駐めてはいけない
丁山 因
駐めてはいけない
Rさんが働いているスーパーは、全国展開しているチェーン店の一店舗で、地域の住民にとってはなくてはならない存在だ。場所は地方都市のさらに郊外にあり、その分だけ重要度も高い。スーパーの敷地には、家電量販店や眼鏡屋、チェーンの牛丼店なども並んでいて、ちょっとしたショッピングモールのような雰囲気になっている。
そして、これは田舎ならではかもしれないが、とにかく駐車場が広い。一人一台が当たり前の地域だけに、数百台は余裕で駐められる。
Rさんがそのスーパーで働きはじめた頃、ある噂がパート仲間の間で広まりはじめた。──駐車場のある一角に幽霊が出るという話だ。場所は店舗から遠く離れた駐車場の端の端。一本の道を挟んだ先は従業員用の駐車スペースになっているような場所で、よほど駐車場が満車でもない限り、一般客が駐めることはない。
……はずなのだが、なぜかその場所は日中、思いのほか人気がある。理由は単純明快。その一角には大きな木が何本か立っていて、ちょうどいい具合に日陰を作ってくれるのだ。だから、営業車で外回り中のサラリーマンにとっては、格好のおサボりスポットとなっている。
利用するのは営業マンだけではない。主婦や学生なども、そこに車を停めてひと息ついている姿をよく見かける。
木陰に隠れるスペースは、車が四台ほど駐められる程度。ただし、一番奥の一台分だけは、なぜか誰も決して使おうとしない。だから、実質的に使えるのは三台分だけだ。
ある日、Rさんのパート仲間のSさんが、いつものように車で出勤してきた。ところが、タイムカードを押そうとしてシフトを確認したところ、自分が二時間も早く来てしまっていたことに気づいた。
一度帰ることも考えたが、それではガソリンも体力ももったいない。そこでSさんは、始業時間まで車の中で待つことにした。本来なら従業員用の駐車場に車を置かなければならないのだが、そこは日当たりが良すぎて暑い。窓を全開にしても、車内に熱気がこもって耐えられない。
そこでSさんは、あの「おサボりスポット」を思い出し、向かってみた。だがあいにく、すでに三台分は埋まっており、残っていたのは例の「奥の一台分」だけ。
この地域に引っ越してきたばかりのSさんは、まだこの駐車場の不文律を知らなかった。ためらうことなくその奥のスペースに車を停め、シートを倒してひと休みすることにした。
Sさんは車のシートを倒し、軽く目を閉じた。エンジンは切ってあり、窓は全開。風はなく、ただ重たい夏の空気が車内に滞っていた。
どれくらい眠ったのか。うっすら意識が浮かび上がったその瞬間だった。
──誰かが、乗っている。
ぼんやりと視界の端に映ったのは、花柄のワンピース。その柄は古臭く、どこか昔の香りがした。そしてそのワンピースの主は、Sさんの上に馬乗りになり、何の前触れもなく首を絞め始めた。
顔は黄色く、パンパンに膨れ、皮膚はボロボロと剥がれ落ちそうだった。目は開いたまま乾ききっていて、黒目は上を向いている。鼻の穴からは泡だった液体がにじみ出ており、口もとからはかすかにツンと鼻を突く異臭が漂っていた。
Sさんは声を出そうとした。しかし喉は締め付けられ、かすれた息すら漏れない。手も足も動かない。金縛り。夢か現実かもわからない。
女は何も言わなかった。ただ、音もなく、機械のように首を締め続けていた。
──ブツ、ブツ、ブツ。
耳鳴りのような音がしていた。まるで誰かが耳元で呼吸しているような、濁った空気の音。
もうダメだ、と思ったその時。
「おいアンタ! 大丈夫か!!」
ガッ! と肩をつかまれ、強く揺さぶられた。
ハッとして目を開けると、営業車の男性がすぐ横にいた。全開にした窓から身を乗り出し、Sさんの肩を揺さぶっていた。
「すごい顔してたよ……苦しそうに、体ビクビクさせて……! 声かけても全然反応しなかったからさ……!」
Sさんは息を荒くしながら、自分の喉に手を当てた。触れると、皮膚がヒリヒリと痛んだ。そこには、くっきりと指の痕が残っていた。
「アンタ、ここに駐めちゃダメだよ。これからは気をつけな」
おじさんはそう言って自分の車に戻った。
その後、Sさんはこの体験を、職場のパート仲間たちに話して回った。最初は冗談めかして聞いていた人たちも、Sさんの蒼白な顔と喉の痕を見て、次第に空気が変わっていった。
やがて「あの場所には幽霊が出るらしい」という噂が広まりはじめた。
そんなある日、古くから働いているベテランのパートさんが、ぽつりと語ってくれた。
──あそこでは、十年以上も前に人が死んでるんだよ。
聞けば、このスーパーがオープンして間もない頃、駐車場の一番奥──まさにSさんが車を停めたあの場所で、練炭自殺があったという。
死んでいたのは若い女性。発見されたとき、車内には異臭が立ち込めていて、シートは完全に密閉されていたらしい。誰にも看取られず、ひとり静かに──いや、もしかすると苦しみながら──命を絶った。
以来、その場所では「車を停めて仮眠すると、金縛りに遭う」「誰もいないはずの車内に人影が見える」といった話が、ぽつぽつと囁かれるようになった。
そして──それから二年後のことだった。
例の「おサボりスポット」は、正式に使用禁止となった。
理由は、再び人がそこで亡くなったからだ。
亡くなったのは旅の途中の男性。小さなキャンピングカーで全国を巡っていたという。ある晩、深夜の牛丼屋で食事を済ませ、そのままスーパーの駐車場に車を停めて休もうとした。
場所は、あの一番奥。
駐車場は二十四時間出入り自由。人気のない深夜なら、誰にも邪魔されずに眠れる……はずだった。
だがその車は、それから数日間、まったく動かなかった。
不審に思った従業員が様子を見に行くと、車内で男が静かに事切れていた。死因は病死とも事故ともつかない──だが、不自然な点がいくつもあった。窓は少しだけ開けられていたのに、車内には強烈な腐臭がこもっていた。彼の顔はなぜか黄変し、異常なほど膨れ上がっていたという。
警察も現場を調べたが、結局、特に事件性はないとして処理された。
それ以来、その場所はコーンとポールで封鎖され、誰も車を停められないようになった。
それから、さらに数年が経った頃。
Rさんは、その駐車場の話を甥に語ったという。甥は当時大学生で、根っからのオカルト好き。ちょうど「心霊系YouTuber」を目指して、動画チャンネルを立ち上げたばかりだった。
「おばちゃん、それマジなら、行くしかないでしょ!」
Rさんの話に目を輝かせた甥は、さっそくその場所を訪れたそうだ。
──しかも深夜。
誰もいない時間を狙って、封鎖されているはずのあの場所に忍び込み、コーンとポールをどかして、自分の車を奥に停めた。そして、何食わぬ顔でシートを倒し、しばらくのあいだ様子をうかがっていたという。
「それで……幽霊、出たんですか?」
私がそう聞くと、Rさんはちょっと苦笑いしてね。
「いやぁ、朝までいたけど、何にも出なかったってさ。金縛りもなし、音もなし」
「えー、ありがちなパターンですね」
「……うん、そうなんだけどね」
Rさんはそこで声を落とした。
「駐車場を出た瞬間、ダンプに突っ込まれたのよ」
「……は?」
「本人は、かすり傷ひとつなかったんだけど……車は前からぐしゃぐしゃ。買ったばっかりだったんだって」
冗談のように聞こえるけど、Rさんは一度も笑わなかった。
「だから本人は『何もなかった』って言ってるけどさ。ほんとに、そうなのかなって……」
彼はその後、動画チャンネルを閉鎖し、オカルト活動を止めたそうだ。
駐めてはいけない 丁山 因 @hiyamachinamu
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