第2話 アヴェ・マリス・ステラ 下

 アドラステイアーにある、アシッド・ドラゴン本部。組織の幹部であるヴァルカンは、鰐革の椅子に腰かけていた。鰐というのは遠い昔に絶滅した生き物だ。金星の科学者はそれを遺伝子組み換え技術によって、革を剝ぐためだけの生命として復活させた。

 その姿はドラゴンに似ていたらしい。

「来い」

 ヴァルカンは自分の女を呼び寄せる。女は腰を捻りながら、ヴァルカンに近づいた。服を身につけぬ彼女の姿は、まるで古代の画家が描いたヴィーナスだ。白く滑らかな肌には細やかな、まるで白桃のような、産毛が覆っている。乳房は特筆するほど大きなわけではないが、形が良い。長い髪は、差別の対象である赤毛だ。

 エリュキーナはヴァルカンの膝に座った。エリュキーナはヴァルカンの顎を撫でた。ヴァルカンはその彼女の手を掴み、激しく口づけをした。いつもとは違う乱暴な流れに、エリュキーナは少し困惑する。口づけは貪るように激しく、長く続いた。彼女は酸欠を起こし、ヴァルカンの背に爪を立てた。そこには、ドラゴンの刺青が掘られている。彼女にも、同じ刺青が掘られている。

「近頃、同じ酒場によく通っているな」

 ヴァルカンはようやく唇を離すとそう言った。エリュキーナの、茶色にも金色にも見える、金星のような瞳が少し揺れた。

「お酒飲むの好きなの、知ってるでしょ」

「ああ、のが好きなんだよな。分かっている、だからここにも酒のボトルを置いているだろう」

 ヴァルカンは彼女の背中のドラゴンに、爪を指していく。刺青を入れた皮膚の箇所は脆い。

「私、外で飲むお酒が好きなの。それぐらいの自由、許されてもいいでしょう。金星から飛び出たわけじゃないんだから」

 エリュキーナいつもの太々しい笑みを浮かべて、そう言った。しかしその声はわずかに震えていた。

「ああ、そうだ。お前がどこに行こうとも、誰と会おうとも、この背の竜は消えない」

 ヴァルカンは後背位で、エリュキーナを抱いた。互いの顔は見えない。ただ、ヴァルカンは、白い肌に彫られたドラゴンを見ていた。


 ミルトとナツメはバイクに乗って、イシュタル山脈付近をパトロールしていた。

「なぁ、ナツメ。いい加減ちょっと機嫌直せよ。そんなかっ飛ばして、こんな寂れたとこでバイク止まったら、俺置いてくからな」

 ナツメはここ数日機嫌が悪かった。ナツメは不平を言いつつも真面目に仕事はこなす、優秀な人間だ。だが、機嫌の悪さを隠しているようで気づいて欲しいと思っているところが、ミルトからすると容易に分かる。ミルトは彼女のそういった幼稚さにいつも困らされていた。

「何、私あなたにも置いて行かれるわけ?」

「くだらない言葉狩りはよせよ」

「この星にはそれくらいの楽しみしかないじゃない」

 ミルトは彼女との通信の、こちら側のマイクを切り、ヘルメットの中で舌打ちをした。

「私、置いて行かれないわ。

キセスはね、どこに行っても、どんな女と一緒になっても、最後には私のところに帰ってくるの。幼馴染ってそういうものよ」

 ミルトは彼女への返答に詰まった。そして結局、マイクをオンにしないまま、有耶無耶にしてしまった。無言のまましばらく走っていると、西の空にスーパーローテーションの赤い雲の端が見えた。

「ナツメ、スーパーローテーションだ。バイクじゃ巻き込まれる。帰ろう」

「ええ、そうね。

しっかし、この星には映画館の一つもないんだから。あるのは、寂れた酒場くらい…ねぇミルト! あそこを見てっ」

 ナツメは、スーパーローテーションに飲み込まれんとする、寂れた旧式酒場を指さした。スーパーローテーションの砂嵐から、装甲車が出てきた。車はそのまま旧式酒場のポーチに乗り上げ破壊した。

 ミルトはヘルメットを操作し、数キロ先の装甲車に描かれた模様をはっきりと見た。

「ナツメっ、帰るぞ。アシッドドラゴンだ」

 ナツメの凛とした横顔が、ヘルメット越しに見えた。彼女はその澄んだ黒い瞳で、遠くを見つめていた。装甲車に描かれたアシッドドラゴンの紋章のその先、宇宙そらを捉えていた。ナツメはバイクをさらに加速させた。金星の地面の砂が舞い、後ろを走っていたミルトのヘルメットに当たる。ばちばちと、爆竹のような音が鳴った。

「おいっ、なんで行く!!」

 ミルトはマイクを確認する。確かにオンになっていた。

「アシッドドラゴンなんて捕まえてやるわ。それで、手柄を立てて、キセスと一緒に、こんな星出て行くの。木星に行くの」

 ダメだ。ミルトはマイクを切る余裕もなく、心の内で苦虫を噛む。

 ナツメは純粋すぎるのだ。アシッドドラゴンが、なぜこれ見よがしに装甲車にその紋章を描くのか、彼女にはその理由が分からない。数キロ先からでも、組織の犯行だと認識させるためだ。下っ端の局員はバイクでしかパトロールをしない。それは彼らを見つけた時、龍の巣に会いましたと言うためだ。

 ミルトはハンドルを握る。アナンケーに引き返し、ナツメの死亡報告書を作ろう。すぐに悲観するな、ミルトは自分を叱咤した。ナツメは女だ、それに美人だから、殺されずにアシッドドラゴンの幹部の愛人にでもされるかもしれない。

 背中に龍を彫られ、一生を、金星で終える。

「あの酒場、キセスの行きつけじゃねぇか。あいつに貸しだな」

 ミルトはそう言って、バイクの速度を上げた。


 装甲車は玄関を突き破り、正面全てを開放して停止した。装甲車は車体の上に丸い扉がついており、そこからぞろぞろと散弾銃を構えた構成員が八人出てきた。そして、最後に鰐革のロングブーツを履き、鰐革のロングコートを着た男が出てきた。ヴァルカンである。腰に巻かれたガンホルダー、そこには鉛玉ではなく、ガスを装填した銃がはめられている。引き金を引くと、ガスが噴出される。着火する様を見たものはいない。アシッドドラゴンは龍と人間の子どもで、火を吹けるのだという噂もある。爆発した煙の中から、彼らは出てくる。彼らの服は熱を遮断する特殊な素材で出来ている。彼らの体温は常に一定だ。彼らの血はもうそれ以上冷えることはない。

「湿っぽい酒場だな。綺麗な灰になりそうもない。

店主、客が来たんだ。この店で一番高い酒を、グラスに注いでもらおうか」

 カウンターの影にいたマスターはヴァルカンの声に立ち上がった。サスペンダーについた砂埃を払う。

「あいにく割り込み回線はないんだ」

「ドラゴンの鱗には刺さらないからちょうどいい」

 ヴァルカンは目を細めて、笑みとも睨みともつかない表情をした。マスターは無言で、カウンターの後ろの棚の奥からボトルを取り出した。先ほどの衝撃で、多くのボトルは割れて、床にぼとぼとと中身を垂らしている。たくさんの色の酒が零れても、赤いワインが一滴でも混じれば一瞬にしてそれは血になり、床に染みこんでいく。

「ヤシオリです」

 マスターはヴァルカンに升を差し出した。そしてその上にグラスを置く。ヴァルカンはその様子を注視する。マスターは早まる脈拍を指先に少しも表さず、グラスにヤシオリを注いでいる。こぽこぽと注がれる音だけがある二人を、八人の構成員が銃を構えて取り囲んでいた。

 ヤシオリがグラスから溢れ升に流れたその刹那、ヴァルカンは升を宙に投げた。

「酒は引火しやすいってのが本当か確かめてやる」

 宙で光るグラス、曲線を描くヤシオリ、降下していく升。

 ヴァルカンはガンホルダーから銃を取り出し、ガスを店内に撒いた。そして頸椎にあるプラグを浮き上がらせる。その様はまるで、ドラゴンの背びれが浮き上がっていくようだ。筋肉収縮によって、ヴァルカンの背に彫られた龍は生きているように動いた。

「ライトオフ」

 彼はそう言って、プラグの首後ろにつけられたピンを引き抜いた。彼の口が開く。マスターは正面から見た。彼の喉奥から、赤い熱が登ってくるのを。ぞろりと揃った歯が、奥歯から熱で溶けていく。

「アンロック!!」

 保安局員のジャケットがはためいた。散弾銃が鳴る。ヴァルカンは店主から顔を逸らし、構成員と戦闘中の保安局員に向かって火を吹いた。下に溜まっていたガス、辺りが火の海となる。ヤシオリを辿って、火の柱が生まれる。升は消し炭となり、グラスは溶けた。

「保安局員が何の真似だ」

「そりゃ保安局員の真似に決まってるでしょ!!」

 ナツメの体重は軽い。自然重力でさらに軽くなった体で弾を避けていく。ナツメはアクロバティックな動きをしながら、自分の体を正確にモニタリングし、違和感に気がつく。この眩暈や吐き気は、重力操作によるものではない。

「酒に酔ったのね…!!」

 この時代の人間は、そうとうな物好きでない限り、液体としてのアルコールに慣れていない。店内には大量のアルコールが溢れるままになっている。プラグから摂取するのとは違う、純粋な中毒症状が彼らを襲う。

「ナツメっ、耐えるんだ。こいつらの方がここに長くいる。俺らより先に、必ずこいつらに限界が来るはずだ」

 ミルトは頭の右側に鈍器で打ち付けられているような痛みを感じながら、ナツメに叫んだ。拳銃を取り出し、電撃弾を打つが、確かに対象がいたのに当たっていない。ミルトの読み通り、構成員の方もそれは同じで、散弾銃の正確性は刻一刻と失われていった。アシッドドラゴンと保安局員、両者千鳥足の戦闘が続く。

 ヴァルカンはマスターの首を絞めていた。

「ここに、赤毛の女が通っていただろう」

「客のことは話さないのが信条でね」

「通っていたのだな」

 ナツメは二人の構成員を眠らせ、隙を見てヴァルカンを撃った。ヴァルカンはロングコートを一振りした。弾がはじかれ、ナツメの頬を切った。

「女は酒を飲んでいただけか?」

「ここは酒場だからな」

「男と会っていたのだな」

 ミルトは構成員の一人に、頭を床に押し付けられていた。鼻先に、炎が揺れている。赤毛の女、ミルトは聞き覚えがあった。ダリアだ。キセスの死んだ恋人は、赤毛の女だった。

―「ダリアに会ったよ」

 頭痛が激しくなる。

「どいつもこいつも一人じゃ生きらんねぇのかよ」

 ミルトは自分の耳が削れて行くのを感じた。目の前に血が流れた。今自分の頭を抑えつけてるやつが、散弾銃を使わないのは、猟奇的な趣味があるのか、弾切れか、酒に酔ってるかだ。

 ナツメの叫び声が削れた耳を劈く。ミルトの死角で、ナツメはジャケットが燃え、腕に火傷を負った。動きが止まった彼女に散弾が降る。肩と太ももに弾が掠る。

 自分は、ナツメの叫び声を聞いても、この男の手をのけるほどの力が湧かない。ミルトの心は静かに波打つ。

 キセスならば。

「俺だよ、赤毛の女に会ってたのは」


 キセスが広くなった入り口に立っていた。彼の声に全員の動きが止まった。彼はポケットから煙草とライターを取り出し、火をつける。

「貴様、名前はなんだ?」

 ヴァルカンはマスターの首から手を離した。キセスはそれに気にも留めずに煙草に口を付ける。そして一口吸った瞬間咳き込み始めた。

「辛いなーこれ。まぁお互い苦手なものはあるよな。手、震えてるぜ。そうとう酔いまわってんだろ」

 キセスはヴァルカンにライターを投げた。ヴァルカンは片手でそれを掴むと、掌で刻まれたドラゴンを確かめる。

「それ、少しの間預かっといてくれねぇかな。必ず取りに行くから。名前はその時教えるよ」

 キセスはまだ火の着いた煙草を床に捨てて、靴裏で消した。

 散弾銃を構えようとした構成員たちを、ヴァルカンは制止した。

「ああ、もちろん預かろう。これは私のものだからな」

 ヴァルカンは鰐革のロングブーツで火の海を割って歩いた。キセスと脇を通る時、ヴァルカンは彼の腕を手の甲につけていた爪で割いた。そして装甲車に乗り込んだ。構成員たちは倒れた仲間を担ぎ、その後に続いた。装甲車はスーパーローテーションと共に、イシュタル山脈を去った。

「キセスっ」

 ナツメは足を引きずながらキセスに抱きついた。そして理解させられた。

 もうこの体は、私のものではない。

「ナツメ、とにかく今はここを出よう」

 キセスはただ口角を上げるだけの表情を浮かべた。そして彼女の肩を掴み、引きはがした。奥で倒れていたマスターに駆け寄り、腕を掴んで立ち上がらせる。

「マスター、大きなつけになっちまいました」

「払うつもりもないのに言うな」

 キセスは肩を竦めた。

「俺にも貸し1だからなキセス」

 ミルトはシャツを引き裂いて、耳を巻いて止血した。白い布が赤く染まっていく。

「参ったね」

 キセスは店長を背負って、ミルトはナツメを背負って、炎上する店を出た。今頃になって放水装置が作動して店内の火を消していく。外にはキセスの車があるだけで、他の保安局員は一人も来ていない。

「それにしても、酒ってのはひどい酔い方するな。

幻覚でも見そうだよ」

 車は近くの病院に向かって走る。運転席にはキセス、助手席にマスター、後部座席にミルトとナツメが座る。保安局員の車両にある救命具で、ミルトはナツメを処置しながら、ハンドルを握るキセスに言った。火によって肌に張り付いてしまったシャツを脱ぐのを手伝う。彼女はパトロールをする時、いつもさらしを巻いているのをミルトは知っていた。彼女の汗と血、溶けた繊維。じっとりとしたそれを、一巻きずつ剥がした。

「こっちから触れることができたら現実さ。今からそれを、確かめに行くんだ」

 ナツメが後部座席から身を乗り出した。

「ダメだよっ、キセス、あんた一人で行こうとしてんの。そんなのダメだよ。死んじゃうよ、死んだら、木星に行けない。一生をこんなクソみたいな星で終えていいの? 応援を呼べばいいじゃない。病院じゃなくて、保安局に向かってよ! ねぇ!!」

 キセスは振り向かなかった。バックミラー越しに、火傷の目立つナツメの上裸を見る。

「あんなに派手に店に突っ込んで、燃やして、銃声を鳴らしても、保安局は動かない。いくら通報があろうとも、お前たちのバイクの位置情報がそこで止まっていることを見ていても、保安局は動かない。アシッドドラゴンの仕業ならな」

 ナツメの目が見開かれた。その瞳は先ほどの炎をたしかに焼き付けていた。

「俺はもう気づいちまったんだ。金星はクソだが、どこも対して変わらないんだよ。木星の本局から一度でも、応援に来てくれたことがあったか? 

ごめんな。俺、ナツメを幸せな星に連れて行ってやりたかったよ。でも、太陽系にそんな星は一つもないし、太陽系の外に出られるような翼を俺は持ってないんだ」

 ナツメは瞳の炎を濡らすように涙を流した。ただ肩甲骨の浮いた、人間の小さな背中に、ミルトは自分のジャケットをかけた。

 病院につき、出てきた医者にミルトはマスターとナツメを運んでもらった。キセスは車から降りなかった。ハンドルから手を離さなかった。

「キセス、お前が命を懸けようとしてるそれはダリアじゃない。ドッペルゲンガーだ。今度はお前が死ぬんだ」

 二人が病院に入り、医者が君も入れと言うのを止めて、ミルトはキセスの横顔に言葉を放つ。ぐらぐらと、金星の赤い砂が彼の顔に反射していた。頭上では積乱雲が発達している。

「分かってる」

 ああ、そうだ。俺も分かっている。お前がそう答えることなんて分かっている。俺はお前らと違って馬鹿じゃないんだ。ミルトは唾を飲みこんだ。

「俺はお前に、この金星で冗談みたく長生きして欲しかったよ」

「それには雨が辛すぎたな」

 雲は酸性雨を降らせた。キセスは車の窓を閉めて、アクセルを踏んだ。

 二本のタイヤ痕が真っすぐアドラステイアーに伸びていくのを、ミルトは長い間見つめていた。


『ねぇ見てキセス。パイを焼いてみたけど丸焦げになっちゃったわ』

 いいよ、俺が食べるよダリア。

『私ほんと料理はダメね』

 料理は?

『はいはい、洗濯もね』

 昨日皿割ったのは?

『私』

 拗ねるなよ。冗談だよ。悪かったって。

『悲しい』

 はいはい、ハグね。おい、やめろ。くすぐるな。やめろって。

『体触ってるだけ』

 くすぐったいし、変な気分になってくるからやめてくれ。

『私、あなたの見た目好きよ』

 頭撫でるなよ。あと、なんだ? 見た目だけの男か俺は?

『私、こんな髪だし。あなたが羨ましいのよ』

 綺麗だよ。

 君は、とても綺麗だよ。

『こんな赤い星に住んでたら、赤色にうんざりしてこない?』

 うんざりするにはまだ君を愛し足りないよ。

『足りないの?』

 足りないよ。


 アシッド・ドラゴンの本部の前に車を止める。拳銃に実弾を装填した。弾は六発。そして手榴弾一つ。下っ端保安局員がちょろまかせる武器はそれだけだった。

 保安局員の証であるジャケットを脱いで畳み、助手席に置いた。その上に手帳を添える。プラグも引き抜くつもりはない。保安局員の俺は、この車に全て置いていく。

 俺はただ、俺が愛している女を取り返しに行くだけだ。

 キセスは助手席のサイドポケットにミニボトルを見つけた。

「マスターの置き土産か」

 被った煤を拭う。ラベルにはLovejoyと書かれていた。蓋を開けて、一気に飲み干す。頭の冴えた浮遊感、ランデブーを夢見るにはちょうどいい。

 キセスは酒を飲んだ口でピンを引き抜き、手榴弾を門に投げた。門に穴が空く。アラートが光る。赤が彼を染めた。キセスはすぐに煙の中に紛れた。見張りの足音が近づく、煙の中での戦闘はアシッド・ドラゴンのお家芸だ。彼らからすればこんなもの何の目隠しにもならない。それで構わない。キセスに向かう散弾。それで構わない。キセスはただ真っすぐ走った。分かるんだ。俺は彼女にもう一度会える。もう二度と会えない代わりに、もう一度だけ会えると分かる。

「三回も会えれば十分だ」

 あの男も待っている。あいつはわざと俺に見つけられるような場所にいるはずだ。肩を抉られた。脇腹を抉られた。壁に血が飛び散った。赤色だ。途中、ヴァルカンと同じガス噴出の武器と、頸椎にピンのある構成員と八合う。首を絞めた後、ガスをそこら中にまき散らし、ピンを引き抜いて転がした。背後で爆発し、爆風がシャツを揺らした。心臓、頭、太もも、頭、顔面、心臓。致命傷を狙う余裕はなかった。ドラゴンにも、赤い血が流れていた。

「満身創痍だな。野原でも駆けずり回って来たのか畜生風情」

 鰐革のロングブーツ、鰐革のロングコート。ヴァルカンは門からただ真っすぐに突き進んだ先の、応接間にいた。キセスが扉を破ると、鰐革の椅子から立ち上がった。エリュキーナは床に座っていた。

「俺の名前はキセスだ。畜生は畜生でもお利口な犬でね。取ってこいぐらいの芸ならできる」

「犬なら弾で遊んでやるよ」

 ヴァルカンはいつもの武器ではなく、ただの拳銃をキセスに向けた。

 ここに来るまでにできた傷からの出血が止まらなかった。酒で血圧が上がっているからだ。それでも動けているのも酒で心拍数が上昇しているからだ。

「火を吹くんじゃなくて、拳銃を選んだなら、名前くらい名乗れよ」

「ヴァルカンだ」

「そうか」

 キセスはヴァルカンに拳銃を向けた。引き金を先に引いたのはキセスだった。

「空砲…!!」

 ヴァルカンの弾をキセスは避けた。耳が切れた。六発の弾はここにくるまでに使い切っていた。動揺したヴァルカンに体当たる。態勢を崩したヴァルカンは拳銃を投げだした。ヴァルカンは手の甲につけられた鉄製のドラゴンの爪でキセスの顔面を抉った。流れた血がキセスの目に入る。キセスの視界が赤くなる。この爪こそキセスの目的だった。上から覆いかぶさったキセスは、自分に向かってくる爪を抑えて、ヴァルカンの首元に当てる。何度も押し返されては、肩や胸を抉られた。彼女が好きだと言ったアッシュブロンドの髪は今、赤色になっている。ヴァルカンの胸ポケットにライターが見えた。

「お前…!!」

 ヴァルカンが叫んだ。彼が叫んだ先には、震える体で拳銃を構えたエリュキーナがいた。

「お前、本当に私を撃つのか」

「あなたは黙ってヴァルカン!!」

 エリュキーナは引き金に指をかけて叫んだ。銃口を向けられたヴァルカンは口を閉じた。

「キセス。私があなたのことをワンコちゃんと呼び続けたのは、あなたが自分の名前を教えてくれなかったからよ」

 銃口が少し上を向いて、キセスを捉えた。

「私はあなたに二回も名前を名乗ったわ。もう十分なはずよ。あなたこそ、私の名前を呼んでくれないと、私困るの。

アシッド・ドラゴンから出た先の世界が良い世界でないと、困るのよ」

 キセスは彼女を見つめる。長い赤毛に、陶器のような白い肌、少し虚ろな瞳。

 白昼夢か、蜃気楼か、化けた狐か、ホログラムか。

 馬鹿で、悲劇で、金星にはよくある話。

 キセスの血濡れた唇は、愛おしい三文字に震えた。

 一発の銃声がアドラステイアーに鳴り響いた。



 アドラステイアーで起きた大規模火災。酸性雨でも消えない炎はアシッド・ドラゴンの本拠地の三割ほどを灰にした。死者を含め、アシッド・ドラゴンの構成員の半分近くが戦闘不能状態に陥った。

 火災現場の外にとめられていた保安局車両は焼けずに残り、中に放置されたジャケットと手帳などの手がかりにより、保安局員の一人が建物内にいたのではないかと分かる。

 一つの焼死体が、彼の身体的特徴に合致。スパークチェンバーによる検査が行われ、保安局員は応接間にて、何者かに頭部を撃たれて即死したのち焼かれたという結論に至る。何者か、というのはアシッド・ドラゴンの構成員である可能性が極めて高い。

 太陽系の安全を守る、保安局員が殺された重大事件として、本局はアシッド・ドラゴンへの強制捜査を、今月末に決行する予定である。

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Venus 荒木明 アラキアキラ @ienekononora0116

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