そうだ、散歩へ行こう
鋏池穏美
ジリリリリリリ──
ベッドの上、けたたましく鳴る目覚まし時計を止め、霞む目を擦りながら起き上がる。寝室から欠伸をしながら廊下へ出ると、ご飯の炊ける匂いが鼻腔をくすぐった。起きる時間に炊き上がるようにタイマーをセットするのは、やはり正解だな──と思いながらリビングへ。
築五十年のマンションの床がみしりと軋み、我が家の歴史を感じてしまう。百二十平米と、都内にしては広い方ではあると思うが、いかんせん古い。すでに両親は他界し、私は一人暮らしだ。そうとなれば百二十平米もいらないと思うし、出来れば新しいマンションに引っ越したいところ。
リビングの扉を開けると、炊き上がった白米の香りがさらに強まった。扉を閉め、スリッパの音を響かせながらキッチンへと向かう。薄曇りだった空はすでに晴れ間を見せており、窓から差し込む光が床にやわらかな斑を描いている。冷蔵庫から卵とベーコン、ウィンナーを取り出し、スクランブルエッグ用にボウルへ卵を割り入れる。ベーコンは厚めに切って残りは冷蔵庫へ。フライパンに油を敷いて火を点け、ジュウと音を立てて目玉焼きから焼きはじめる。ウィンナーも横に並べ、転がしながらじっくりと火を通す。
そのまま戸棚から取り出した切り干し大根を水で戻し、出汁をとった小鍋で煮始める。味噌を加えると、じんわりと立ちのぼる芳醇な香り。切り干し大根が出汁と味噌をしっかりと吸って、しっとりとふくらんでゆく様は朝の静けさにふさわしい。
作業の合間、リモコンを手にしてテレビを点ける。画面の向こう、緊迫した面持ちの女性アナウンサーがニュースを伝えていた。
「またしても猟奇殺人事件です。今回で五人目。被害者は全員、腹部を裂かれ、その内部には──まるで鉢植えのように、様々な花が植えられていたとのことです」
フライ返しを止めた手が、わずかに震える。なんて可哀想なことをするのだろうか。そんな残酷なことが実際に行われているという事実に、身体の奥が冷たくなってゆくのを感じる。この世界には、人の形をした悪魔がいるのだ。そう思うと、得も知れぬ不安が背筋を撫でた。
焼き上がった目玉焼きに胡椒を振り、ウィンナーにはケチャップを細くかける。ベーコンを混ぜたスクランブルエッグはふわりと仕上がり、味噌汁には一味唐辛子を少しだけ。辛いものが好きな私は、業務用の一味唐辛子を常備している。これで朝食の準備はほぼ完了した。
そこでふと、そういえば──と思い出し、洗濯機を確認しに洗面所へ。昨夜寝る前にタイマーをセットし、ちょうど終わった瞬間だった。洗濯機を開けると、柔軟剤の甘い香りと共に湿り気を含んだ洗濯物がふんわりと現れる。
今日はいい天気だ。洗濯籠を抱えたままベランダに出ると、春の陽気が頬にやさしく触れた。風もあるが、それほど強くはない。洗濯物を一つひとつ丁寧に干してゆく。陽に透けるシャツの影を眺めながら、朝ごはんの後で散歩にでも行こうかと考える。けれどまだ猟奇殺人犯は捕まっていない。理解できない者への恐怖がじわじわと込み上げてくる。
物干し竿に最後のバスタオルをかけ終え、下着類は室内へ。そこでようやくひと息つき、キッチンに置き去りにしていた料理をテーブルの上に並べる。テレビでは行方不明者の報道が流れていた。
「いただきます」
まずは味噌汁を一口。舌に広がる深いコクは、出汁と味噌がよく馴染んでいる証だ。やはり味噌は脳味噌に限る。出汁に使ったのは人骨。骨髄からはいい出汁が出るのでお気に入り。切り干し大根にはその味がよく染み込み、味わうように咀嚼する。
目玉焼きは少し固めに仕上げた。半生で白目部分がぷちゅんと潰れる感触も好きだが、私はやっぱりよく焼き派。粗挽きにした人肉を腸に詰めたウィンナーもしっかりと焼き上がっているし、ケチャップとの相性が抜群で思わず「んーふぅー」と声が出る。ベーコンは完成まで時間こそかかったが、自分で処理した甲斐があった。筋や血管を取り除き、塩漬けにしてから燻製にしたそれは風味が深い。
テレビのチャンネルを変えると、またしても猟奇殺人のニュース。
「可哀想なことするなぁ」
思わず呟いてしまう。殺して終わりではあまりに無駄が多い。殺すなら、せめて食べなければ。食べることで血肉とし、生きる糧にしてこそ。そこでようやくその死にも意味が生まれる。殺して放置するような人間こそ残酷なのだと私は思うし、理解できない者への恐怖がまた込み上げてきてしまう。
「それにしてもやっぱり今日はいい天気だなぁ」
朝の陽射しがテーブルの端を照らし、食後の散歩に思いを馳せる。
「ごちそうさまでした」
そうだ、散歩へ行こう 鋏池穏美 @tukaike
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます