Venus
荒木明 アラキアキラ
第1話 アヴェ・マリス・ステラ 上
白昼夢か、蜃気楼か、化けた狐か、ホログラムか。
「ダリア」
仕事終わりの金曜日、イシュタル山脈付近にある寂れた旧式酒場のカウンター席に、そんな場所には似合わない女がいた。長い赤毛に、陶器のような白い肌、少し虚ろな瞳。
「私の名前は、エリュキーナよ。ワンコちゃん」
ワンコちゃん、そう呼ばれたキセスは、微笑んで彼女の隣に座った。
「はたまた悪酔いしたかな」
「なに言ってるの、まだ一滴も飲んでないでしょう」
彼女は白銀に輝くレザー地のドレスを着ていた。スカート丈は短く、同じ生地でできたロングブーツを履いている。背がそもそも高いのに、高いヒールがついていて、立ち上がれば自分と同じぐらいの背だろうなと、キセスは思う。
男を立てず、自分のやりたいことをする。
「マスター、ラヴジョイをロックで」
マスターは無言で頷き、酒の準備を始める。ラヴジョイはこの店に置いてある酒で一番度数が高い。
「あなた、お酒強いのね」
「いいや全然、でも今夜は酔わないとやってられない」
グラスに入ったラヴジョイがカウンターに置かれる。グラスを手に取って、赤紫の、血のような液体越しに彼女の姿を見た。彼女は自分のグラスも持ち上げた。彼女のグラスにはミザールが入っている。二人のグラスはぶつかり、中の氷はからりと音を立てた。
「何の乾杯かしら?」
「許されない再会に」
キセスはラヴジョイをあおった。突然の浮遊感、自然重力とはまた違う、ランデブーを夢見るにはちょうどいい。
「お互い物好きね、この時代に口からお酒を飲むなんて」
彼女は自分の腕についた差込口に触れながら言った。今どきは酒場に入ってもカウンターにはアルコールコードと、アルコールを割る、割り込み回線が伸びているだけのことが多い。バーテンダーもただの店員に過ぎない。
「グラスがないと、これもできないだろ」
キセスは彼女にラヴジョイの入ったグラスを渡した。彼女はグラスを受け取って一口飲んだ。グラスに赤い口紅がついた。
「ごめんなさいね、私お酒強いの」
「知ってる」
酒は強いのに、味が好きだからと度数の低いミザールを飲むんだ。
そんなところまで、完璧に同じ。
「なぁ、ダリアじゃないのか」
ダリアは二年前に死んだ。街中でやつらが銃撃戦をはじめて、その流れ弾に当たった。馬鹿で、悲劇で、金星にはよくある話だ。
「いいえ、私はエリュキーナよ」
彼女はグラスをキセスに返した。彼は口紅のついたところとは反対側に口をつけ、ラヴジョイを飲む。
「焦らすのね」
「なんのことだか」
彼女はミザールを飲み干して、マスターに「つけといて」と言って立ち上がった。
「酒に頼らなくてもいい男よ、ワンコちゃん」
そう言って彼女はレザー地のドレスの、胸元の内ポケットから、煙管を取り出した。煙草葉を強く握り、煙管に詰める。火皿からはみ出す葉の量が多い、あれでは辛いだろうとキセスは思う。
彼女は煙管を咥えると、同じ内ポケットからライターを取り出した。
「火、つけてくださる?」
彼女はキセスにライターを渡した。キセスはそのライターを見て、ラヴジョイを飲む手が止まった。キセスは眉を少し下げて笑う。
「参ったね」
彼女のライターは火を吹く。ドラゴンの口から、火を吹く。
「背骨に登るドラゴンを見るのは、また今度ね」
「その時は、ラヴジョイよりももっと強いやつを飲まないとだな」
彼女は高いヒールを鳴らして、煙管の煙を残して、寂れた酒場から出て行った。
あのドラゴンは金星のギャング、アシッド・ドラゴンの
ダリアを殺したギャング、アシッド・ドラゴンの女だ。
そしてそのダリアに瓜二つの女。
太陽系の犬、太陽系保安局員であるキセスは、ラヴジョイを一気にあおり、そのままカウンターで潰れた。酒場のマスターは何も言わずに、彼が握るグラスを取って、薄手のひざ掛けを彼の体にかけた。
休日が開け、金星星都アナンケーにある、太陽系保安局金星支部に、キセスは出勤する。
