてくれるだろう。
よし、と両手にこぶしを作り、ナギカは勢いをつけて立ち上がった。
「のんびりしていられないわ。明日から自主特訓の時間を増やさないと」
「その意気ですわ、ナギカさま」
すっかりやる気になった主人に、ビアナは嬉しそうにぱちぱちと小さな拍手を贈ってくれた。
神力の訓練と、弓矢の稽古と、さらにダンスの練習。一日の限られた時間の中でどれを最優先にするか計画を立てなければ。時間配分を均等にするのが妥当だろうが、どれか一つに集中する日があっても悪くないだろう。
「ダンスの練習相手を誰にお願いするか、も大事だわ。母上に相談したら教師を見繕ってくれるかしら。一番身近な人だと……」
ナギカとビアナの視線が、ナギカの後方で控えていたエクトルに向けられる。
彼は三男坊とはいえ伯爵家で育っている。騎士として王宮に仕える以前に、ダンスなどの教養を受けていたりしないか。
二人の視線でなにかしら察したのか、エクトルは引き締まった表情のままゆるく首を横に振った。
「申し訳ありません。自分はダンスが不得手でして。ナギカさまの練習相手は務まるとは思えません」
となると、やはり母に相談するほか無さそうだ。
気がかりなことはもう一つある。
「大勢の人が集まる場って学校ぶりだわ。名前しか知らない……名前すらも知らなかった人とかたくさん来るんだと思うと、頭が混乱しそう。身内以外との会話なんてもう何年もした覚えがないし」
近ごろの貴族たちがどんな話題に花を咲かせているのか、どんな品が流行しているのか、長らく王宮にこもりっぱなしだったナギカにはなにも分からない。話しかけられたとして、会話が長続きする自信は皆無である。
ふむ、とビアナが真面目な顔で黙り込み、かと思えば淡い微笑みをこちらに向けてきた。
「無礼を承知で申し上げますが、今のナギカさまにはわたくしたち以外の他人に慣れ、世間の流行に触れる必要があるかと存じますの」
そんな気はしてる、とナギカは無言でうなずいた。
「そこで提案なのですけれど、お出かけいたしませんか?」
「出かける? どこに?」
「他人が多くて、世間の流行に手っ取り早く触れられる場所と言ったら一つしかございません――
ビアナが挙げたのは、王宮の東に位置する、王都一賑やかと評判の高い通りの名前だった。
王女は鎧を射抜けるか―彼方に集う獣たち― 小野寺かける @kake_hika
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。王女は鎧を射抜けるか―彼方に集う獣たち―の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます