第4話 休日出勤

「そろそろ、お昼にしましょうか」


 琴音先輩の優しい声が、外気を迎え入れた。

休日の昼、部活動に来ている生徒もお腹をすかせて黙々と食事をとっている。


生徒会室には3人の男女が、こうでもない、ああでもないと煮詰められていた。


「じゃあ、食べながら描きます!」


 スケッチブックに夢中な開斗を、お嬢様は気に食わない様子。


「お行儀が悪いわ」

「でも、描かないと終わんないし、お腹も減ったし」


「お行儀が、わるい」


 お嬢様の目は厳しく、冷たい。

隣で食事を始めようとする琴音の所作も、「美しい」以外の言葉は当てはまらないだろう。


「早く食べちゃえばいいのよ」

「はい……」


 筆を置いて、目の前の食事に向き合うとお嬢様の鋭い目からは逃れた。

静かな咀嚼音と外からの音のみが3人の耳に入ってくる。

 落ち着いて食事をとるっていいもんだな。と思う反面、開斗の頭の中では内装のデザインがいくつも浮かんでいた。早く紙に描き移さないと、どんどん新しいアイデアに埋もれてしまうかもしれない、という気持ちが箸を持つ手の速度を上げた。


「ごちそうさまでした!ちょっと俺、屋上に行ってきます!」

「気を付けてねぇ」


 食事を終えてすぐに駆け出す開斗を見て、生き急ぐとはこういうことかと、あかりは思った。

 ランチボックスが小さいレディたちも、食事を終えた。


「熱いから気をつけてね」

「いただきます」


 琴音先輩は慣れた手つきで紅茶をカップに注ぎ、あかりの前に差し出した。

よく冷ましてから一口含んで、眉間に皺を作った後輩をこっそり見て楽しむ先輩は誰が見ても微笑ましいだろう。

生徒会室には今日も、紅茶の香りが漂う。


「彼、気合い入ってるね」

「得意なことには、とことん追求する人なんだと思います」

「ふふ、そうみたいね」


 向かいの旧校舎の屋上に彼の姿が見えた。

紅茶が冷めることなんか気にせずに、見てしまう。

屋根のある部分の影を凝視したり、屋上と屋上を繋ぐ渡り廊下から景色を見たり、寝転んで空を見てみたり。


「冷めないうちに飲んでしまってね」

「は、はい」


 急いで飲み干した紅茶は、苦味も感じなかった。


「あ、そうそう。8月10日から17日の1週間と、学園長が決めたそうよ。次の会議でみんなに伝えましょう。

提供商品の3品は企業様と相談してもらって、試作等全て済ませて生徒会で最終決定を出してほしいみたいよ」

「わかりました、それまでに会長は戻りますか?」

「んー、わからないなぁ。また聞いておくね」

「お願いいたします」


 事務的な作業を終えて、開斗の帰りを待っている2人。

時計に針はぐんぐん進んでいる。2人は夏休みの課題を進めて待っている。


「早瀬君、どうしたのかしら?」

「まだ屋上なんですかね」

「呼んできて。私16時には帰らないといけないから」

「はい」


 新校舎の屋上から向かいの屋上を見ると、開斗が仰向けになっているのが見えた。


「早瀬さん、生徒会室へ戻ってください」


 大きな声で呼びながら近づくも、起き上がらない。

あかりの足は駆け出した。


「早瀬さん!大丈夫ですか!?早瀬さん!」

「んぁ……?」


 まだ7月上旬とはいえ、気温が高い中ずっと外にいたことを考えて彼を揺さぶってみたけれど、ただ寝ていただけだった。

あきれた様子で、戻りますよと声をかけられて起き上がるも寝ぼけてぼやけた視界で、後を追った。


「あら、寝不足かしら」

「昨日夜中まで考えてたら、寝るの遅くなっちゃって」

「こちらどうぞ」


 開斗の目の前に差し出されたティーカップは先程2人が飲んでいたものと同じもの。


「ダージリン?」

「セカンドフラッシュ、お口に合わなかったかしら……」

「いえ!とっても美味しいです!」


 私だって、飲めたんだから……。と内心焦るような眼差しで見られていることに、彼は気づかなかった。

紅茶に興味があるらしい彼は、先輩と会話を楽しんだ後、いいアイデアが浮かんだのか筆を走らせた。


 楽しそうね…。


 窓から差し込む光の中、真剣な顔でスケッチブックに向かう彼に、気づかれないことをいいことに横顔を見つめていた。

彼がまた、紅茶を一口。


 私、何してるんだろ……。


 自分のやりたいことが明確にある人は、真っ直ぐに前を見るもの。

その目標に向かって努力できることは、強い意志があるから。

そんな人は皆、眩しくて、少し遠い人。


「早瀬さんは、本当に絵が好きなのね」

「うん。思いついたこととか、見たものをそのまま形にできるって、面白いよ。誰も気に留めないようなところまで細かく描きたくなるんだ。そしたらみんな気づいてくれる。どんなに小さなことでもね」


 その言葉に、なぜだか胸がチクリとした。


 あかりのことも、彼からすれば“気に留めないような”ものなんだろうか。


「ここはもう少し間隔を空けたほうがいいと思います」

「そっか」


「提供時間を考えると、ここにも人を配置しておいたほうがいいと思います」

「うーん」


 紅茶の香りが漂う生徒会室では、これまで以上のものにしたいという二人の思いが交差していた。

スケッチブックを通して、2人の思いが具現化されていく。


「よし!また屋上行ってきます!」

「またですか?」


 思わす出た声に、開斗は一瞬キョトンとした表情を浮かべた。

でもすぐに、照れたように笑って答える。


「風に当たると考えが整頓されるし、実際に見てもっと鮮明にイメージしたいんです。すぐ戻りますよ」

「そう、ですか」


 あかりの声は小さくなっていた。彼には届いていないだろう。

ドアが閉まる音がして、生徒会室に静寂が戻る。


「あの子は、自由ね」

「そうですね」


 紅茶を啜る先輩の手元を見ながら、そっと呟いた。


「ふふ、羨ましいのね」

「……?」


 羨ましいのか、なんなのか、わからないけど彼から目が離せないのは本当。

自分でもよく、自分のことがわからない。でも──


 開斗の残した椅子が、少しだけ寂しそうに見えた。


 陽が傾いてきそうだというのに、彼はまだ戻らない。


「じゃあ、また明日ね」

「お疲れ様です」


 生徒会室に1人。資料に目を通すもm、集中できない。

ぐるぐると回る思考の中、ふと立ち上がった。


 1日のうちに2度も屋上に来てしまった。

また寝転んでいる、再び駆け出す足。また彼を呼びにいく。


「もう時間です」

「……んぁ?」


「もう、心配させないでください」


「夏の始まりとはいえ、ずっと外にいると危険ですからね」


「空が綺麗ですね、副委員長」


 もう夕方だというのに、真夏の始まりを告げるような、鮮やかな青だった。

あかりの目にも、綺麗に写っている。けれど彼にはもっと綺麗に見えているのだろうかと、横目で彼を見つめた。


「ここのスペースに調理スペースが欲しいです。テイクアウトも対応したくて」

「ダメです。人手が足りません」

「あー、そっか。どうしよう……」

「調理スペースは旧校舎の家庭科室をしようするしかありません。早瀬さんのクラスの女子生徒7名が入るとして、オーダーの中継役も必要になります。これ以上席数やオペレーションを増やすのはお勧めしません」

「……」


 理想と現実のギャップに悩んでいる彼を見て、これ以上は考えられないんだろうと感じる。あかりにも、これ以上のアイデアは出てこない。


「今日は、もうお開きにしましょう。夏休みに入る前に、クラスの皆さんとも話し合ってください。ひとりよがりでは実現できませんから」

「うん、ありがとうございます!」


 まだ悩みながら帰っていく彼の背中を見て、また心配してしまうのだった。


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高嶺 あかり の青春 I藍ス @LOVE_me

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