「ひどい顔色だなキセス」
刑事課の同僚である、ミルトがそう言った。
「ここ三日、酒場に通ってたからかな」
「健康に良くないぞ、特にお前みたいな古い飲み方は。腎臓がやられる」
ミルトの正論に、キセスは笑った。そしてミルトも笑った。こんな金星で、健康に長生きしましょうなんていうのは、冗談にしかならない。
大昔、生物の元となる四つの塩基は二つの数字にすぎないと解明された。つまり、人間の元は半導体によって作れてしまうというわけだ。環境破壊が進む中、人類は種の存続のために、地球を巨大な生物創世設備、「情報局」とし、そこで生まれた生物は月に住むことにした。これを境に、人類の歴史は旧時代と新時代に分けられる。それから400年。人類は冥王星にまでその生息区域を広げていた。
というのが教科書に載っているセオリー。実際、月はもう天体規模のスラム街へまっしぐらだと聞くし、ここ、金星は初めから住めたものではないのだ。
高すぎる気圧、熱すぎる気温、全てを溶かす酸性雨。
宇宙に放り出されたクマムシか、浴槽の隅にへばりつくカビかのように、この星の人間は生きている。そしてその憂さ晴らしか知らないが、アシッド・ドラゴンのような組織が形成されるわけだ。
「酒が本命じゃないんだな」
笑い声が落ち着くと、ミルトがそう言った。変に勘の鋭い男だ。
「なぁ、ミルト。お前、ドッペルゲンガーって信じるか?」
「他人の空似ってやつか。俺はよく、マートルに似てるって言われるぞ」
マートルというのは、金星出身以外は完璧とよくバラエティ番組でいじられている面の良い俳優だ。キセスは、「あんたはマートルと会っても死なないだろうさ」と笑った。そして先日片付けた事件の調査書を書きながら口を開く。
「ダリアに会ったよ」
「ダリアって」
ミルトはダリアが彼の昔の恋人であり、二年前死んだことを知っていた。彼女の死からキセスがその名前を口にしたのは初めてのことだった。
「ダリアは、あの女と会ったから、死んじまったのかもしれねぇな」
キセスの呟きに、ミルトは返答を探す。そこに同じく刑事課の同僚であるナツメがやってきた。ナツメは大量の資料を抱えている。
「あぁもうやだぁ、私こんな仕事きらぁい。こんな星きらぁい」
ナツメは大量の電子板に保存された資料をキセスの机に置いた。そしてキャスターつきの椅子を持ってきてそこに座り、上目遣いでキセスを見る。
「ねぇ、あなた何歳になった?」
「同い年だろ、27歳」
ナツメは溜息をついた。
「ねぇ、私もう30歳になっちゃうよ。早く出世して、木星にでも行こう。木星支部に行けたら、テキトーに働いて、偉くならずに、楽に暮らそう?」
「17の時も言ってたな」
キセスとナツメは
二人は保安学校に行き、そして10年後の今もこうして金星支部刑事課の下っ端として働いている。
ナツメが不満げな顔をした時、キセスの通信機が震えた。
「その木星から来た男が強盗に襲われたってさ、行ってくるよ。この資料は俺やらないからな。出世したいなら自分で片付けろ」
キセスは自分の机に置かれた電子板を人差し指の関節でコツコツと叩いた。そして保安局員のジャケットを引っかけて出て行った。
「最近、キセスに仕事が回ること多いわよね。私はこんな雑用ばっかよ」
「そうだな」
キセスのいなくなった部屋で、ナツメはミルトに話しかける。
「ほんとに、木星に行くかもしれないわ」
「置いてかれるのが寂しいか?」
ミルトは笑った。
「私、置いてかれないわ。だって女だもの」
ナツメは開けていたシャツの第二ボタンを閉めた。
一台のタクシーがラクシュミーの高原を暴走している。
この金星にまともな会社が運営しているタクシーなど片手で数えられるほどしかない。それを知らない外星からの訪問者を狙った強盗は後を経たない。金星以外の星で、タクシー強盗、と言えばもっぱら客が運転手を脅し、金を奪うことを意味するらしいが、ここじゃそれは逆なんだ。
『そこのタクシー、ゆっくりとスピードを落とし、路肩に停車しなさい』
拡声器から発せられる自分の声が、まるで他人のもののように自分の耳に入る。拡声器の性能か、それとも自分の声は他人にはこう聞こえているのか、ひどくしわがれて、まさに酒焼けの喉という声だ。
『そんなに追いかけっこしてぇのか、あいにく俺は男には興味ないんだ』
車はスピードを上げ続ける。
ハンドルを掴んでいた右手を離し、左手のみでパトカーを走らせる。窓を開ければ、向かい風がキセスの髪を靡かせた。彼の髪はふわふわとした癖がついていて、青緑の混じる、アッシュブロンドだ。
赤毛のダリアはそれをよく、愛おしそうに撫でていた。
「止まれつってんだろ」
キセスは拳銃を構え、タクシーにつく二つの後輪を、一発づつ撃った。タクシーは車体後部を引きずるように、前輪のみでしばらく進んだ後に道の半ばで止まった。
運転席の扉が開き、中から男が飛び出す。車を捨てて逃げるつもりの犯人だ。
「アンロック」
キセスは頸椎のプラグを引き抜いた。この操作によって、太陽系保安局の人間は、基準重力と自然重力の切り替えをオートからセルフにすることができる。基準重力とは太陽系で定められている重力のことで地球の重力を1とする。入星する時にその星の重力が地球より大きければ浮きを、軽ければ重しをと体をいじくることで、太陽系の生物は全て基準重力1で暮らしている。自然重力はその名の通り、その星本来の重力のことだ。金星の重力は0.9倍、プラグが引き抜かれ、自然重力となったキセスの体は、少し軽くなる。
この時だけは、全ての重荷を忘れられる。このまま強く地面を蹴れば、大気圏を突破して、このクソ塗れの星から出て行けるような気がする。キセスはそう思っていた。
「何逃げようとしてんだよ。俺と遊びたいんじゃなかったのか?」
キセスは空を翔るようにして走り、男にそのまま跳び蹴りを食らわす。男は倒れて顔面を抑えていた。その手には血が滴っている。鼻が折れたらしい。止めの蹴りをもう一発と、キセスは標準重力にして足を男の体に降り下ろした。しかしその足は止められる。男は鼻を抑えることを諦め、力を振り絞り、彼の足を掴んでいた。
「だりぃな」
キセスは片足で立ったまま、ガンホルダーから拳銃を取り出し、男に撃った。銃口から発せられた弾は電撃弾。男は体を痙攣させ、そしてばたりと倒れた。キセスは足にまとわりついたままの腕を蹴り飛ばし、男の手首に手錠をかけた。
ひと段落、とキセスがため息をついた時、その肩を揺すられた。彼は心底面倒くさそうに後ろを振り向く。
「ど、どうすれば。おい君、私は今とても急いでいるんだ」
タクシーに乗っていた、強盗にあったと通報してきた、木星からの訪問者クロイが狼狽え唾をこちらに飛ばしながらそう話す。
「あの子を授からなければならないんだ。あの子ほどの子はもう、太陽系中を探しても見つからない」
キセスより、二回りは上の、白髪交じりの頭髪に、皺の目立つ顔をした男が、情けなく他人に懇願している。金星でそんなことをすれば、瞬く間に身包みをはがされて、濃硫酸の川に捨てられるのがオチだ。
こいつはどこまでも、木星の、都会の人間なんだなと、キセスは笑った。
「強盗とドライブでよければ乗せてってあげますよ」
キセスの返答に、クロイは気絶し手錠にかけられている強盗犯を見て顔をしかめた後、数秒の葛藤の後、それでも構わないと言った。
「ダヌの山脈の麓付近にある、コウノトリの巣に運んでくれ」
キセスはパトカーの運転席に座り、助手席に強盗犯を繋いだ。後部座席で、クロイがシートベルトを留める音がした。
「お客さん、メーターはもう回しちゃっていいですか?」
キセスはバッグミラーを正して、鏡越しにクロイに笑う。クロイは冗談の通じない男らしく、意味が分からないという顔をしていた。キセスは諦めて、アクセルを踏む。サイレンを鳴らして、法定速度をパスする。
コウノトリの巣。それは各星に一つづつ存在する情報局から運ばれてくる、赤子を受け入れる施設のことだ。発注した両親の元にはその施設から赤子が届く。コウノトリの巣という命名は、旧時代、まだ男女の性行為によって新たな生命が生まれていた時に、子どもからどうやって赤ちゃんは生まれるのかということを聞かれた時に誤魔化して「コウノトリが運んでくる」と説明していたことに由来するらしい。イエス・キリストの誕生にあやかって、イエスが生まれた場所「飼い葉桶」と言われることもある。
新時代の人間は全員が処女受胎のマリア様、神が造りしイエスであるわけだ。
「でもなんでわざわざ金星になんか。ガニメテのガキはクソ真面目って話、信じてるんですか?」
ガニメテ。木星の衛星の中の一つであり、木星の情報局だ。その星に住む人間は、その星の情報局で製造された赤子を授かるのが一般的。木星の人間はガニメテで製造された赤子を授かるはずだ。キセスは太陽系の冗談を混ぜながら、クロイに問いかける。クロイは先ほどと同じように、冗談には全く笑わない。案外、情報局によって人間の性格が決まるというのは迷信じゃないかもなと、キセスはうんざりとした。
「私はね、自身の財産、時間全てを投げうって、探していたんだよ。自分の息子を」
キセスは首を捻った。赤子というのは有り余ってるもので、タダで簡単に手に入るものという印象しかなかったからだ。探すというのもよく分からない、勝手に送られてくるものではないのか。
「ただの子どもではない、自分自身の息子を探していたんだ。
半導体の配列が私のものと妻のものを掛け合わせた時にちょうどなるような、そうなっているような子どもを、ここ7年探し続けていた。そして、やっと先週、今から向かうダヌのコウノトリの巣から見つかったと連絡が来たんだ」
クロイはひたすらに嬉しそうに話す。パトカーの外では金星のスーパーローテーションが吹いていた。
パトカーはコウノトリの巣に到着した。正面に向かう窓が多く、金星にあるにしては開放的な建物だ。
フロントガラス越し、正面の窓越しに、クロイの姿を追う。出てきた職員の女性は旧時代的なナース服を着ている。まるでコスプレだなとキセスは思う。彼女と大きなリアクションをしながら話すクロイ。そして、ベッドにずらりと並ぶ赤子から一人を抱き上げ、涙を流していた。
まるで全部が作り物みたいだ。映画のセットみたいだ。
「っあ!?お前っ、保安局のやつか、よくも俺の仕事を…」
助手席で強盗犯が目を覚ました。そして騒ぎ始める前に、キセスに殴られた。
「うるせーな、今クソみてぇな映画を見てんだよ」
情報局で、配列は乱数によりランダムに仕組まれる。旧時代に作られた情報局、オーパーツと化したそれを新たに設定、操作をすることは不可能。しかし、製造された赤子の半導体を見て、配列を確認することはできる。多額の費用と途方もない時間、そして運があれば、クロイのように旧時代的な「自分の息子」を探すこともできるんだろう。そこまでしなくとも、少しのお金を払い、自分と似た容姿の赤子を授かる例はいくつか知っていた。家族を作る予定などないキセスにとってそれらは全て縁遠い話だった。いや、縁遠い話になってしまったんだ。
ダリアが生きている時は、少し考えた。彼女との間に、子どもが二、三人、それにくわえて大きな犬でも飼ったら、いいかもなと。
ダリアが生きていたら、今頃自分は自分のためにここに来ていただろうか。
「ダリア」
酒場で会った彼女は、本当にたまたま、ダリアと同じ配列をした女だったのかもしれない。太陽系は広い、そう言うことだってあるんだろう。他人の空似? ここじゃ全員他人みたいなものじゃないか。馬鹿みたいに、家族だの恋人だの、金にものを言わせて、好きなものを集める、お人形遊び。ドールハウスの中で自分の役割を演じるだけの関係。
クロイに抱かれた赤子が笑っている。その顔はクロイにそっくりだ。
「全部遊び」
星都アナンケーに向けて車を走らせながら、キセスはそう呟いた。
寂れた旧式酒場。コードはない、ただのカウンター席。そこには彼女が座っている。
「また会ったわね、ワンコちゃん」
彼女はそう言って、隣の席をそっと撫でた。キセスはその席に吸い寄せられるように着く。
「マスター、ラヴジョイをロックで」
マスターは軽く頷き、後ろに並ぶボトルからラヴジョイを選んでグラスに注ぐ。
「どうしてあなたは、お酒が弱いのにそんなものばかりを頼むのかしら」
「言い訳のためかな」
キセスは出されたラヴジョイを一口飲み、笑った。
「意気地なし」
「竜と犬じゃ分が悪い」
保安局金星支部はアシッド・ドラゴンの存在を黙認している。彼らは単なるチンピラの集まりではない。彼らに引き取られた赤子たちは地下で兵器として、竜の鱗の一枚として訓練されるそうだ。戦闘をすることしか知らない子どもたちは血を浴びながら育ち、そして死んでいく。生き残った者は、血も涙も枯れ果てた幹部となる。
とても金星だけでどうにかなる問題ではないのだ。かといって本部に連絡しても聞き入れてくれる、ましてや人を寄こしてくれるなんてことは厳しいだろう。この宇宙は広い、それぞれの星の事情に構っていられるほど、お人良しではいられない。
金星支部のお偉いさんたちは、アシッド・ドラゴンから金をもらってるなんて噂もある。あくまで噂だと思ってきたが、近頃上司に肩を叩かれ、偽物の酒でも注入する機会が増えると嫌でも気がつく。火のない所に煙は立たぬとはよく言ったもんだ。ギャングと保安局の癒着は噂じゃない、事実だ。キセス自身も、これから昇進していくにつれそういったことに染められていくのだろう。昔から汚物を飲み込むことには慣れている。強い酒と一緒にしてしまえばいい、そうすれば全て分からない。
「なぜ俺は君に会えたんだろう? なぜ、今まで会えなかったんだろう?」
二年間も、一人だった。
「私、一つのお店に通えるような身じゃないの」
彼女はそう言って、ミザールの中の氷を転がした。キセスは彼女の返答に酔いが醒めたようになる。先ほど自分はダリアに問いかけたのだ。アシッド・ドラゴンの女ではなく。
彼女は胸元の内ポケットから煙管とドラゴンのライターを取り出し、蒸かした。
「ねぇ、ワンコちゃん。ボールを取ってくるのは得意?」
彼女が口を開くと、甘い声と、辛い煙が五感を刺激する。目の奥がぱちぱちと、星の瞬きなんてそんな綺麗なものでは済まない、超新星爆発のような輝きがする。
「飼い主の命令ならな」
キセスは傍若無人に見えて、実際は太陽系保安局という首輪に繋がれ、リードの届く範囲内で暴れているに過ぎなかった。そういう人間が、昇進し、やがて木星に行く。
「私が龍の首の玉を取ってきてって言ったら?」
彼女は自身の胸に手を当ててそう言った。
「月のお姫様からそう言われた男は、龍と会って尻尾巻いて逃げたって話だ。命が惜しくてな」
キセスはグラスの中のラヴジョイを見つめる。深い血の中に、グラスに反射した自分の顔が見える。
「あなたは命が惜しい?」
彼女はミザールの入ったグラスをカウンターに置いて、ぐいと顔を近づけた。そしてキセスの腰に腕を回す。彼女に触れられると、ありもしない尻尾が落ち着かない。彼女はそのまま背骨のソケットを指でなぞる。そして首にまでくると、その手で絞めた。
彼女の、赤髪の隙間からのぞく上目遣いは、不思議と見下されているような気持になる。キセスはそう思った。
彼女は数秒して手を離すと、この前と同じようにマスターに「つけといて」と言って立ち上がった。胸元の内ポケットに、煙管を仕舞う。高いハイヒールが音を鳴らす。扉の前で彼女は振り向いた。
「ワンコちゃん、これ預っておいて」
彼女はライターをキセスに投げた。キセスはそれを掴む。彼女は扉を開き、金星の街に溶けていった。キセスはドラゴンの彫刻を掌に感じながら、一人ラヴジョイを飲んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます